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2.その皇子、不審につき

 レナータが辺境伯の地位を継いだのは、わずか十二歳のときだった。

 ローザ国では、相続は当主の死により当然に発生するものとされ、また長子でありさえすれば相続権が認められている。ゆえに、レナータは、十二歳の少女でありながらも、父の死と同時に「エッフェンベルガー辺境伯」を名乗ることとなった。

 だからこそ、人々はレナータを指さして笑った――「名ばかり辺境伯」と。死んだ父親の代わり、他に兄弟がいなかったがゆえに爵位を受け継いだだけ、しかもその父親は、冤罪とはいえ一度王宮を追われた身、時代は変わりエッフェンベルガー領など最早要所でもなんでもない、それを受け継いだだけの世間知らずの令嬢が、偉そうになにを威張っているのか、と。

その嘲笑に対し、レナータは一言も反論できなかった。棚から牡丹餅的に辺境伯となったのは事実だったからだ。

 だから、父に負けない立派な辺境伯となることを決意した。小さな体で馬によじのぼり、何ヶ月もかけて辺境伯領を隅々まで見て回り、新たな領主として領民に認められようとした。子どもだからと馬鹿にされたし、騙されて一財産奪われそうになったこともあった。それでも、エッフェンベルガーの名を継ぐ辺境伯は自分しかいないと自らを奮い立たせ、淑女に無用のことまで知識を叩き込み、家と領地を守り豊かにすべく奔走した。

 そんなレナータを「女のくせに」と馬鹿にする者もいた。それでも、領民の大半は「女ながらに」と認めてくれるようになった。


 しかし、社交場での立場はまた別。現に、たった一人の伯爵令嬢の言葉で、レナータの評判は地に落ちた……。

 自分は、これにどう対処すべきか。突然の敵意に晒され頭を悩ませているうちに、足音が聞こえ始めた。ホールの関心がレナータ以外に向けられ、さきほどまでレナータを嗤っていた令嬢達が色めきたった。


「カールハインツ皇子よ」


 ああ、ヘルブラオ帝国の……。まだぼんやりとしていたレナータの頭では、情報だけが行き来した。

 カールハインツ皇子、大国ヘルブラオ帝国の第一皇子。眉目秀麗、才色兼備に有知高才、称賛の言葉はすべて彼のためにあると言っても過言でないほどの完璧な皇子。運河を作って従前の交易の常識を覆し、片田舎の工芸品を見出し一大都市に発展させ、帝国内の法整備を行い悪辣な貴族を片っ端から取り締まり……などなど、ヘルブラオ帝国を一気に先進国へと押し上げた人物だ。

 その功績は国内にとどまらず、我がローザ国が戦争で敗北しかけていたところに和平を提案し、無事その協定をまとめあげた――五十年戦争とまで呼ばれた長きに渡る戦争の終結だった。もちろんその協定に敗戦国としての負担はあれど、それはかなり軽く済んでいたし、かといってヘルブラオ帝国がローザ国王になんらかの利権を要求してきたという話もない。ゆえに、カールハインツ皇子といえばローザ国では英雄扱いだ。

 が、そんな聖人君子のようなことをやってのける皇子がいるものかと、レナータは疑っていた。一国の皇子が、見返りもなく他国に情けをかける理由があるはずもない。

 ……というところまでは、しかし、いまのレナータの頭には浮かばなかった。なにせメラニーに向けられた暴言と、エーリヒからの手のひらを返したような態度、なによりレナータを蔑む周囲の視線以外を受け止めるので精一杯だ。

 ただ、カールハインツまでやってきたということは、やはりエーリヒが出席することは当初より予定されていたのだろう。隣国、しかも恩人の皇子を招いておきながら王子が出迎えないなど、そんな珍事は起こり得ないのだから。

 それにも関わらずエーリヒが自分に出席を報せなかったということは、事前にメラニーから聞いて、それを信じてしまったからか……。


「ちょっと、レディ・レナータ!」


 ぼんやりしたままでいると、メラニーの友人が詰るように叫んだ。


「そこをどきなさいよ、カールハインツ様がお通りになれないでしょう!」

「え? ああ……失礼いたしました、カールハインツ殿下」


 そうか、自分はホールの真ん中に立ってしまっていた。とろとろとレナータは足を引き、ドレスの裾を摘まみ、頭も下げる。胸を離れたブルーのペンダントがキラッとシャンデリアの明かりを反射した。


「……レナータと呼ばれたか?」


 しかし、知らぬ声がレナータの名を呼んだ。おそらくカールハインツだ。


「はい、レナータ・エッフェンベルガーと申します……」


 困惑しながら、しかし相手が王子であることに留意し、一応は頭を下げたままにした。


「顔を上げてくれ、レナータ・エッフェンベルガー」

「……失礼します」


 そっと顔を上げたレナータは、そこで初めてカールハインツの顔を知った。空色の髪と、太陽色の瞳の持ち主だ。その目がじっとレナータを見つめている。


「……カールハインツ殿下、おそれながら、私の顔になにかついておりますでしょうか?」

「いや。人違いでないか確認していた」


 背の高いカールハインツは、軽く腰を折ってレナータの顔を覗き込んだ。


「しかし見間違えようはずもない。レナータ・エッフェンベルガー、君だ」


 その微笑みには少年らしさが残っていたが、その雰囲気に一国の皇子らしい自信が溢れているせいか、子どもっぽいとは思わなかった。

 しかし、間違いない、とは。


「カールハインツ殿下!」


 そこへメラニーが割り込んでくる。レナータの隣に立ちながら「あらやだ、私ったら、失礼しました」とわざとらしく謝罪した。


「カールハインツ殿下にお会いできてあまりに光栄で、つい大声が出てしまいました……はしたないですわね、ごめんなさい、カールハインツ殿下……」

「ああ、大丈夫です、気にしないでください」


 カールハインツは微笑み、周囲の令嬢達はみな「なんてお心の広い方なのでしょう」「さすが五十年戦争の英雄ですわ」と囁き合うが。


「感情に任せて叫ぶ女性には慣れておりますので」


 ん……? その発言が聞こえた一角には妙な空気が流れた。レナータも、カールハインツに挨拶させられて我に返っていたこともあり、その発言には唖然とした。

 が、メラニーの立ち直りは早かった。「お恥ずかしいですわ」と早口で切り上げると、今度はエーリヒの隣に立ち「殿下、こちら、カールハインツ殿下ですわ」と紹介する。まるでカールハインツと旧知の仲であるかのような、そしてエーリヒと親しい仲であるかのような口ぶりだった。

 エーリヒもさきほどの発言に呆然としていたが、きっと聞き間違いだと自分に言い聞かせながら咳払いした。


「お迎えにあがることができず申し訳ありません、カールハインツ殿。この度はわざわざお越しいただきありがとうございます」

「いや、無理を言って直前に依頼したのは私ですから。こちらは既に暖かくていいですね。それより――」


 王子同士の世間話が始まった。いまのうちに社交場の隅に避難しよう、とレナータはこっそりと令嬢達の間をとおって目立つ二人から逃れる。


「……それよりエーリヒ殿、確かエーリヒ殿はエッフェンベルガー辺境伯レナータ殿と親しき仲にあったと聞いておりましたが」


 その途中、面倒な噂話が耳に入って足を止めたくなったが。


「そんな、とんでもない誤解です」


 エーリヒ自身が口早に否定するのを聞き、ほっと胸を撫で下ろしながら、足を止めずに奥へと進む。


「彼女はエッフェンベルガー辺境伯の地位を継いでいますからね、国を治める王子として辺境伯を気に掛けるのは当然のことです。しかし、女性が辺境伯の地位を継いでいるというのは厄介ですね、こうして無用な誤解を招いてしまう」


 よく言う。レナータは呆れたくなった。レナータが辺境伯の地位を継いだ継いでいないに関係なく、茶会だの花見だの、なにかと理由をつけて出掛けようと誘ってきたのはエーリヒだった。それだけならまだ自意識過剰と言われるかもしれないが、渋々応じた最近の茶会では「そろそろ結婚したいと考えているのだが、前向きに考えてくれないか」などと言ってきた。レナータは丁重にお断りしたが「君は慎み深いから遠慮もあるんだろう。ゆっくり考えてくれ」と無理矢理保留にされてしまったくらいだ。


「特に彼女のほうは、社交辞令に対して自意識過剰になってしまったのかもしれません。幼い頃に後ろ盾を亡くし、少々世間知らずなところがありますからね。いやしかし、彼女の例は法整備の足掛かりになりますから、悪いことばかりではなく……」


 それが今やあの物言いだ。こちらが不敬にならぬよう遠慮していれば調子に乗って、といいたいところだが、それをしないくらいの理性はある。

 そしていまのレナータにできることは、この四面楚歌の社交場で夜半までじっと耐えしのび、「盗人」の汚名に「逃げ出した卑怯者」のレッテルまで貼られるのを防ぐこと、それからできる限り情報を集めておくこと、それだけだった。

 そうしてしばらく居座った後、これ以上いい情報はないだろうと判断し、夜の闇に紛れてその場を出て行った。馬車の停めてあるところへ行くと、クロードが御者を休ませて代わりに待っていた。

 レナータの姿に気が付くと、そのきれいに整った眉を軽く上げる。


「どうなさいました、お嬢様。早いですね」

「……ちょっと問題があったの」

「まさかエーリヒ殿下がいらっしゃったのですか?」


 最近レナータを悩ませている相手といえばそれしかいない。屋敷を仕切っているクロードは、エーリヒからの使者がしつこいくらいにやって来ていたことを知っている。


「エーリヒ殿下はいたけど、問題はそれだけじゃないわ。とりあえず屋敷に戻りましょう、話はそれから」

「……そうですか」


 お嬢様呼びに反応しなかったことといい、よほどのことがあったに違いない。クロードは険を帯びた目で、華やかな光の漏れる屋敷を睨んでいた。


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