3.その気遣い、的確につき
次の日の朝、夜会で起こったことを聞いたクロードは、立ったままその上品な顔に苛立ちを滲ませた。
「なるほど、お嬢様を盗人呼ばわりですか。メラニー嬢には弁えてもらわなければならないことがあるようですね」
「落ち着いて、クロード。いま考えるべきはこの噂を収めるために何をすべきかよ」
そう言うレナータは、確かに冷静にパンをかじっている。それを見守りながらも、クロードは手持無沙汰に腰に穿いた剣のグリップを撫でた。
「……おっしゃるとおりです。とはいえ相手がメラニー嬢というのは少々厄介ですね、彼女は社交界に顔が利きすぎます」
それは、ディヒラー伯爵家というよりはメラニー自身の問題だ。
メラニーは社交界でいつも華やかな装いをしている。ディヒラー伯爵の財力もあるが、メラニーの美的センスの賜物という面もあるだろう。自分に似合う色やドレスの形をよく分かっていて、そこに父親の財力が加われば、流行を取り入れた立派な伯爵令嬢の出来上がりだ。
そして、そんなメラニーは他の令嬢達の憧れの的。とりたてて名家というわけではないため、メラニーにさして関心がない者も多いが、男達が繰り広げる政治闘争なんてどうでもいい令嬢達にとってはそうではない。最先端の美しい恰好をしていて、財力があって、家は中の上だからそれで充分。
「しかも、レディ・メラニーに迎合する者には妄信に近いところがありますからね。少々、一筋縄ではいかないかもしれません」
「そうよね……。一応真正面から説明して回ることはするけれど、効果があるとは考えにくい……」
「……お嬢様、お腹がすきませんか?」
ぼやくレナータはパンを一口かじって以後、食事に口をつけようとしていない。それに気付いたクロードは、撫でていた剣のグリップを握る。
クロードは、およそ十年以上、少年の頃からレナータの世話係を務めてきた。先代辺境伯が亡くなってからは一層の忠誠を誓うことを決意して仕えてきたが、あくまでその立場は使用人。先日の夜会で酷いことを言われたのは想像に難くなく、夜会の場に同席できなかったことが悔やまれた。
「……お嬢様、王室裁判所に訴えるのはいかがでしょう。裁判になれば立場は対等になります」
「メラニーとエーリヒ殿下の関係が分からない以上、現段階では危険よ」
貴族同士の諍いを収めるためと設けられた王室裁判所は、表向きには対等をうたうが、実際にはその爵位が重視されないわけではない。特に、証人として立つ者の立場は結論を容易に左へ右へと変えさせる。それが王子たるエーリヒとなれば、どちらが勝つかは見えている。
「だから、しばらくは様子見ね。どうせ今日明日はグラオ城、明後日からはベルティーユ海、ちょっと忙しいし。それに、メラニーにも誤解があるんじゃないかしら」
「……誤解、ですか」
わざとらしく明るい声を出したレナータに反し、クロードは訝し気に眉を寄せた。
「ええ。だってメラニーは、私がペンダントを盗んだわけではないと分かっているはずだもの。ディヒラー伯爵との間には利害関係もないから、あえて私を敵視する理由もないし」
女性が女性を敵視する理由なんていくらでもあるとクロードは思うが、レナータは男社会で生きて久しい。説明してもピンとこないだろう。
それに、社交界での噂よりも優先しなければならない仕事が山積みなのは事実だ。レナータが最後にもう一千切りのパンを口の中に放り込んだのを見届けて、クロードは食事を片付けた。
そうして一週間が過ぎ、レナータは久しぶりに夜会に出かけることになった。部屋で年嵩の使用人にコルセットを締めてもらっていると「おや?」としわがれた声が訝しむ。
「どうしたの?」
「少し緩くなりましたね。古くなってしまいましたでしょうか?」
どうやらこの一週間で痩せてしまったらしい。とはいえ、メラニーの一件は屋敷ではクロードしか知らないこと、余計な心配をさせないために「そうかもしれないわね」と嘯いた。
「新しいもののご用意があったと思いますから、少々お待ちください」
「ああいえ、せっかく出してもらったのだからこれで構わないわ。また次の夜会で使いましょう」
もっとも、次に夜会に出る機会が与えられるかは分からないが。レナータはグレイのドレスに袖を通しながら溜息を吐いた。
夜会に行くと、前回までとは言わずとも、他の令嬢達の冷ややかな視線がレナータを刺した。その中には、以前からレナータと懇意にしている令嬢もいた。
「ね、久しぶり――」
「やめてレナータ、いまあなたと話すわけにはいかないの」
だが、袖に触れられるのさえ厭うように腕を引き、洋扇で鼻から下を隠しながら、罪悪感の滲んだ目を向ける。
「だって、メラニーのペンダントを盗んだって言われてるんだもの。……レナータがそんなことするとは思わないけど、メラニーに睨まれたら爪弾きにされるわ」
レナータは前段に安堵したのも束の間、後段には表情を硬くしてしまった。
「私、もうすぐ婚約がまとまりそうなの。いまこんなところで悪目立ちして、台無しにされたくないわ」
ごめんねと言い残し、彼女は背を向ける。他の令嬢達も、相変わらずレナータを睨みながら「メラニー様のペンダントを盗んだんでしょ?」と口々に噂する。
「メラニー様、おしゃれだものね。憧れちゃうのも分かるわ」
「でもだからって盗むなんて信じられない」
「女のくせに辺境伯を気取ってろくに夜会にもサロンにも顔も出さないんですもの。流行から置いてけぼりになって焦っていらしたんでしょう」
この一週間の間に事態は悪化したらしい。まさしく、彼女らに言わせれば“辺境伯を気取ってそちらの仕事にかまけ、社交界での噂を放置していた”結果だ。
この夜会に出席するくらいなら、別の手立てを考えておいたほうがよかっただろうか。そう肩を落としているレナータを、メラニー含め他の令嬢は指差して笑っていた。
その一人が、葡萄酒の入ったグラス片手にレナータに近づいたときだった。