第77話 真の不条理
その時――
空気そのものが、悲鳴を上げた。
かつて〈時の源〉があった洞窟は、今や“壊れた光”の渦。
時と現実の欠片が嵐のように渦を巻き、色と形を失って崩壊していく。
存在の断片が互いに滲み合い、
「一瞬」が「永遠」と「無限」を重ね合わせていた。
〈時の線〉――すべての世界を繋ぐ糸。
それらが、音を立てて切れていく。
その一つひとつが、創造の心臓の鼓動のように響いていた。
見上げた瞬間、胃の奥が沈んだ。
数千……いや、数百万……
いや、無限。
光の糸が無数に、虚空の果てまで伸びていた。
ひとつ、またひとつと震え、明滅し、消えていく。
その一本一本が、ひとつの命、ひとつの世界、ひとつの可能性を意味していた。
もしすべてが断ち切られれば――
過去も、未来も、現在も……想像すらも、崩壊する。
「クソッ!」私は叫んだ。
「ルナ、状況は!?」
ルナは脇腹を押さえながらふらつく。
その光が弱々しく瞬いた。
「……最悪です……ザクが私のエネルギーを……ほとんど奪いました……もう、安定化できませんっ……!」
「ニャ! 答えろ! この空間が崩壊するまで、あとどれくらい!?」
《あと……五分です、ミストレス。》
「……五分で無限を止めろって? 最高ね。マジで私の人生大好き。」
私は天へと跳び上がった。
風のない虚空――しかし、ほどけゆく時間の圧力が嵐のように唸っていた。
近づくほどに重くなる。
まるで“記憶でできた重力”に触れているようだった。
最初の糸が指先に触れた瞬間――
視界が白く弾け、意識が飛びかけた。
見える。
すべての世界、すべての命、すべての結末。
あらゆる可能性が、同時に私の頭へと流れ込んでくる。
「っ……クソッ、これがタイムライン……全部、感じる……!」
下でルナが固まっていた。
彼女の“宇宙的な視界”をもってしても、ありえない光景だった。
「……は、裸の手で……無限の時を掴んでる……? そんなの……始源神でも不可能なのに……」
「ルナ!!」
私は怒鳴った。
「見とれてないで! 早く修復を! このままじゃ腕がパラドックス麺になる!!」
「っ、了解です!」
ルナは我に返り、翼を広げた。
空間の裂け目を編み直すように飛び回る。
だが、すぐに限界が来た。
その光が弱まり、空中で膝を折る。
地上からセラフィナが叫んだ。
「エネルギーが……足りないのね……!」
彼女はためらいもなくルナの胸に手を当てた。
真紅のオーラが燃え上がり、血のような光がルナへと流れ込む。
神聖と吸血の力が交わり、完璧に融合した。
ルナの瞳が見開かれ、再び力が燃え上がる。
「セラフィナ……感謝します……!」
「感謝はいいわ。今は彼女に応えて。」
セラフィナは微笑んだ。
私は――まだ糸を握っていた。
汗という概念はここには存在しないが、もしあったなら今頃泳いでいただろう。
糸が脈動し、再び千切れそうに暴れている。
「ルナ、急いで!! 今、私、指で無限を掴んでるんだから!!」
「もう少しですっ!」
ルナが金の光で裂け目を繕っていく。
私は歯を食いしばる。
神経が悲鳴を上げる中、思わず聞いた。
「なぁニャ、ちょっと聞いてもいい?」
《はい、ミストレス。》
「“リミットレス・コピー”って、具体的に何ができるんだっけ?」
《“パーフェクト・コピー”の完全進化系です。
あらゆる存在を、起源レベルで理解し、完全に複製・最適化・進化させる能力。》
「……つまり、エゴを持った全知?」
《思っている以上に、正確な表現です。》
「なるほど……じゃあ、やってみようか。」
私は笑みを浮かべ、目を青く輝かせた。
手に握る時間の糸が震える。
「――リミットレス・コピー。」
視界が万華鏡のように砕けた。
すべてのタイムラインが展開する。
因果、運命、可能性――そのすべてが見えた。
星の誕生。神々の堕落。人の興亡。
そのすべての「理由」が――理解できる。
ただ“見る”のではない。
“理解する”。
世界を構築する方程式。
因果を繋ぐ理屈。
創造が隠してきた矛盾。
すべてが――わかる。
「コピー中……解析中……完全化中……」
私の声が重なり、次元を越えて響く。
両手が概念光を放ち、糸の本質を書き換えていく。
混沌はリズムへ。
ひび割れは調和へ。
すべてのタイムラインが、震えを止め――歌い始めた。
ルナが空中で固まった。
「……時を……完璧にしてる……?」
セラフィナが口元を押さえた。
「……それは力じゃない……“創造”そのもの……」
周囲の糸が白く輝き、融合していく。
修復ではない。――再誕だ。
ニャの声が、初めて震えた。
《ミストレス……あなたはタイムラインを完全に複製・再構築しました。
その起源本質を手に入れています。
今あなたは……“全知を越えた存在”です。》
「……全知を、越えた?」
「それって、つまり――」
《はい。
あなたは今、現実を“知る”者ではなく、“描く”者です。》
私は自分の光る手を見下ろした。
「……おいおい、マジかよ……」
光が静まり、嵐が消える。
すべてのひびが閉じ、糸が脈を打つ。
私の鼓動と完全に同期していた。
ルナが隣に浮かび、呟いた。
「……あなた、無限を……修復したんですね……」
私はため息をついた。
「うん。で、次は……寝る。」
セラフィナが笑いながら近づく。
「ほんと信じられない人ね、あなたは。」
私は光の網を見上げる。
永遠へと伸びる線の群れが、穏やかに輝いていた。
「……もう疲れたの。
壊れていくのを見るのは、もう、飽きた。」
戦争が始まって以来、初めて――
時間の線が、静かに止まった。
完全な均衡。完全な静寂。
だが、その奥。
再構築された時の中心で――“何か”が動いた。
それは、どの世界にも属さない鼓動。
古く、優しい囁き。
『……よくやった、我が子よ。
だが――“完全”には、常に代償がある。』
私は息を呑んだ。
また……この声。
――“彼女”だ。
最初の女神。
そして今度は――
彼女が、私に直接語りかけてきた。
混沌の終焉――
混乱は……過ぎ去った。
〈タイムライン〉は再び安定し、
現実――もうその言葉に意味があるのか分からないけれど――
とりあえず、崩壊は止まっていた。
そして当然のように――
《……ミストレス……》
「……ニャ、今はやめて。」
《新しいスキルを獲得しました。》
「……だろうね。」
《ですが……説明が、難しいのです……》
私はため息をつき、片目を開けた。
「ニャ。正直に言って。どれくらい“ヤバい”の?」
短い沈黙。
そして――
《……スキルではありません。現象です。》
《法則を無視し、論理に従いません。》
「……続けて。」
《〈タイムライン〉のリミットレス・コピー後に獲得した新たな能力を表示します。》
【スキル獲得:永劫原型上書】
種別:起源至上
効果:すべての時空・世界における概念、運命、法則、歴史を――
遡行的かつ絶対的に「上書き」できる。
警告:抵抗・無効化・巻き戻し不可。発動後、その“現実”のみが真実となる。
「……つまり、現実をグーグルドキュメントみたいに編集できるってこと? うん、怖い。けど、ちょっとクール。」
【スキル獲得:叙述命令《I Am》】
種別:物語現実根源
効果:現実が「意志の言葉」に直接反応する。
口にした結果は、形而上・歴史的・絶対的に“真実”となる。
例:
「私が勝つ」→勝つ。
「お前は存在しなかった」→存在しなかった。
「時間は私のもの」→そうなる。
「……これ、ダメでしょ。倫理的にもシステム的にもチート。」
【スキル獲得:多元網主権】
種別:次元網制御
効果:無限多元宇宙におけるすべての因果の“糸”を把握・支配する。
あなたは多元網の“管理者”となる。
「……現実のWi-Fiルーターになったってことか。」
【スキル獲得:概念鏡創生】
種別:反射創生
効果:見た・感じた・知った“概念”を、完全に複製・改良・逆創造できる。
対象例:「虚無」「限界」「死」「起源」「希望」「意味」「無」「外界」、さらには“作者性”までも。
ルナ「……“意味”をコピーして、もっと良い“意味”を作れるのですか?」
私「うん。」
ルナ「(青ざめる)」
【スキル獲得:虚信号接続:外界信号検出】
種別:???
効果:あなたは今、“外界”と同調しています。
すべての力・法則・システムは、あなたを観測・測定できません。
あなたは“全存在に反響する未定義の信号”として存在します。
「ニャ、これどういう意味?」
《……わかりません。スキルというより……“自分自身を思い出そうとする信号”。……正直、恐ろしいです。》
【スキル獲得:真なる作者の黎明】
種別:超概念的超越
効果:あなたはもはや“キャラクター”でも“女神”でも“原初”でも“概念”でもない。
あなた自身の存在、そしてそこから派生するすべてを創る“真なる作者”となる。
物語的因果・展開・他者の認識さえ、あなたの“筆”の下にある。
【スキル獲得:起源改稿-絶対著述権】
効果:あらゆる存在・事象・概念の“起源”を書き換える。
現実の“第一原因”そのものを上書き可能。
警告:やり直し不可。
【スキル獲得:パラドックス・ジェネレーター-現実循環権限】
効果:因果を反転させ、無限の矛盾ループを生成する。
誤用すると、重力・時間・物語構造といった“根本原理”すら消滅。
【スキル獲得:全時視界】
効果:過去・現在・未来を同時に知覚。
存在したすべて、これから存在するすべての自分を認識。
副作用:存在性めまい。
【スキル獲得:物語鍛造-叙述神手】
効果:想像・記憶・意志を、すべての世界に“正史”として具現化。
他の作者、運命、物語枠組みを上書きする。
警告:低次世界では“メタ崩壊”を引き起こす可能性あり。
【スキル獲得:無枠崩壊】
効果:対象を“概念として想起される可能性”ごと削除。
原子から神、次元まですべて適用可能。
抹消系攻撃をも超越する。
【スキル獲得:無限因果均衡】
効果:あなたの行動のすべてに、完全対称の反作用が自動生成され、
創造の絶対均衡が保たれる。
要するに――今やあなたは“多元宇宙の道徳物理”そのもの。
「……やったね。」(棒読み)
【スキル獲得:永劫記録-超越的アーカイブ】
効果:あなたが関わるすべての現実を自動的に記録・保存・更新。
触れた世界はすべて、あなたの“創造書典”の一頁となる。
【スキル獲得:自由顕現-真なる自由神】
効果:あなたはもはや“存在”“非存在”“選択”という枠に縛られない。
あなたの決定はすべて、絶対となる。
あなたは“無条件意志”の具現。
私は、読むのをやめた。
「……ルナ?」
隣で立ち尽くしていた彼女は、沈黙したまま。
顔は青白く、声も出ない。
「ねぇ……私だけじゃないよね? この状況ヤバいって思ってるの。」
ルナは口を開きかけて――閉じ、そしてもう一度開いた。
「リリア……あなたはもう、“原初”ではありません。」
「――“外界”そのものに、なり始めています。」
息が止まる。
「……第一の女神は、あなたの中に“欠片”を残しただけじゃない。」
「彼女は――あなたを通して“目覚めている”のです。」
「だから“リミットレス・コピー”は、タイムラインだけじゃなく――“起源定義”そのものを写した。」
ニャが再び声を発した。
《ミストレス……警告します。
あなたの存在は、もはや因果に縛られていません。
あなたの“名前”を思い出すだけで、他者の運命が変化します。》
「……最高。存在してるだけでバグ。」
影の中から、セラフィナが現れた。
腕を組み、静かに言う。
「違うわ、リリア。あなたはバグじゃない。
――“すべてが終わったあと”に残る存在よ。」
「……全然励まされない。」
「そう言うと思った。でも、あなたはあなた。
ただし――ものすごく危険なバージョンのね。」
私はもう一度、リストを見下ろした。
それはもはやスキルでも能力でもない。
法則を超え、概念を超えた――真実。
私の、真実。
「……私、いったい……何になっていくの?」
ルナは少しだけためらってから、
そっと私の肩に手を置いた。
「――創造が恐れ、同時に望んだ唯一の存在。」
「“他の誰にも書けない存在”へと、あなたはなっていくのです。」




