11.その利権、垂涎につき
ディヒラー伯爵領に向かう予定でいたレナータは、朝から屋敷にやってきたカールハインツにわなわなと肩を震わせた。
「今日は私一人で向かうとご説明しましたよね? なぜいらっしゃるのですか!」
「それはもちろん、一人で行かせるわけにはいくまいと思ったからだよ」
「殿下は変装していたとはいえ昨日伯爵に会ったでしょう! トーマス・マルトリッツが私と一緒にいるなどという不可解な状況が出来上がったらどうします!」
「安心してくれ、つけ髭とウィッグを持ってきた。これで初老の使用人の完成だ」
後ろのヴェルナーがそっと白いウィッグと髭を差し出した。なんだこの皇子、とレナータは再び白い目を向けざるをえなかった。こんな皇子の護衛をさせられているなんて、ヴェルナーも大変だろう。
「さすがの君も、供もつけずに出掛けることはないだろう? ヴェルナーは少し離れたところにいさせるし、私一人くらい後ろに控えていても怪しまれることはあるまい」
「私は殿下を怪しんでいますけどね」
「私に興味があるということだね、光栄だよ」
帝国では常に都合のいいように相手の言葉を変換しなければ仕事が回らないようにでもなっているのだろうか? 最早言い返す気にもなれなかった。
「……確かに、殿下のおっしゃるとおり、私とて一人でD領へ行くつもりではありませんでした。それが殿下に変わったところで何がどうということもございません、が。なぜわざわざ同行しようと?」
「それはもちろん、君の策に一枚噛む以上、その動きはこの目で確認したいというのがある。なにより――」
ごもっともな返事だと閉口したのも束の間、カールハインツはレナータの髪を一房すくいあげて口づけた。
「D伯爵といえば年甲斐なく若い女性に手を出したがる変態だと有名だからね。君を一人で行かせるわけにはいくまい」
「殿下も、帝国では一日一回親愛なる挨拶をしないと死ぬ呪いにかかった変態だと有名だったりしませんか?」
「有名ではないけれど、君に一日一回会わないと動悸が収まらない病にはかかっているね。恋の病というんだけれど」
「聞いたことがないので、おそらく不治の病ですね。この件が終わりましたらいい医者を紹介しましょう。クロード」
馬を引いてきてくれるよう頼みながら、レナータは昨日のディヒラー伯爵の様子を思い出した。言われてみれば、レナータは使用人風情を装っていたにも関わらず、妙にじろじろと見られるとは思った。あれはそういうことだったのか。ディヒラー伯爵は亡き父と同世代だったはずだが、そんな年になってもなお妻以外の女性にうつつを抜かせるとは、元気なことだ。
「お嬢様、馬をお引きしましたが……」
「ありがとう。じゃあ出かけてこようかしら」
「……どちらへ?」
クロードにはカールハインツを睨みながら、険しい声で問いかける。どうやらクロードはカールハインツを信用していないらしい。よく分かる、レナータもクロードは信用しきっていない。
「ディヒラー伯爵領よ。大丈夫、少し話してくるだけだから」
「……それにカールハインツ殿下が同行するというのは、どういうことで?」
クロードにはカールハインツと手を組んでいる話は伝えていなかった。クロードはたまにレナータを子供扱いするので、帝国皇子と取引をしているなんて言えばまた余計な心配をされるだけだ。
「……ええと」
「ベルティーユ海交易には帝国商人も関わっているだろう? その関係で伯爵も交えて、少々話すことがあってね」
事実なのだが、肝心なことを省略しているので実質的には嘘だ。レナータは白い目を向けた。やはりこの皇子は信用ならない。
「というわけで、君の主人を借りていくよ」
「私が借りられるのではなく、殿下が話に加わりたいと言ってきたのですが?」
「……お気をつけていってらっしゃいませ」
じとりとカールハインツを睨んだまま、クロードは馬を差し出す。流れでカールハインツを追い返すことができなくなり、レナータは仕方なく共にディヒラー伯爵領へと出発した。
道中、カールハインツは「今日はいつもと少し髪型や化粧が違うね?」とコメントした。
「社交界で華やかな君も、辺境伯として仕事をするときの凛々しい君も、今日の柔らかい雰囲気の君も、どれも美しいとは思うけれど。今日はなぜ凛々しいほうではないんだい?」
「もちろん私は売られた喧嘩の仕返しをしに行くのですが、今日は謝罪のていを装うので」
華やかだとお嬢様の遣いのようだし、凛々しくては真っ向から喧嘩をしにきたように見える。柔らかい雰囲気でしおらしく見せたほうがいい。レナータがそう説明すると、カールハインツは「なるほどねえ」と心底感心した声を出した。
「なかなか役者だね、とでもいうのかな?」
「むしろ逆です。私は殿下と違って演技派ではありませんので、相手の見方と出方を意識して見せ方を変えるようにしているのです」
「演技派でないという自覚が?」
「ええ、良くも悪くも真っ正直だと昔言われたことがありまして。……なにか?」
クスクスと笑われ、レナータは胡乱な目で振り向いた。いまのカールハインツは長い白髪と髭で顔がほとんど隠れているが、辛うじて見える目が笑っている。
「いや、そう言われたのを気にしていたのかと思っただけだよ」
「気にもします、交渉事に向かないと同義ですから。その意味ではいずれ仕事の手伝いをしてくれる人を雇いたいものです」
「交渉事に強いおすすめの人が帝国にいるんだけれどどうかな、カールハインツというんだけれど。雇うのでなく結婚すれば経費も節約できる」
「私が存じ上げているカールハインツ殿下のお話であれば、常に真正面から結婚の話しかなさらないので却下です」
とはいえ、カールハインツの口の上手さは見て分かっている。契約に際して、レナータがシナリオを用意していたとはいえ、上手くディヒラー伯爵を転がして、目論見どおりに事を進めた。使用人を向かわせたのではこれほど上手くいかなかったかもしれない。
「ではそろそろ伯爵領に入りますので、声は出さないようにお願いいたします。年齢が出ますから」
「ああ、もちろん邪魔はしないよ」
レナータがディヒラー伯爵を訪ねると、伯爵はすぐにレナータとカールハインツを応接室に通した。昨日と同じ部屋で、ただし座る場所は逆になったまま二人が伯爵を待っていれば、伯爵はずいぶん長くレナータを待たせた後で、髭を撫でながら登場する。ちなみに、メラニーがサロンに出掛けているのは把握済みだった。
「やあ、レディ・レナータ」
そして、見下すように顎を前に出す。レナータは頬を引きつらせてしまいそうになったのを堪えた。
「……ご無沙汰しております、ディヒラー伯爵」
立ち上がり、居心地悪そうにそっと目を伏せ、深々と礼をする。長く頭を下げていると、頭を上げるより先にディヒラー伯爵が口を開く音がした。
「愚女から話は聞いておりますぞ。なにやら騒ぎになっているようですな」
想像どおりの反応だ。当然といえば当然だ、メラニーは社交場で随分大騒ぎをしていたのだから、他の貴族もメラニーの味方につき、それを受ければディヒラー伯爵自身もレナータに謝罪されて当然と考えているだろう。
「……ええ。お恥ずかしい限りです」
内心では「貴方様の娘が」とでも付け加えてやりたいところだ。
互いに腰かけた席で、ディヒラー伯爵は髭を撫でながら「まあ、そう畏縮することはありますまい」と余裕をみせる。
「私のように爵位のある者が王宮で地位を争うのとは違う、社交場での諍いでしょう。ああ失礼、レディ・レナータは一応辺境伯の爵位を相続しておりましたな」
「……ええ」
「爵位がある者」からレナータを除外し、「一応」と言ったり、「相続」しただけで実が伴ってないとでも言いたげな物言い。鈍いレナータでも、嫌味と皮肉たっぷりなのが分かる。
「ですから、娘には言い聞かせているのですよ。宝石くらい新しいものをいくらでも買ってやるから、そう騒ぐなとね」
言葉の謝罪などという金にならないものは要らない、金そのものを出せ、そういう意味だろう。
「……恐れ入りますが、私はそう現金は持ち合わせておりません。なにせエッフェンベルガー領は生産よりも交易を主とする領地、金は右から左へと動いているように見えますが、物体はないのです」
「いやいや、レディ・レナータ、勘違いなさるな。私はなにも、金を要求しているわけではないのですよ」
むしろ金を要求しているのでなければ何を話しているのか。白々しい口振りに呆れながらも、レナータは少し俯き加減に「恐れ入ります……」と弱気に出るふりをする。
「ただ、やはり誠意というのは形にするのが難しいものですから……」
「それはおっしゃるとおりですな」
「それでも、ないものは出せないのです。エッフェンベルガー領にあるものといえば、せいぜい……ベルティーユ海交易の利権くらいですし」
口にした途端、ディヒラー伯爵が僅かに身を乗り出した。後ろに控えていたカールハインツは笑い出しそうになるのをぐっと堪える。
なにせ、ベルティーユ海交易の利権といえば、ローザ国の東方交易を仕切るために必須のものだ。だからこそ、それは莫大な利益を生むものとして、誰もがその経済的価値を認めている。
そしてそれは、父亡き後、エッフェンベルガー辺境伯の立場を守らねばと朝から晩まで奔走して手に入れた、レナータの最大の功績だった。しかし、この経緯も利権の内容も知る者が少ないため、これはレナータの評価を左右していない。
「……これを機にベルティーユ海交易の利権についてぜひおうかがいしたいですな。陸路もあれど、現実にはベルティーユ海を渡るほか東方との往来手段はない。つまり、この利権があれば辺境伯の財政は安泰というわけでしょう」
「ええ、まあ。だからこそ、この利権の持ち主を変えることには慎重にならざるを得ないわけですが」
まるで利権を譲渡することも念頭にあるかのような前置きをしつつ、利権の内容をポツポツと語る。ただ、あからさまなアピールを避けるために伯爵からの質問に答えるにとどまる。利権それ自体が不労所得を生むこと、海洋で新たなビジネスを得ることも可能であること、いち早く他国の商品を手に入れることが他の貴族との関係を築く上で利いてくること……。この策を聞いているカールハインツでさえ、ぜひとも手に入れたいと思える代物だった。
「とはいえ利権そのものを動かすとなると大きな現金が必要になります。その点は厄介なので、利権を他者と共有することも考えているのです」
「といいますと?」
「利権の独占にも旨味はありますが、単独というのは多かれ少なかれ停滞を招きます。後ろ盾という意味も含め、名のある貴族と利権を共有したいと考えているのです」
「利権の共有、ですか……」
「ええ、もちろんディヒラー伯爵であればご存知ですよね、権利を共有し、利益は持分に応じて分配する手法です」
「……ええ。もちろん」
ほう、とカールハインツは付け髭を撫でた。利権そのものを売るという話であれば美味すぎて警戒されるが、利権の共有という概念は新しく、耳を傾けてしまう。しかも、ディヒラー伯爵はレナータを愚鈍な親の七光りと信じて舐めきっているため、“当然知っていますよね”なんて予防線を張られては詳しく聞き返すこともできない。さらに、王宮での立場に鑑みれば、レナータがディヒラー伯爵に後ろ盾を依頼するのも不自然とはいえない。
ディヒラー伯爵からみれば、レナータは謝罪のふりをして利権を共有しつつ後ろ盾を求める相談をしにきた、ということになる。カールハインツは、髭の裏で笑みを浮かべた。高慢な伯爵にもってこいの策だ。
「ただ、利権を共有するとなると、王宮にも届出と納税が必要ですから……その手続のためのお金が用意できれば……」
「なるほど、ちなみに、それはいかほどで?」
「持ち分にもよりますが、利権から得られる利益を勘案して決定されるとうかがっております」
そうしてレナータが口にした額に、ディヒラー伯爵は素直に呻った。成り上がり伯爵家がポンと出せる金額ではなかった。
「他の方にもお話していますが、皆様同じように反応なさいます。ただ、先日、ある方にご相談したところ、領地を担保に金銭を借り入れるとの回答をいただきました」
「領地を担保に、ですか」
「ええ。領地の所有権は譲渡せず、借り入れた金銭を返済できなかった場合には貸主が領地を売却してよいとの誓約書を作成すると。とはいえ、少々手続に時間がかかるのと、領地の価格を吊り上げるためには需要の根拠も必要なこととで、いま領地の買い手を探しているとか……」
他にもこのうまい話を持ち掛けている相手がいること、現金を作る方法はいくらでもあること、大金を借りるためには領地に買い手がつく前提があればよいこと――“愚鈍な”レナータは、手札を明け透けに見せた。
そこまできて、やっと口を噤み、頭を下げる。
「すみません、少々喋り過ぎてしまったようです。他の方から来週には返事をもらう予定になっておりますので、どうぞいまのお話はお忘れください」
「え? ああ、そうですか……」
そうしてディヒラー伯爵は、謝罪にきたレナータから金を巻き上げる話が、いつの間にか伯爵側がどう金を捻出するかという話にすり替わっていたことに気が付かないままだった。
帰りの馬で、カールハインツは「ひとつだけ疑問だったんだけど」と首を傾げた。
「他の貴族と話をしていると言っただろう? あれは分かる、とろとろしていると他の貴族に利権の一部を譲渡するというアピールだ」
「ええ、そのとおりです」
「しかし、返事が来週だというのは都合が悪いだろう。そう簡単に金を都合できる者がいるか?」
「いませんね、まともな相手であれば」
いくら相手が貴族とはいえ、普通の金貸しはもう少し慎重だ。その返事で、カールハインツは金貸しの正体を知った。
「そういえば、ローザ国には高利貸で有名なレーガー家がいたね」
「ええ、正解です」
悪名高きレーガー家、相手を問わず金を貸し、その手続の速さは矢のごとし。だからこそ暴利をむさぼるし、取り立て方も乱暴だ。
レナータはちょっとだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「伯爵の領地は値千金とは到底言えませんが、カールハインツ殿下の演じるトーマス・マルトリッツは他の領地も前向きに検討してほしいと申しましたし、先日交わした売買契約書は領地の金額を示すために有用ですからね。ぜひ、トーマス・マルトリッツという存在しない貴族の需要を示して、大金を借りていただきたいものです」




