03
翌日、聖女派遣のため迎えの馬車が着いた。
隣国まではこの辺境地からはごく近所であり、朝に出発すれば昼過ぎには着く距離だ。
「景色が変わって来ましたわね、聖女セシリア」
「シスターハンナは国境を越えるのは初めてなの」
「はい! 修道院で一生過ごすつもりでしたし、また外に出られるなんて……」
サポート役として、修道院で同室として2年過ごしてシスターハンナが旅に同行することになった。
馬車から見える景色は、田舎の田園風景から徐々に賑やかな市街地のものに変貌していく。世間知らずのハンナが驚くのも無理はない。阻むものは国境だけで、ひとたび国境を越えると都会が広がっていたなんて、鳥籠にいては一生知らなかっただろう。
しばらくの間、拠点として過ごすことになるアランツ国の宮廷魔法使い宿舎に到着する。聖女という職業は珍しく、魔法使いの上位に該当するという判断で、宮廷魔法使い宿舎の利用が許可された。
「ようこそ、アランツ王国へ。聖女セシリア、いやルイーゼ様、派遣団の皆様。私達は、あなた方を歓迎致します!」
転入手続きのために宮廷を訪れると、そこにはまだルイーゼ嬢として過ごしていた頃に知り合いだった青年の姿。サラサラした黒い髪に、蒼い瞳、スタイルの良い若さ溢れる上品な王子。
「貴方は……アランツ王国第二王子、マリウス様?」
「やあ、お久しぶりだね。ルイーゼ嬢、元気そうで何より。実は何度もキミを我が国に招こうと、交渉していたんだが、聖女の資質があるとかでなかなか修道院側が許可してくれなかったんだ。会えて嬉しいよ」
「そんな風に考えていてくれていたのね、私……全然知らなくて。お世話になりますわ、マリウス様」
親しげながら品よく挨拶を交わすマリウスとルイーゼに、ハンナは驚いてポカンとしている様子。
「聖女セシリア、いえルイーゼ様と呼んだ方が良いのかしら。ルイーゼ様ったら、神に選ばれた聖女というだけでなく、本当に公爵令嬢だったのね!」
「あら、ハンナ。貴女今まで私が元公爵令嬢って信じていなかったの」
「うう。そんなことないけど、あまりにもフレンドリーだから」
ルイーゼとハンナの親しげな様子から、修道院で苦しみながら暮らしていたわけではないことが見てわかる。
マリウス王子は、ずっと心配していたルイーゼ嬢のこれまでの暮らしが安全だったと確信して、胸を撫で下ろし笑った。
「あはは! 修道院では身分は関係ないだろうし、ルイーゼ嬢が案外楽しくやっていたようで安心したよ。けど、ルイーゼ嬢のような素晴らしい女性をこのまま鳥籠で一生過ごさせるわけにはいかない。まぁ今は、聖女としての務めが先決かな」
「えっ……マリウス様? 一体どういうこと」
その場ではマリウス王子は答えなかったが、代わりにルイーゼ嬢の前で跪いて手の甲に唇を落とした。まるで、叙事詩の一節のような光景に、その場に居合わせた者達は感嘆の声をあげた。
* * *
マリウス王子はルイーゼが幼い頃に遊んだお友達の一人だ。まだ、ルイーゼがバッカス王子との婚約が決まる前で、マリウス王子は清楚で可憐なルイーゼに夢中だった。
アランツ王国から長期休暇でコルネードに滞在していたマリウス王子はある日、白い花で冠を作りそれをルイーゼに捧げた。
「まぁ! なんて可愛いらしいお花の冠」
「僕の国では、金や銀の冠よりも、本当に大事な人にはお花の冠をあげるんだ。このお花は、僕の別荘の庭園で作ったもので、コルネードの土地では育たないものだよ」
「へぇ。マリウス様の別荘には、コルネードの地母神ではなく別の神様が住んでいらっしゃるのね。ふふっありがとう!」
当時、ルイーゼもマリウスもまだ十歳ほどだ。
この後、急ぐようにコルネード王国がバッカス王子とルイーゼ嬢の婚約を勧めてしまう。アランツ王国に公爵家の財産が流れるのを防ぐためだろうと、誰もが気づいていた。
マリウス王子には、別のご令嬢が婚約者として推薦された。しかし、十六を過ぎた頃から彼女は社交界で遊び呆けるようになり、ついに誰の子供とも分からない子を孕み、婚約話はなかったことになっている。
孤独になったマリウス王子は、初恋の女性ルイーゼが国外追放になったと知ると、彼女を引き取った修道院にアランツ王国で受け入れたいという旨の手紙を何度も送った。
しかし、生活支援の半分をコルネードに頼っている修道院のチカラでは、すぐにルイーゼの身柄を移動させることは難しい。しばらくの間、良い返事を出すことはなかった。
「ようやく、ようやく僕に白い花の女神がチャンスをくれた。もう一度、彼女に花冠を捧げたい……その時は指輪と共に、きっと」
運命は少しずつ、ルイーゼを本当に行くべき道へと導くのであった。