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新しい女神  作者: ジュルカ
フェスティバルアーク
209/217

第207話 権力の一端

翌日は、少しだけ静かだった。


神もいない。

戦争もない。

会議だと叫ぶ王国の使者も来ない。


ただ、都の外れに広がる静かな草原と、青と白のドレスを着た少女と、この世界で怯えずに生きていく術を教えるという、ひとつの素朴な目的だけ。


アリスはまだ……壊れやすかった。


身体はもう大丈夫だ。歩ける。食べられる。時々、無理をせずに笑うこともできる。


けれど、心のどこかに“びくつき”が残っている。

気を抜いた瞬間、空が落ちてくると信じているみたいに。


だから私は、彼女に“確かなもの”を与えることにした。


魔法だ。


「よし」

私は腰に手を当てて彼女の前に立つ。

「今日は訓練だ」


アリスはぱちぱちと瞬きをして、緊張したまま頷いた。

「は、はい」


ルナは少し離れた場所で腕を組み、半分閉じた目で立っている。守護者の像みたいに無言で、ただ状況を観察していた。

参加はしない。ただ、危険評価をしているだけ。


ニャは草の上に少し浮かび、誰にも見えない簡易図式を投影している。


そしてアリスは――

“失敗を許されたことのない生徒”のように、私の前に立っていた。


私はしゃがみ、彼女と目線を合わせる。


「始める前に」

「基礎を理解しないといけない」


アリスは真剣な目で私を見る。


「魔法はただの道具じゃない」

「宇宙の構成要素そのもの。世界とあなたを繋ぐもの。物質的なものも、概念的なものも全部だ」


私は軽く彼女の胸に指を当てた。


「意志が現実と握手する方法。それが魔法」


彼女は息を飲む。


「でも……やり方が……」


「だから私がいる」

私は小さく笑う。

「まずは火だ」


アリスは少し身構えた。


私は手を上げ、小さな炎を灯す。

危険ではない、ただ温かい光。


「火を“破壊”だと思わないで」

「動き。熱。エネルギー。反応だ」


彼女はゆっくり頷く。


「目を閉じて。無理に引き出そうとしなくていい。自分のマナを“感じる”だけ」


彼女は従った。


しばらく沈黙。


やがて眉が寄る。


「……なにか、ある」

「川みたい」


「いいね」

「それを手のひらへ。押すんじゃない。流す」


アリスは震える手を上げた。


一度目。何も起きない。

二度目。沈黙。


肩が落ちる。

「ごめんなさい……」


「却下」

即答した。

「謝罪禁止。これは試験じゃない。練習だ」


頬を赤らめて頷く。


再挑戦。


数分。

一時間。


彼女は必死だった。世界を力で従わせようとするほどに。


そして――


ぱちっ。


ほんの小さな火花。

蛍ほどの光。


でも、確かにそこにあった。


アリスは目を見開く。

「できた!」


私は笑った。

「できたな」


その笑顔は小さい。でも、本物だった。


「次。水」


火は本能。

水は忍耐。


温度の変化、圧力、流動のイメージを教える。


時間はかかった。


けれど最終的に、小さな水滴が宙に浮かんだ。震えながらも、確かに存在している。


彼女は泣きそうな顔で笑った。


「上出来。火と水が使える初心者は多くない」


次は土。


全滅。


地面をじっと見つめるアリス。

地面は微動だにしない。


風。


彼女は気まずそうに手を振る。

通り過ぎた風は、たぶんただの自然現象。


「私、下手すぎる……」


「違う」

「学んでるだけ。土は安定。風は意志。火と水は感情系だ。そっちの方が今のあなたには繋がりやすい」


「感情……?」


「火は情熱、水は想い。土は安定、風は自由」


彼女はぼそっと呟く。

「風の方が簡単そうなのに」


「そうでもないらしい」


昼過ぎ、彼女は疲れ切った。


休憩。


私は木にもたれ、水を飲みながらアリスを見る。


彼女は草原を走り回る。

花を摘み、蝶を追い、思い出すみたいに笑う。


ニャは少し離れて観察。爆弾を見る科学者みたいな目。


「まだ分析してるのか?」


「対象は不安定」


「人間だ」


「人型の存在的危険物」


ため息。


その時だった。


空気が変わる。


ルナが即座に顔を上げる。

ニャの瞳が細まる。


私の本能が警鐘を鳴らす。


森の影から、それは這い出た。


巨大な影の蜘蛛。


煙が骨格に閉じ込められたような身体。

長すぎる脚。赤く光る目。


捕食者。


アリスが凍りつく。


花が手から落ちた。


そして、叫ぶ。


走る。


「リリア!」


ニャの声が脳内に響く。


【警告。敵対個体確認。目標:アリス。接近中】


思考より先に身体が動いた。


「アリス!」


彼女は転ぶ。


蜘蛛が迫る。


脚が振り上がる。


アリスの叫びが――爆ぜた。


それは普通の悲鳴じゃない。


世界そのものが驚いて目覚めたような音。


空間が裂ける。


衝撃波。


草が倒れ、木が軋み、地面が震える。


そして蜘蛛は――


蒸発した。


焼かれたわけでも、切られたわけでもない。


存在がほどけた。


一瞬で。


静寂。


私は止まり、消えた地点を見る。


そしてアリスを見る。


彼女は震えている。何が起きたのか理解できていない目。


駆け寄る。


「怪我は?」


涙を流しながら首を振る。


「食べられると思った……」


「もういない。安全だ」


彼女は呟く。

「……私が?」


答える前に、ニャの声。


【解析完了。アリス・クリムゾンの休眠権能が覚醒。恐怖刺激による発動。最低出力:大陸規模衝撃波】


胃が重くなる。


大陸規模。


悲鳴で。


「ごめんなさい……」


「謝らない」

私は強く、でも優しく言う。

「誰も傷つけてない。自衛だ」


「危険になりたくない……」


抱きしめる。


「だから訓練する。制御を覚える」


ニャが近づく。

「評価を再計算する必要がある」


「どうでもいい」


「不安定化した場合――」


「安定させる」

「彼女は武器じゃない。神に狩られた少女だ」


ルナが静かに言う。

「覚醒した」


「ああ」


「油断するな」


「しない」


アリスが涙を拭く。


「……続けてもいい?」

「もうあんな叫び、出したくない」


胸が柔らかくなる。


「もちろん」


私は空の地平線を見る。


そして彼女を見る。


ようやく理解した。


神々が彼女を鎖で縛った理由。


悪だからじゃない。


恐怖が、偶然に世界を壊せるから。


彼女に必要なのは呪文だけじゃない。


勇気だ。


もし恐怖のたびに力が目覚めるなら――


世界は彼女の悪夢に耐えられない。


でも私は耐える。


私が、支えるから。


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