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そうして一週間、グループ練習と個人練習を繰り返し、あっという間にゴールデンウィークとなった。
迫力ある演技や、感情の揺れの表現などを、たかが一、二週間で表現できるようになるわけもなく、アリーシャはとりあえず台本通りの台詞と、自分なりに決めた動きがとれるようになったというのが現状だ。
しかしそれもこのゴールデンウィークの間に忘れてしまいそうなのが怖かったりするわけで、就寝前に台詞を声に出して読み、動きを思い出しながらイメージトレーニングをするのがこの頃のアリーシャの日課だ。
日本のこの春にある祝日が並ぶ連休のことを、ゴールデンウィークと名付けたのが映画関係者だという話を聞いたことがある。
それを裏付けるかのように、日本のこの期間では、魅力的な映画の新作が放映されるスケジュールとなっていた。
アリーシャのこの連休は、バイトと、その映画をいくつか観ることと、そして皆とカラオケに行くことで予定が埋まっていた。
名に恥じぬ黄金週間の予定に、アリーシャの口角は自然と上がる。
この連休、ゴールデンウィークの他にも田植え休みなんていう呼称がるらしく、アリーシャが学校へ通う道すがらにある田んぼの、周囲にある水路に水が通り、冬の期間ずっとお休みしていた田んぼに水が張られ、所々に苗が植えられ始めているのが見られる時期でもある。
すぐそこに行けば都会のような街並みがあるのに、すぐ隣に田舎の風景が見られる。
そんなちぐはぐのようにも感じられる日本の街並みが、アリーシャはとても好きだった。
そんな日々の変化を感じながら迎えた今日は、皆でカラオケに行く日である。
全員の予定を確認し、十一時集合、ショッピングモールのフードコートで昼食を済ませ、その後カラオケという流れになっている。
参加者はいつものメンバーである、美緒莉、凛子、冴、そしてアリーシャの四人だ。
今日のカラオケは、ただのカラオケではない。
アリーシャが白雪姫オーディションで歌う「いつか王子様が」の練習のためのカラオケなのである。
いつもの四人が集まり、食事を済ませ、カラオケの受付をして個室に入れば、もうそこは四人で好きなだけはしゃげるプライベート空間だ。
上着と荷物を置いたまま、ドリンクバーで好きな飲み物を選び、個室に帰ってきたら、とりあえず入れる曲は、今流行りの各々歌いたい曲だ。
アリーシャも最近のアニメの主題歌をいくつか日本語で楽しく歌い、ある程度順番に歌い終わったところで、何か摘まめるポテトや甘いものを頼んで机に並べて、何度目かのドリンクをおかわりした後、漸くアリーシャの練習へと移行した。
「日本語の歌詞は聞いたことなかったんだっけ、とりあえず歌ってみるか。美緒莉が」
「え、私?!」
アリーシャは実際歌うと決まってからは、日本語の歌詞と歌を確認するために、動画などを探して聞いてはいたが、返事も聞かずに冴は勝手にカラオケに曲を入れ、マイクを美緒莉に手渡した。
勝手に歌うことを決められた美緒莉は、反射的に受け取ったマイクを両手で握りしめて立ち、短いイントロの間少し動揺していたが、そのまま曲が始まると、ちゃんと通る声で歌い始めた。
「これってさ、著作権的なやつは大丈夫なの?」
美緒莉の歌を聞きながら、凛子が冴に話しかけてきた。
「映画はパブリックドメインになってるし、歌も原曲はそうだろうけれど、日本語の歌詞だとか、アレンジだとかはちゃんと調べてみないと微妙。でもまあ、教育の目的のために使用するなら大丈夫的な法律があるから、文化祭で歌うくらいなら問題ないはず」
「ふうん、そうなんだ」
そんな会話と共に短い楽曲は終了した。
「どうだった?!」
「腹から声が出ていて大変よろしい。どうアリーシャ、歌えそう? それとも凛子にも歌ってもらう?」
「お前が歌えよー」
「えへへ、やった、褒めてもらえちゃった」
冴に褒めて貰えてご満悦な美緒莉が、次にマイクを渡す相手を探してゆらゆら揺れている。
折角お手本として歌ってもらったのだから、美緒莉の歌った感じを忘れないうちにと、アリーシャは一つ頷いて決心をした。
「じゃあ次、私も歌ってみる」
「よし、頑張ってアリちゃん」
美緒莉からマイクを受け取り、先程美緒莉がしていたようにその場で立ちマイクを両手で握りしめた。
一曲を歌い終えたアリーシャ自身の感想としては、キーの高いところの声が出しずらかったので、そこを何とかしなければならないといったところだ。
といっても、何度か練習をすれば届きそうな音域なので、そこまで深刻には感じられなかったが。
歌い終わったアリーシャを美緒莉は拍手で迎え入れてくれ、凛子も笑顔だったため、そこまで問題ないようだと安心していた。
「アリーシャってさ、たちつてと苦手?」
冴のこの言葉を聞くまでは。
「えええわかるううう?!」
「あ、やっぱ苦手なんだ」
「え、そうなの、全然わからなかった」
「あー、あたしは若干気づいていたかも」
「ええええ、凛子も気付いていたの?!」
アリーシャは今日一大きい声が出た。
「たちつてとっていうかさ、「つ」とかが苦手なのかなって」
「ううっ、そうなのぉ」
図星だった。
日本語を現在進行形でも練習しているアリーシャに立ちはだかっているのが、日本語の発音だった。
日本語は発音が難しいと、以前日本語を教えてくれていた美奈に愚痴ったことがあったが、美奈は日本語に発音なんてないでしょうと軽く笑っていた。
日本語に発音がなかったら、日本人はどうやって同音異義語を区別しているというのだろうか。
というか発音がない言葉なんてこの世にあるものか、モールス信号じゃないんだぞと、アリーシャは当時そう思ったが、上手に説明できる力がなかったため、その時言い返すことが出来なかった。
兎にも角にも、先程冴が言った「つ」は、アリーシャの難関の一つだった。
「いつの日にかーの、「つ」が「とぅ」みたいになっている感じがあるよね」
「自覚がある分恥ずかしい!」
「ええ、私全然気づかなかったよー」
「あたしも、たまにちょっとなんか言いにくそうにしてるなって思ったことがあったくらいで、そこまでの違和感は感じてなかったよ」
アリーシャは今だけ皆の優しさが辛く感じた。
「まあまあ、ここでぐだってても上手にならんし、練習してみよ。歌自体は上手だったんだし、美緒莉が気づかないくらいの違和感だったんだから、そこまで気にしなくって大丈夫でしょう」
その後、何度かの練習と、気分転換に違う曲を入れ、摘まめるものを追加し、時間の許す限り歌いまくったが、アリーシャの「つ」は克服されなかった。
しかし、試行錯誤の上、これなら柔らかく歌ってるように聞こえるんじゃないかという妥協点を見つけ、その日の練習会は解散となった。
カラオケではしゃいで、沢山お菓子を食べて、歌って笑って叫んで、そんな時間はあっという間に過ぎて、外に出て見れば辺りはすっかり暗かった。
頭の中ではまだ、さっきまで練習していた「いつか王子様が」が流れている。
アリーシャはその歌を口ずさみながら、街灯が照らす春の夕暮れの中、自転車を一人漕いで家に帰った。




