第82話 ソラリスへの招待
カラハウスが草原に出てから、三日が過ぎた。
屋根に積もっていた雪はすっかり溶け、
北の凍気は、黄金の草原と青空に取って代わられていた。
魔力車輪が柔らかな土を踏むたびに、
一定のリズムが響く。
それは風の音さえも、怠け者の子守唄に変えるほど。
屋敷の中では、笑い声が絶えなかった。
久しく忘れていた静けさ――
血でも戦でもなく、ただ“平和”の匂い。
ロナンは前方で手綱を握り、
片手には半分食べかけのサンドイッチ。
ネルソンは満足げに嘶きながら走り、
その巨大な体から微かな振動音を響かせていた。
後ろでは、移動宮殿と化したカラハウスがゆっくりと進む。
外壁の魔力が柔らかな光を放ち、
まるで生き物のように呼吸していた。
屋内では、それぞれが“自分仕様”の部屋に落ち着いている。
――もちろん、私の設計だ。
オーレリアの部屋?
壁一面に剣架、訓練用の木人、
そして壁に刻まれた神聖魔力回路。
「鍛錬用」らしいけど……もはや修行場を超えてた。
セレーネの部屋?
ミニ礼拝堂。
蝋燭と聖典、そして――
角の棚に私の小さな像。
曰く「信仰の象徴」らしい。
……うん、信じよう。たぶん。
カエルの部屋は実験室の爆発現場みたいだった。
本、魔力瓶、ルーン回路、
“存在してはいけない何か”のコレクションが増殖中。
リラは温室。
ロナンは鍛冶場。
フェンリルは氷の洞窟みたいな寝室。
セラフィナは、黒いカーテンと月鏡の部屋。
吸血姫の館そのもの。
そして、ルナ・フレイ・ローグ――この三人はもはや別次元。
ルナの部屋は銀の虚空。
浮かぶ時計と星が、彼女の鼓動に合わせて瞬いていた。
フレイの部屋は、生と死が重なる庭園。
花が咲いては、同時に枯れていく。
ローグの部屋は……混沌。
扉の形が毎回違う。開けるたびに別の物理法則が出てくる。
で、私の部屋は――
完璧だった。
アニメポスター? ある。
ゲーム壁紙? 当然。
漫画とラノベとコミックで埋まった本棚? もちろん。
魔力と意志で動く光るPC? はい、ニャありがとう。
クローゼットには最高の“ドリップ”一式。
《少しやりすぎでは?》ニャが耳元で笑う。
「これが個性ってやつよ。女神にも趣味は必要。」
夕暮れは穏やかだった。
皆それぞれ過ごし、ネルソンも“馬房スイート”で夢の中。
――つまり、私の番。
欠伸をしながら、手綱を持つ。
カラハウスを〈自動運行モード〉に切り替える。
見た目は馬車。でも中身は高級トラック+神力エンジン。
要するに、“走る屋敷”だ。
突っ込むな。
「ニャ、今日こそ何も起きない日だと言って。」
《ミストレスの周囲で“異常”が起こる確率、99.87%。》
「……でしょうね。」
その時、上空で羽音。
白いフクロウが舞い降りてきた。
一度旋回して、カラハウスの天井に降り立つ。
爪には封書。
「……郵便フクロウ? ついにファンタジー化?」
フクロウはフッと鳴き、封筒を差し出した。
「ありがと。」
受け取った途端、空へ飛び去る。
夕陽の中で、封蝋が金色に光った。
刻印――〈アエセリス王国〉。
「アエセリス……オーレリアの国か。」
見回す。
……当の本人はいない。
多分、また風呂だ。
あの聖剣より髪の手入れに時間かけてる。
「……ちょっと覗くだけ。どうせ王族の事務だし。」
封を切る。
愛しき娘、オーレリアへ。
三週間後、ソラリス王国にて〈大外交舞踏会〉が開催される。
王家、主要ギルド、神界の使徒――すべてが招かれている。
わがアエセリスも代表として出席せねばならぬ。
そなたが我が名代として出席せよ。
同行は自由だ。特に、友人リリア・フォスター殿を。
(今回は会場を破壊しないよう願う。)
「――おい。」
眉をひそめる。
「アラリク。次会ったら王冠いただくわ。」
だが、続く一文で目が止まった。
さらに、〈星の山への地図〉――
神々の封じられし頂へ導く聖遺物が、
南方の精霊竜を討伐した者に授与される。
「……星の山、だと?」
息を呑む。
「願いを一つ、制限なく叶えるという……あの伝説?」
ニャが即座に反応。
《確認:星の山とは、創造界の最上層概念へ通じる神域。
地図の価値――計測不能。》
「つまり……宇宙版“何でも叶う券”ね?」
《肯定。》
「……ニャ、行くわよ。その舞踏会。」
《予想済み。》
改めて手紙を見直す。
出席者は“正装必須”、
“王族との交流義務”、
“次元崩壊の禁止”――
うん、ハードモード。
「外交舞踏会ねぇ……
貴族と神と偉そうな連中が、格好つけて並ぶパーティー。」
そして、私は笑った。
「……最高じゃない。」
振り返り、屋敷の中へ叫ぶ。
「みんなー! フォーマル用意! 舞踏会行くぞー!!」
中から一斉に声。
「え、何!?」
「正装だと!?」
「どこ行くんだ!?」
「黒は私のだからな!」
「おとなしくしろって言うなよ!」
「約束はできねぇ!」
「鎌持って行っていい!?」
「ダメ!!!」
ルナが現れ、目を細める。
「……ミストレス。今度は何を企んで?」
「舞踏会編。」私は胸を張った。
「輝く時よ。」
「……また政治崩壊を起こすつもりですか?」
「たぶん。」
ルナは溜息をつく。
「……次元リセット魔法、準備しておきます。」
夜空が広がる。
星がカラハウスの屋根に映り、
中ではドレスやタキシード談義、ダンス論争、そして笑い声。
私はハンドルを握りながら、前方を見据えた。
〈星の山〉への地図――
それは、運命の火種を再び燃え上がらせる。
「……よし。」
風に向かって呟く。
「――ソラリスへ、出発。」




