第116話 アビエス王の訪問
最初に耳へ届いたのは――
焚き火のぱちぱちという音だった。
次に聞こえたのは――
“この世界のものではない”低い唸り声。
アレックスとの魂の戦いの余韻がまだ身体に残っていて、
第一女神の声が脳裏に残響している。
けれど――夜気が、おかしい。
冷たすぎる。
重すぎる。
まるで“世界そのもの”が息を潜めているようだった。
そして――
「……目覚めたか、小さき火花よ」
葬送の鐘のような低い声が、キャンプ場を揺らした。
全身が硬直する。
闇の中から、何者かが“歩み出た”。
足音はない。
気配もない。
ただ、現れた。
まるで“現実”が遅れて彼を思い出したように。
黒の王装を纏い、
影の墨のような長い髪を揺らし、
砕けた黒曜石の冠を戴き、
瞳は――死にゆく星の光。
ニャが叫ぶ。
だが、解析は追いつかない。
【警告:データなし。存在の定量化が不可能】
【一致:アビス・キング】
血が凍る。
「お、お前……アビスキング……?」
彼は笑った。
「“アビスキング”などと単純化するな。
私は原初の王――お前の“第一女神”が、存在の黎明で滅ぼした者だ」
そして――動く。
動いていないのに、近づく。
一瞬前まで20メートル先にいたのに――
次の瞬間、私の耳元で囁いていた。
「久しいな……新たなる女神よ」
魂が拒絶する。
私はソーラーフレアで視界を焼き、後方へ跳ぶ。
剣を構え、息を荒げる。
彼は――瞬きすらしない。
ただ、木剣を振り回す子どもを見るかのように、愉快そうに私を眺める。
「お前の転生は面白い。
だが未熟だ。
第一女神はまだ目覚めていない」
彼が手を上げた。
――世界が砕けた。
キャンプは消えた。
森も、空も、地面も。
代わりに現れたのは――
滴る闇が渦巻く、巨大な黒のドーム。
彼の“領域”。
ニャが絶叫する。
【危険:この領域での生存確率 0.0004%】
【推定被害:概念消去】
彼は、ただ私を見る。
悪意も、憎悪もない。
ただ……興味だけ。
「見せてみろ。
“本当の力”を使えぬ、お前がどこまで戦えるか」
歯を食いしばる。
「……いいよ。望むなら――!」
私は突っ込む。
剣が空を裂き――そして彼を斬る。
いや、影の残像を。
胸骨に、指が触れる。
――触れたただけで。
BOOOOOOM――!!!
身体が弾丸のように吹き飛び、
闇の壁に叩きつけられた。
肋骨が砕ける音。
痛みが爆発する。
「っ……!」
どうにか構えた瞬間、背後から――
CRACK――!!
蹴り上げられ、空へ。
世界が回転する。
何かが折れた。
多分、全部。
だが終わらない。
今度は上空から――
顔を掴まれ、地面へ叩き落とされる。
KRAAAAA-THOOOOOM!!!
クレーターが生まれ、領域が揺れる。
視界が白く瞬く。
頭蓋が割れ――再生し――また割れる。
転がろうとした瞬間、髪を掴まれ持ち上げられる。
「まだ本来の力を使っていないな」
「つ、使えないんだよ……! “みんな”との約束で……!」
「子どもたちか。
来たるものを何も知らぬ愚か者だ」
投げ捨てられた。
死体のように地面を転がり――
それでも、私は立った。
ふらつきながら。
血を流しながら。
ほとんど意識もないまま。
「……私は……まだ……負けない……」
「鬱陶しい」
彼が手を上げる。
闇が槍となる。
「《アビス・デストロイヤー》」
投げられたそれは――
私の胸に直撃した。
――世界が白く弾け飛んだ。
音のない爆発。
果てが見えないほど広大な破壊半径。
そして――
塵が晴れた時。
私は――立っていた。
限界の身体で。
揺らぐ魂で。
ほとんど視界もなく。
それでも、“倒れなかった”。
アビスキングの目が見開かれた。
「……まだ生きているのか」
私は血を吐き、笑う。
「倒れるのは……あんたを殴ってからだ……」
初めて――彼が眉をひそめた。
その時、彼の身体に“亀裂”が走る。
ニャの声が響く。
【警告:アビスキングの“物理層留在”が限界。
完全な力を保持できない】
彼の姿が、神のノイズのように揺らぐ。
「……ちっ。長くは居られんか」
――好機。
私は目を閉じた。
《全予視界》が発動する。
動き。
可能性。
確率。
その“ただ一つの隙”を見つけた。
動く。
速く。
速く。
もっと速く――!!
時間が歪む。
空間が割れる。
概念が軋む。
限界という概念を置き去りにし――
私は“そこ”へ辿り着いた。
拳に《無限の力》を収束。
「みんなのために――
――この世界のために!!!」
CRAAAAAACK――!!!
拳が炸裂した。
黒い雷が奔り、
領域がガラスのように砕け、
アビスキングが何層もの空間を突き破って吹き飛ぶ。
彼は実体世界へ転落し、
虚無の血を吐きながら地面に転がる。
私は――崩れ落ちた。
息も絶え絶え、
生命もほとんど残っていない。
それでも、意識を保っていた。
アビスキングは震える手で立ち上がり、呟く。
「……私に、一撃……?」
信じられないという声。
「この状態の私に、傷をつけるとは……」
ふと、私を見ると――
微笑んだ。
「さすが“第一女神の器”……実に、完璧だ」
そして一歩、近づく。
私の喉へ手を伸ばし――掴んだ。
世界が暗く沈む。
最後に耳へ届いたのは――
「さあ、新女神よ。
星々の山まで――私を導け」
アビスが私を呑み込み――
私は、消えた。




