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第8話:静かなる処刑人

続きは明日のこのくらいの時間にー

 エドワードが尻尾を巻いて逃げ出し、イレーナがサイラスを連れて甘いお菓子を楽しみに厨房へと向かった頃。

 ヤング伯爵は屋敷の執務室で一人、チェスボードの前に座っていた。


 ただし、彼が相手をしているのは対局者ではない。ボードの上に並べられているのは、駒の代わりにルーサー侯爵家と、彼らと繋がりのある商会や貴族家の名が記された小さな木札だった。


「さて…。イレーナが派手に動いてくれたおかげで、土壌は整ったかな」


 伯爵は眼鏡を指で押し上げ、一つの木札を指先で弾き飛ばした。

 それは、ルーサー家の筆頭融資ゆうし元である『ゴールデン・ベル銀行』の名が書かれた札だった。


「セバス。例の会合の準備は?」


 影から音もなく現れた老執事が、恭しく一礼する。


「滞りなく。今頃、王都の有力な商人たちは皆、あの夜会での出来事と、先ほどのエドワード様の失態を『詳細に』記した手紙を読み終えた頃かと」


「結構。噂話というものは、真実であればあるほど、そして残酷であればあるほど、広まるのが早いからね。…特にお金にさとい連中にとっては、『有能な実務者を捨てた家』というのは、沈みゆく泥舟と同じに見えるはずだ」


 ヤング伯爵の戦略は極めて単純かつ冷徹だ。

 ルーサー家のような古い名門は、その体面を保つために多額の借入と、複雑な利権の上に成り立っている。そしてその複雑なパズルを組み替え、破綻はたんさせないように管理していたのが、他ならぬサイラスだったのだ。


 管理者を失ったパズルは、どこか一点を突くだけでもろくも崩れ去る。





 一時間後。

 ヤング伯爵は、王都にある会員制の高級クラブの一室にいた。

 そこには王国の流通を牛耳ぎゅうじる豪商たちや、他の貴族家の家計を預かる重鎮じゅうちんたちが集まっていた。


「やあ、皆さん。急に集まっていただいて申し訳ない」


 伯爵は、いつもの「善良そうなおじ様」の笑顔を浮かべて席に着く。


「今日は他でもない。我が娘、イレーナの婚約について少々お耳に入れたくてね。…ああ、そうなんだ。ルーサー侯爵家から『ゴミ』として捨てられていたサイラス君を、我が家で引き取ることになった」


 その言葉に室内の空気がぴりりと震えた。

 商人の一人が、探るような目で問いかける。


「伯爵。…あの方は、その、不吉な色をお持ちだとか。それに、実の父上から『無能』だと断じられたと聞いておりますが」


「ははは! 無能? ルーサー侯爵も冗談が過ぎる」


 伯爵は、わざとらしく愉快ゆかいそうに笑い飛ばした。


「彼はね、我が家の財務帳簿を一晩見ただけで、数年分の計算ミスを見つけ出し、効率的な資産運用案を提示してくれたんだよ。…いやあ、驚いた。彼はまさに、神が与えたまいし『数字の聖者』だ。そんな彼を無能と呼ぶルーサー家の審美眼が、私は不思議でならないよ」


 この一言は、商人たちにとってルーサー家への死刑宣告にも等しい衝撃だった。

 彼らがルーサー家と取引を続けていたのは「書類の正確さ」と「決済の速さ」があったからだ。それがすべて、虐げられていた長男の功績だったと知れば、答えは一つしかない。


「……なるほど。では、数日前からルーサー家で起きている支払いの遅延や、契約書の不備は…」


「おや、もうそんなことが起きているのかい? 困ったものだ。…ああ、そういえば。我がヤング家では、近々新しい商路を開拓しようと思っていてね。サイラス君の提案で、より手数料の安い、透明性の高いやり方に切り替えるつもりなんだ。…興味がある方は、いつでも相談に乗るよ?」


 これが、ヤング伯爵の放った静かなる一撃だった。

 ヤング家という巨大な船が、サイラスという有能な舵取りを得て、新しい航路へ進む。

 対してルーサー家という泥舟には、もはや沈没を待つだけの未来しかない。


 会合が終わる頃には、商人たちの顔つきは決意に満ちていた。

 彼らは解散するなり、それぞれの店や銀行へ走り、ルーサー家との契約打ち切りと、資産の回収を命じたのである。




◇◇◇◇◇




 一方その頃。

 追い詰められたルーサー侯爵は、自宅の書斎で頭を抱えていた。

 エドワードがヤング家から、一億ゴルドの請求書を持ち帰ってきただけでなく、各方面から悲鳴のような報告が届いているのだ。


「旦那様! ゴールデン・ベル銀行から、即時の債務履行さいむりこうを求められました! 未払いがあるなら、差し押さえも辞さないと…!」

「旦那様! 主要な取引先である商会が、次々と契約の更新を拒否しております! なんでも、ヤング家の方が条件が良いとかで…!」


「馬鹿な…! 何が起きている! たかが、サイラスというゴミ一人がいなくなっただけで、なぜ我が家がこれほど追い詰められねばならんのだ!」


 侯爵は、血走った目でエドワードを睨みつけた。


「エドワード! お前、イレーナ嬢に何を言った! なぜあんな一億ゴルドなどというふざけた請求書を書かせるスキを与えたのだ!」


「し、仕方ないじゃないですか! あの女、まるで化け物みたいに……それに、父上だってあいつをゴミだって言ったじゃないですか!」


 親子が醜い責任転嫁を始めている間に、ルーサー家の信用は砂時計の砂のようにこぼれ落ちていく。

 そこに、唯一の希望となるかもしれない一人の女性が現れた。


「…お義父様。お困りのようですね」


 優雅な仕草で部屋に入ってきたのは、エドワードの新たな婚約者、ケイティー・グローステスト嬢だった。

 彼女は汚いものを見るような目で散らかった書類を一瞥し、冷ややかに告げる。


「我が家、グローステスト侯爵家に頼りましょう。父は王宮の利権を握っておりますわ。ヤング家の横暴を王に訴え、あの不吉な男を強制的に修道院へ送るように手配すれば良いのです。…そうすれば、あれに無理やり書類を書かせることも可能でしょう?」


「おお、ケイティー嬢! 流石だ! 君だけが頼りだ!」


 侯爵とエドワードは、泥舟が沈みかけていることに気づかず、彼女が差し出した案へ必死にすがりついた。

 彼女の実家が、すでにヤング伯爵による「輸入利権の買収」の標的にされているとも知らずに。




◇◇◇◇◇




 その日の夕暮れ。

 ヤング伯爵が屋敷に帰ると、イレーナとサイラスが楽しそうに夕食の準備をしている姿を見かけた。


 サイラスの頬には少しだけ赤みが差し、以前の幽霊のような白さは消えつつある。

 彼はイレーナに教わりながら、不器用な手つきで野菜を切っていた。


「…ふふ。平和だねえ、イレーナ」


 伯爵が声をかけると、イレーナが満面の笑みで振り返った。


「お帰りなさい、お父様。ええ、とても平和ですわ。…お仕事の方は、順調でしたか?」


「ああ。すべて予定通りだよ。…サイラス君。君が以前、ルーサー家の屋根裏部屋でまとめてくれていた『領地の物流改善案』。あれをベースにした新しい契約が、今日だけで10件ほど決まったんだ。君は本当に、我が家に幸福をもたらしてくれるね」


「え……? あの、あれ…ただの、書き散らしだったのですが…」


 サイラスは驚いて目を丸くし、それから少しだけ誇らしげに、はにかんだ。

 自分の能力が誰かの役に立っている。誰かに肯定されている。

 その実感が、彼の心を少しずつ、しかし確実に変えていく。


「お父様、あまり彼を働かせすぎないでくださいね。今日の夜は、私が彼にダンスの基本を教える予定なのですから」


「おや、それは楽しみだ。サイラス君、娘のリードは結構強引だから、気をつけるといい」


「は、はい…」


 楽しげな笑い声が響くヤング家の食卓。

 その温かい光の裏で、ルーサー家を崩壊させる最後の一押し――グローステスト家の没落に向けた準備が、着々と整えられていたのである。


イレーナパパは人当たりの良い近所のおじさんみたいな感じ


「面白かった!」


「続きが気になる、読みたい!」


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― 新着の感想 ―
メッセージありがとうございます。嬉しいです♡おじ様沢山作品も期待大です。
イレーナパパ最高♡頭の切れる腹黒に見えないおじ様大好きです。これからも楽しみです。多分一気に最後迄読んでしまいそうw
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