第75話 その 目覚めた原初
15分前
想像世界の空気が、液体の星光のように揺らめいていた。
現実はゆっくりと曲がり、そして元に戻る――まるで宇宙が私を通して呼吸しているかのように。
何時間、あるいは何世紀にも感じるほど、私は沈黙の中に立ち、時間が溶けていくのを感じていた。
だが――それは「何時間」ではなかった。
ようやくニャに尋ねると、彼女の声が頭の中に響いた。穏やかで、何でもないような口調で。
【ミストレス、あなたはここに六十万年いました。】
「……はああああっ!?」
私の叫びの反響が次元全体に広がり、草原を押し潰し、頭上の星々を散らした。
こめかみを押さえながら歩き回る。
「六十万年!? ニャ、私は一日くらい休むつもりだったんだぞ! 時代を跨ぐつもりなんてなかったのに!」
【ここには時間という概念が存在しません、ミストレス。ここはあなたの想像世界です。時間の流れは絶対であり、あなたが支配しています。ですが外の世界では……十五分しか経っていません。】
私は固まった。
「じゅ、十五分?」
【その通りです。】
深くため息をついた。
「なるほど。私、超・精神と時の部屋の悪いバージョンに住んでるってことね。最高。」
その“時間”のすべてを、私は訓練と回復、そしてあらゆる知識の完成に費やした。
神聖の技、死霊の技、時間の技、深淵の技――すべて習得し、精錬し、“完全なるコピー”と融合させた。
だが、ひとつだけ問題が残っていた。
ニャの声が静寂を切り裂いた。いつものように容赦なく。
【今の全スキルをもってしても、ミストレス、あなたの力は昇神級のままです。このままではザックには勝てません。】
私は歯を食いしばった。
「分かってる。奴は時の流れそのものから絶望を吸収してる。存在自体が矛盾――破壊を糧にしてる。」
【その通りです。】
私は光る地面に映る自分の姿を見つめた。白い髪が金の筋を帯び、瞳が淡く光る。
何かがまだ足りない。何か――超越したものが。
「このままじゃ倒せないなら……」
拳を握ると、思考だけで世界がわずかに震えた。
「進化するしかない。原初へと。」
ニャが一瞬、強く光った。
【ミストレス……それは選べるものではありません。原初の核を持つ存在だけが、他を覚醒させられるのです。】
「なら、ここに連れてくるだけ。」
反論が来る前に、私は手を掲げ、古い力のひとつを呼び出した。
「――神々の声(Voice of the Gods)。」
想像世界が脈動し、空が黄金と紫に染まる。
現実が二本の光の線となり、私の前に降りてきた。
ひとつは穏やかに――夜明けが宇宙を照らすように降り注ぐ。
空気が春の香りで満ち、あらゆる魂の囁きが漂った。
その光から、一人の女性が現れた。
流れる銀髪、紅に輝く瞳、そして静かに、永遠の叡智を宿す表情。
彼女は美と重みを併せ持っていた――生と死が彼女の微笑みの両側にあるように。
もう一方の光は、混沌そのもののように空を裂いた――炎、雷、笑い声が混じり合って。
そこから現れたのは一人の男。黒いジャケットの袖は裂け、白髪には影が走り、瞳は太陽と虚無の衝突のようだった。
彼の剣は山よりも長く、その笑みは理性より鋭かった。
二人の原初が私を見つめ、興味深そうに口を開く。
女の声は古代の旋律のように滑らかで、完璧だった。
「これは予想外ね。凡人が私を呼ぶなんて。あなたが“コピーの女神”かしら。」
紅の瞳が細くなる。「……いいえ、少し違うわね。あなた、もっと古くて、もっと野生的。」
私は微笑んだ。「まあ、ちょっとアップグレードされたって言えるかな。」
男が雷鳴のように笑った。
「ハッ! 根性あるじゃねえか。俺たちをペットみたいに召喚するとはな。気に入ったぜ。」
彼は気まぐれに剣を振り、空間の布を裂いた――理由なんてない。ただできるからだ。
「名なんてどうでもいい。好きに呼べ、女神様。」
「じゃあ……」私は腰に手を当てて言った。
「あなたはフレイ、そしてそっちのあなたは……ローグでどう?」
ローグは笑みを広げた。「へっ、悪くない響きだな。」
フレイは首をかしげる。「名は儚いもの。でも……認めましょう。」
「よし。」私は手を組んだ。「呼んだ理由は単純よ。助けが欲しいの。」
フレイが眉を上げる。「私たちに助けを?」
ローグが剣を肩に乗せた。「どうせ馬鹿げた計画だろ。」
「馬鹿じゃない、必要なの。」
私は二人を見た。「ザック――絶望の玉座。あいつが時の源のクリスタルを汚染した。無限の世界の時線を喰らいながら、絶望を力にしてる。私は戦った。でも、今の私じゃ勝てない。」
二人の表情が笑いから真剣に変わる。その重みを、彼らも理解したようだった。
フレイの声が静かに響く。「それで……私たちを“コピー”したいのね?」
「コピーじゃない。」私は訂正した。「完全に“再現”したい。あなたたちの概念を私の中に融合させる。昇神から原初へと進化するために。」
沈黙。
そしてローグが再び笑い出す。
「根性あるな、お嬢ちゃん。基盤のカオスを弄ぶつもりか!」
フレイはため息をつく。「そして生と死の輪廻も。少しでも誤れば、魂が消滅するわ。」
私は肩をすくめた。「そんなの、初めてじゃない。」
二人は互いに視線を交わし、無言で理解を交わす。
やがてフレイが微笑んだ。「無謀だけど……その信念は純粋ね。いいわ、見せてもらおう。あなたの価値を。」
ローグがにやりと笑う。「やっと退屈しない相手ができた。」
彼らが一歩踏み出すと、空気が重くなり、世界そのものが震えた。
フレイが手を差し出す。「私は輪廻。生、死、再生、因果。宇宙を回す車輪。」
ローグが笑う。「俺は矛盾。その車輪をぶっ壊す混沌だ。」
私は微笑み、手を伸ばした。「そして私は、ルールそのものをコピーする者。」
三人の掌が触れ合った瞬間――世界が白に染まった。
エネルギーが爆発し、現実を何層もの次元へと裂いた。
想像世界が光と混沌と魂のフラクタルに変わり、生が死を生み、死が生を生み、混沌がその間で踊る。
身体が溶け、再構築され、また溶けた。魂は叫び、そして歌った。
生命、死、秩序、混沌、想像、存在――あらゆる概念が渦を巻き、私の内に崩れ落ちた。
宇宙が私を通して折り畳まれ、私の本質を書き換えるのを感じた。
フレイの声が頭の中に響く。
【輪廻を受け入れるか?】
ローグの笑いが重なる。
【矛盾を受け入れるか?】
私は目を開いた。金と紅の光がそこから溢れた。
「両方、受け入れる。なぜなら――私は自由だから。」
爆発が次元を砕いた。
光が消えたとき、私は中心に立っていた。
髪は純白に、銀と金の筋を帯び、瞳には銀河と深淵が映っていた。
背からは光と影の翼が伸び、鼓動ごとに形を変えた。
足元の大地はもはや草ではなく――創造そのものだった。
ニャの声が、初めて震えた。
【おめでとうございます、ミストレス。
あなたは“原初”へと進化しました。】
私は息を吐き、微笑んだ。「……これがその感覚か。」
フレイが静かに頭を下げた。「美しい。あなたは私たちすら超えたわ。」
ローグが剣をくるりと回す。「こいつは最高のアップグレードだな!」
私は手を握り、無限の世界の鼓動を感じ取った。
「さあ、ザック。遊びは終わりよ。」
世界が崩壊し、物質界へと還っていく。
「始めたのはあなた――終わらせるのは私。」
一歩踏み出すと、空間が波打った。
自由の神――原初として再誕した私が、絶望を終わらせるために戻っていく。
すべてが――静寂に包まれた。
それは安らぎの静けさではない。
存在そのものが「呼吸の仕方」を思い出す前の、あの沈黙だった。
私は瞬きをした。
その一瞬、想像宇宙の星々が凍りついた。
そして――私の口から、私のものではない声が零れた。
「……興味深い。原初の中にあっても、この器は秩序を超えて進化するとは。やはりお前は特別だ、リリア・フォスター。」
視界が滲む。
フレイの紅い瞳が見開かれ、ローグの笑みが消えた。
「え、ちょっと? 二人してなんでそんな顔してるの? 私、今なんか次元でも増えた?」
フレイが慎重に一歩近づいた。彼女のオーラが、生と死の狭間で揺らめく。
「今の声……あなたのものじゃないわ。」彼女は囁いた。
「あれは――“彼女”の声。第一の女神。あなたの中で目覚め始めている。」
「……は? ちょ、ちょっと待って!? 彼女が――私の中にいる!?」
私の声が九層の現実を突き抜けた。ローグが口笛を吹く。
「どうやら噂は本当だったらしいな。『自由の原初』は滅んじゃいなかった――お前と融合したんだ。おめでとう、嬢ちゃん。創世最古の存在を体内にルームシェアしてるわけだ。」
私は呆然と立ち尽くした。
「え、あの、これって……心配したほうがいいの?」
フレイが腕を組む。
「進化の儀式のあと、あなたの魂はただ昇華したわけじゃない。私たちにも理解できない“何か”を解き放ったの。彼女はまだ完全には覚醒していないけれど……その火種は確かにある。『外側』があなたの中に宿っている。」
そのとき、ニャの穏やかなハミングが空気を震わせた。
【ミストレス、進化後の解析が完了しました。】
「よし……」私はこめかみを押さえた。「お願い、今度は脳が爆発しない結果であってほしい。」
【不明です。】
「……完璧ね。」
スキルシステム再構成
【旧スキル → 進化形】
〈コアスキル〉
パーフェクト・コピー → 無限なるコピー
元素支配 → 真・元素王国
原初の炎の肉体 → 創世炉の肉体
神聖絹創造 → 万象の絹紡ぎ
絶対重力 → 特異点創造
完全分身 → 超越分身
無限魔力織り → 概念流マナ
全感覚 → 無限知覚
概念魔法制御 → 概念魔法創造
真なる因果視 → 全知の視界
無限の力 → 無境界の力
原初戦闘理論 → 完全なる修練
〈死霊術系〉
死霊支配 → 星々の死神
絶対死軸 → 完全なる死神
不死の支配 → 真なる不死の女王
超呪詛典 → 呪いの創造者
永劫魂支配 → 魂の神
究極不死意志 → 冥府の王意
〈神聖権能〉
神の権能 → 真なる神性
聖なる領域 → 天の法
神々の声 → 真・絶対の声|神々の王|現実の権化
〈時空術〉
時の支配 → 時空の女神
因果権能 → 因果の支配者
時代改変 → 真・逆転と改変
〈深淵術〉
深淵鎮魂歌 → 深淵の女王|
世界喰らい → 魂喰らい
想像世界 → 想像宇宙
虚無支配 → 真・虚無
【新たに獲得した能力】
真なる転生
真なる陰と陽
宇宙の意思
完全なる円環
混沌創造者
理破壊者
必然的超越
虚想なる虚無
【分類更新】
真なる原初 ― 自由の神(THE GOD OF FREEDOM)
私は目の前に浮かぶホログラムのリストを見上げた。
「……ちょ、これ何!? 怪物図鑑かよ!?」
ローグが腹を抱えて笑い出した。
「スキルリストじゃねえ! 宇宙兵器庫だろ、それ!」
フレイが静かに微笑む。
「あなたは原初ですら縛られる“限界”を超えたわ。あなたは――“外の外”に到達したのよ。」
私は光る床に崩れ落ち、髪をかき上げながらため息をついた。
「つまり……第一の女神の転生体になって、“外側”の断片を宿し、ついでに創造のスキルシステムを書き換えたってこと?」
ニャが陽気にビープ音を鳴らした。
【要約、正確です。】
「……最高ね。全然プレッシャー感じないわ。」
フレイが天を仰ぎ、ヴェールの向こうにある世界の震動を感じ取った。
「ザックが、この力を感じ取るのも時間の問題ね。」
ローグが剣を肩に担ぎ、笑みを浮かべた。
「感じさせてやれよ。――“自由”が、今、目覚めたんだから。」
そして崩壊する時の狭間で、
ザック――絶望の玉座が、笑いの途中で凍りついた。
無限の光の波が虚空を裂き、
永劫の時を経て――
初めて、絶望が「恐怖」を知った。




