第118話 アビスキングの牢獄
冷たい石。
滴る水音。
鉄の味がするほど濃い闇。
――それが、目を開いたとき最初に感じたものだった。
頭はズキズキとうずき、
体はまったく動かない。
手首、足首、腰、そして首にまで巻きつく鎖。
紫の不気味なルーンが淡く光り、魂へ食い込むように締め付けてくる。
「……は? なにこれ……?」
もがく。
……動かない。
物理的な拘束じゃない。
概念そのものを縛る鎖だ。
そのとき、Nya の声がかすかに響いた。
[警告──ユーザーは “アビス絶対鎖” に拘束されています]
[この拘束は、神性・時間・深淵・原初システムをすべて上書きします]
「はああああ!? ウソでしょ!!」
パニックになりかけたその瞬間――
コツ……コツ……。
ゆっくりと響く足音。
落ち着き切った、しかし底知れぬ恐怖をまとった歩み。
闇の奥から現れたのは、
黒曜石の王衣をまとい、
脈動する黒冠を戴いた男。
彼が現れた瞬間、
世界の形が歪んだ。
存在そのものが彼を恐れて縮み上がるような――そんな圧倒的存在感。
アビスキング。
その背後には五つの影。
どれも原初級の力を放つ異形の王たち――アビスの玉座。
男が口を開く。
「……目覚めたようだな。」
声が、冷たい刃のように空間を裂く。
私は睨みつけた。
「は!? なんで私、SCPみたいに拘束されてんの!? 離してよ!!」
男は片手を軽く上げた。
鎖がさらに締まる。
全身を魂ごと貫く激痛。
「――ッッっ!」
「もがくのは構わん。」
アビスキングは実に退屈そうに言った。
「だがその鎖は、お前の“存在”そのものを縛っている。どう足掻いても無駄だ。」
歯を食いしばり、震えを抑える。
彼は牢の鉄格子に近づきながら告げた。
「お前は、我々が “星山” にたどり着くために必要だ。」
目が見開く。
「は……? なんで私が!?」
アビスキングは喉の奥で笑う。
古代の悪意を含んだ、低く深い声。
「ウィッシュスターは “源泉” と繋がっている。」
私は息を呑んだ。
「そ、ソース……?
創造様が生まれたあの場所……?」
「そうだ。第一女神の領域の欠片だ。」
アビスキングの影が生き物のように揺れる。
「その星はサブゾーンの神々によって封じられ、
“源泉に縁を持つ者” 以外は近づけん。」
彼の視線が、私の魂の奥を抉る。
「つまり――お前だ。
第一女神の器たる、お前が。」
血の気が引いた。
そこへ、眼鏡の男が一歩前へ。
静かで上品な雰囲気なのに、存在が恐ろしい。
智座ルシファロ。
「ウィッシュスターの守護者は、原初をも超える存在です。」
彼は淡々と言う。
「我らの王でさえ、単独では勝てません。」
「守護者……?」
私は声を震わせた。
「し、創造より強いの……!?」
ルシファロは微笑すら浮かべずに頷く。
「守護者は “階層の外” の存在。
創造ですら、その前では自由に動けません。」
吐き気がした。
アビスキングの瞳が細くなる。
「だが、お前ならば――
守護者はお前を “第一女神の継承者” と認識する。」
その言葉に、思考が飛んだ。
「そして、お前が門を越えた瞬間――
守護者の防御が下りる。」
ルシファロが続ける。
「その隙に……我々は “奪う” のです。」
心臓が嫌な音を立てた。
「……な、何を……?」
アビスキングは片手を上げ、闇の炎を指先に灯す。
「“源泉と直接繋がる願いの力”だ。」
声が深く、暗くなる。
「それさえあれば――
私は本来の姿に戻り……
創造と破壊のすべてを喰らう。」
背後の玉座たちが、狂気と欲望の笑みを浮かべた。
私は呟いた。
「……つまり……
私を “鍵” に使う気なんだ……」
「その通りだ。」
「絶対イヤに決まってるでしょ!!!」
返事はなかった。
代わりに彼は、牢の外へ目を向けた。
「ニリス。来なさい。」
小さな息の音。
暗がりから、少女が一歩進み出た。
黒髪に銀の差し色。
青いアビス光が揺れる瞳。
胸に小さなぬいぐるみを抱いて震えている。
アビスキングが手で示す。
「私の娘だ。」
「は!? む、娘!?!?」
少女――ニリスはおそるおそるこちらを見つめる。
恐怖と好奇心が入り混じった瞳。
ルシファロが静かに補足する。
「彼女が言っていた “新女神” が、あなたです。」
ニリスの目が大きく開く。
「だ……第一女神様の……継承者……?」
私は戸惑う。
彼女の目には敬意と恐怖、そして――
孤独があった。
アビスキングは背を向ける。
「行くぞ。準備を始める。」
玉座たちが続く。
ルシファロは不気味な微笑を残して去った。
「抗うだけ無駄ですよ、リリア・フォスター。
守護者はあなたを待っています。」
扉が閉まり、闇が戻る。
残ったのは、ニリスだけ。
彼女はぬいぐるみを握りしめ、
小さな声で言った。
「ご、ごめんなさい……
父さん、いつもやりすぎなの……」
震える声。
悪意はない。
残酷さもない。
ただ――
この子もまた、囚われている。
私は息を整え、微笑んだ。
「……ニリス、だよね?」
こくりと頷く。
鎖で痛む腕を少しだけ前へ伸ばす。
「お願い。
……私を助けてくれない?」
ニリスは固まった。
目が揺れる。
恐怖。
葛藤。
そして――どこかに小さな希望。
震える声で答えた。
「わ、私……できるかわからない……」
それでも――
彼女は逃げなかった。
それだけで確信した。
このアビス界で一番危険なのはアビスキング。
そして――
鍵を握っているのは、彼の娘ニリスだ。




