第98話 憂鬱の霧
カーラハウスがゴゴゴと前進し、車輪が砂利と“幽草”をバリバリと踏み潰す。重く、不自然な霧が四方から這い寄ってきていた。
私は運転席で片手はハンドル、もう片手は地図を持ちながら前方を睨む。進路には古代文字でこう記されていた。
『鬱霧――試練一:お前を壊すものを歩け』
目が細くなる。
「……はいはい。やっぱり感情系の試練かよ。罠穴とか爆発する木とかでよくない!?」
ニャが浮遊する猫ホログラムの姿で現れ、尻尾をだるそうに揺らす。
<<ご主人様、データ解析完了。この区域は高位の幻術・霊圧フィールドです。通過するには、自身の最も深く暗い恐怖の具現と対峙する必要があります>>
私は無表情で見つめ返した。
「つまり、殴り合い付きのセラピーってわけね。最高じゃん。」
霧はさらに濃くなり、視界の隅で影が歪む。耳の奥で囁きが蠢き、どんどん大きくなる。何かが心の奥を叩き、深部へ潜ろうとしていた。
そして――
BOOM!!
轟音がフロントガラスを震わせた。私は急ブレーキを踏み込む。
外で……何かが動いていた。巨大な“何か”が。
影だ。
私は外へ出て――凍りついた。
違う。
これだけは……これだけは勘弁して。
「嘘でしょ……?」
目前にそびえ立つのは巨大ゴーレム。高さ十五メートルはある。そしてただのゴーレムではない。
私の幼少期の恐怖の象徴。
赤く光る目。表情のない不気味な粘土の顔。幼い頃、夢に出てきて私を追い詰めた記憶。精神が壊れかけた失敗ダンジョンシミュレーションで見た、あのゴーレム。
「なんで“コイツ”なんだよぉぉ!?」
私がバリアを張った瞬間、巨腕が大地を叩き潰す。衝撃が地面を波打たせ、木々を吹き飛ばし、土塊を舞い上げた。
カーラハウスが激しく揺れる。
数秒後、ドアが勢いよく開いた。
皆がパジャマや部屋着のまま飛び出してくる。セレーネ、フレイ、ダリウス……全員が寝ぼけ眼で――そして見上げた瞬間、目を見開いた。
「――な、なんだあれは!?」
ロナンが叫ぶ。「いや待て、あれ……ただの魔物じゃねぇ!どこかで……見覚えが……!」
その瞬間、始まった。
彼らの恐怖。全員分。
霧から具現化していく。
カエルの手が震える。「やめろ……嘘だろ……!」
霧から現れたのは、彼の“死んだ師匠”の闇堕ちした幻影。
リラは息を呑む。かつて家出する原因となった父親のねじれた像が、侮辱の言葉を吐きながら現れた。
アウレリアの顔が蒼白に染まる。聖なる光を帯びた母――聖母大祭司の幻影が言う。
「お前は私の血に相応しくなかった」
ルナでさえよろめいた。感情も慈悲もない、破壊のためだけに存在する“影の自分”が姿を現したからだ。
「恐怖の構造体……」セラフィナが歯を食いしばる。彼女の過去を呪った“燃える太陽の狂信者たち”が軍勢となって迫る。
説明されるまでもなく分かっていたが、ニャが補足する。
<<確認。全員の最深層の恐怖が霊的投影として具現化しています。霧のフィールドは感情共鳴を増幅。恐怖が強いほど敵も強くなります>>
「ちっ……最悪。」
私は外でゴーレムと渡り合い、巨拳を避け、剣を振るっていた。しかしゴーレムはどんどん大きく、凶暴になり、攻撃は重く速くなっていく。
「ニャ、なんで強くなってんの!? 押し返してるはずなのに――!」
<<ご主人様がまだ“怖がっている”からです>>
動きが止まる。
刃がゴーレムの拳とぶつかり、火花が散った。
「この霧は力比べじゃない。恐怖を糧にしてるんだ。誰かが怯めば怯むほど……悪夢は強化される」
私は見上げる。巨大な影を。
胸の奥が痛む。
無力になりたくない。ひとりになりたくない。
皆を守れなくなる恐怖。
弱い自分に戻ってしまう恐怖。
――原初存在になった今でさえ。
その恐怖は、まだ心の奥に刻まれていた。
剣を握りしめ、私は霧より大きな声で叫ぶ。
「みんな、聞いてぇぇ!!」
全員が振り返る。戦いの最中でも、追い詰められていても。
「分かった! 恐怖すればするほど強くなる! 怖がらないようにしろ! “向き合え”!!」
カエルが叫び返す。「言うのは簡単だろ!」
「簡単なわけないだろ! 私だって怖い! めちゃくちゃ怖い! でも逃げたら喰われるだけだ!!」
私は深呼吸をする。
目を閉じて――呟いた。
「私はもう、あの小さな怯えた子供じゃない……お前に支配されない。」
目を開く。
剣に青い光が奔る。
――斬撃。
ゴーレムがぐらりと揺れた。
表面に亀裂が走る。
私は踏み込む。もう一撃。もう一言。
「私はリリア・フォスター! 女神だろうと何だろうと、自分の恐怖は“私が選ぶ”!!」
剣がさらに輝いた。
他の皆も理解し始める。
ダリウスが立ち上がり、亡き家族の幻影を貫く。「俺は……他の誰かを守る!!」
アウレリアが霧の中を突き進み、幻の母を撃ち砕く。
「私は“私”を選ぶ!!」
カエルが盾を構えて立ち上がる。「もう自分を許す!」
リラが偽物の父を炎の矢で焼き払う。「あんたは私を決めつけられない!」
ひとり、またひとりと立ち上がる。
――霧が薄れていく。
――恐怖が消えていく。
私はコンセプト・フローマナを剣に纏わせ、創世炉肉体の出力を上げ、絶対重力を重ね――跳ぶ。
「もう……怖くない!!」
ズバァァァン!!!
ゴーレムが砕け――粉塵となって崩れ落ちた。
一帯に静寂が訪れた。
霧が晴れ――
太陽の光が差し込む。
私は肩で息をしながら周囲を見る。
皆も息を整えていた。
霊圧は消えた。
カーラハウスも無事。
そして、私たちは生きている。
ニャが再び現れる。
<<おめでとうございます、ご主人様。試練一――突破です>>
私はその場に大の字で倒れ、叫んだ。
「お願いだから次は“トラウマ抜き”の試練にしてぇぇ!!」
皆が笑う。
私たちは生き延びた。
星山へ、一歩近づいた。




