3-1 1X回目
所謂リベンジポルノ的な描写があります。ご注意ください。
ワンシーズンで流行りも去り、くたびれるデート用の服に金を使うなんて馬鹿げている。一昨日振りに気分が良いのでぶよぶよとした赤いじゅうたんの上をスキップして、丈が長い方のカーゴパンツをハンガーラックに戻しに行く。足を下ろす度にぐじゅぐじゅと鳴って錆びた匂いが充満した。この店の一番良いところは服の種類が豊富なこと、それから人の姿も声も殆どしないことかもしれない。
カーゴパンツの売り場に戻れば隣の、更に隣のハンガーラックに赤字に白抜きの文字で「祝日セール!」と掲示されていた。せっかくなら他のものも購入してやろうと思い、何度も試着室に通って買い物籠を重くした。センター内の空調から生温かい風が吹き、水浸しになっている太腿を冷やした。ちょっと張り切って試着し過ぎたかもしれないが、心は何処か麻痺したように穏やかだ。
周囲には店員すらいない。最近はセルフレジが基本だからそういうものだろう。
するとスマートフォンがショルダーバッグの中で震えた。ゾッとするような感覚に包まれたが、錆びた匂いを吸えば一瞬で忘れ去れた。
「もしもし? またお前か敦也」
それでも胸糞悪いような苛立ちはのろまな敦也の声を聞けば蘇る。
「やっぱりこの際言っておこうと思いまして」
「何だ」
「……もう終わりにしましょう。浅草のバーベキュー、勝尾さんも含めて全員キャンセルにしました。そんなことやってる余裕ないですし」
「はあ?」とあえて脅迫するような声を出す。ふと視界の端に「スカートを白にするならこのブラウスもいいかもしれないね」と微笑む不思議と水浸しになっていないチカと、同じく水浸しになっていないカナタが映る。
「何勝手にやめてるんだ。成哉には」
「聞く必要ないです。さっきも言ったでしょう。俺達針の筵なんですよ。やるなら一人で女も自分の引き立て役にする連中も集めてやってください。どうせ俺達以外の伝手も沢山ありますよね」
こめかみがひくひくと痙攣し、鈍い頭痛に襲われる。ぶよぶよとした床を乱暴に踏みしめて試着室へと向かう。ドクン、ドクンと心臓のように脈打ち水を滴らせた赤い壁が相変わらず中央にそびえ立っていた。俺の、一番、落ち着く場所だ。
「候補その一のレモンイエローのフレアスカートならこの白いフリルブラウス、候補その二のティアードスカートのミントグリーンならこっちのピンタックのが合うかなと思う。逆に候補その三の白の花柄スカートに合わせるならブラウスはこっちの……」
「着たくないのはあるのか?」
「ここの中のはどれも可愛いと思うよ。あ、でもこっちのオフショルダーのはちょっと個人的には着こなせないかも」
どうでもいい、お前の着こなしなんて! 掴みかかって怒鳴ってやりたかったがそんな暇はない。だが脈打つ入口が近づいてきた時に「え? やっぱりピンクのプリーツスカートも候補に入れる?」と話が違う発言がしてつい振り返ってしまった。チカは俺に背を向けて首を傾げている。対面しているカナタはチカにこの世の陽だまりを凝縮したような笑みを向けていたが不意に俺と視線が合う。
冷たい、何も興味がないという顔をされ、視線を逸らされた。
「勝尾さん、もう切っていいですか」
全身から汗が噴き出るような圧迫感に襲われかけたが、敦也の声で“現実”に引き戻される。滴る汗をそのままに俺は半個室の簡素なソファの上へ飛び乗るように腰を下ろした。
「いいわけないだろ。どういう……」
カナタと目が合い逸らされた時から座るまで息を止めていたらしい。荒く呼吸を繰り返しながら俺は声を振り絞った。
「俺も成哉も明日人事から聞き取り決まってるんですよ。アンタがとっかえひっかえ付き合ってはうちの社の女振って泣かしたせいで業務に支障が出てるの、俺達のせいになってるんで。最悪クビです。いや……それより」
「俺に関係あるか? いいか、俺はお前らに頼んで出会いの場を作ってもらったのは事実だし、一人の女と続いた時間が短いのも認める」
「アンタ一週間で別れたって言ってきた時ありましたよね。昼にラーメン食べに行こうって誘ったらスパゲッティがいいと言われたからって」
「だが、ちゃんと女を口説き落とした上で付き合ってるし、何もかも合意の元にやっている。別れを切り出したのは全部俺からだが、失恋で仕事がおざなりになるのはそいつらの社会人としての自覚が足りないからであって俺に過失はない。意見、人生観の不一致はどこにでもある、別れるに値する理由だろ」
「自分の意見が通らなかったらそれだけで別れるんですか。何でも自分の思いどおりになると……ああ、勝尾さんいつもそうでしたね。今回のバーベキューだって自分が用意した店に、自分の好みの女を自分が顎で使える俺達に調達させて……結局自分の思いどおりになるか、というより自分の付属品としてしか人を見てないんですよ。絶対に言うことを聞く自分を着飾るパーツがほしいだけなんだ」
「随分と俺をコケにするようだが、何が言いたいんだ。自分の立場が危うくなったから俺に八つ当たりしたいだけなら切るぞ。それこそお前が言うとおり“他人をパーツとしか見ていないなら”お前は今一番いらないパーツだからな」
捲し立てれば敦也が小さく息を漏らした。
「よくそんなことが言えますね。全部合意の上? アンタ、うちの社の女の家と別れたら必ず乗り込んで自分の痕跡を一切消させてたらしいじゃないですか。消すまでかなりあくどい脅しをかけたとも聞きました」
一瞬目の前が真っ白になる。そして美雲、雪名……それからもっと沢山の敦也経由で出会った歴代の女達の顔が、自宅が過ぎっていった。
「どうせ俺が知らない相手にも同じことやってんでしょ? 何でそんなことやってるかは知りませんが」
「俺は何もやってないぞ!」
瞑った瞼の奥で顔と部屋が交互に映され俺は叫んでいた。
後腐れなく、自由に選べて自分を着飾ってくれる存在。“初めて付き合った日からずっとそうやって側に歴代の恋人達はいて、そして去ってくれた”。
ただし、その状態を保つには努力が必要で、俺の理想のためにプレゼントも時間も惜しみなく与える。使いやすくするためのメンテナンス、チューニングと言ってもいい。俺の物だから全ての決定権と責任は俺にあるし、それくらいの苦労と投資は負うべきだ。
そして合わなければすぐ捨ててしまえばいい。とっとと処分して新しい物を手にするのが互いのためだとそう考えている。
だが、世間は長続きしない恋愛を歓迎しない。甲斐性なし、短気。尻軽。罵倒の言葉で溢れている世の中を生き抜くためには、短期間で別れた場合は痕跡を確実に消す必要があった。送ったアクセサリー、お揃いのマグカップ、撮った写真データ。最初から痕跡を残さないように付き合う、という選択肢は窮屈で俺の理想とかけ離れているため存在しない。
それに、付き合うとは腹の底の見せ合いであり、支配権を握るかのゲームでもあるのでどうとでもなるのだ。
縋って別れを拒絶する方が悪い。合わないのであればもう関係は終わらせる方が生産的だ。その証拠に実家に全裸の写真を送りつけてやれば美雲も喜んで別れを受け入れてくれた。雪名のマンションの近くにビラをばら撒いたこともあった。こちらも最高の思い出のまま、別れを選べて満足だ。
最終的に皆、俺が支配権を握っていると受け入れ従ってくれる。従順に痕跡を消すか、あるいは返却してきた時点で円満な別れだろう。歴代の女達は皆、自分の過失で破綻したと揃えて口にしてきている。だから俺に過失はない。誰が何と言おうと。俺達は合意し、関係を始め、終わらせた。
上手くいっているはずだった。なのに。
「図星ですか」
「俺はトラブルは一切起こしていない」
舌が縺れ、語尾が乱れる。敦也は小さく喉をひくつかせて嗤った。
「別に認めてもらって謝罪がほしいんじゃないんでいいです。ただ……」
唇が震え、吐き出したかった言葉が声にならないのをいいことに敦也は続けた。
「さっきの電話で聞きましたよね。今付き合っている人がいるのかって」
何も間違っていない。何もミスを犯していない、はずだ。
肩を震わせて泣きじゃくる美雲を俺は満足気に見下ろしていた。
顔を真っ青にして虚ろな瞳でこちらを視界にだけ捉え従順になった雪名からネックレスを引っ手繰って自分の鞄にしまい込んだ。
顔、顔。女達の自分が悲劇のヒロインだと勘違いしている顔が次々と浮かび消えていく。涙でメイクが崩れた醜い顔。洟を啜る汚い音。一方でそれを冷ややかに見つめている俺。どちらが勝者か明白なのに。円満に別れた、はず、なのに。
閉じた瞼の先で再生される記憶という名前の映像が切り替わっていく。呼吸がどんどん荒くなっていくのが自分でもわかる。「今更現実を見ても遅いですよ」という見当違いなはずの敦也の言葉が妙に重くのしかかった。
「近日中に別れる、ということは、夕衣……代田夕衣とまだ関係が続いているんですよね」
ぬるついた汗が頬を伝ってジーンズへと落ちた。夕衣の眉をつり上げた一昨日の顔が浮かぶ。白いワンピース、割れたマグカップ。それから──
「ああ、それが何か?」
努めて平淡な声を出そうとすれば声が掠れる。こんなに湿気で蒸されているような場所なのに俺の口内だけが干からびていた。
「彼女、昨日無断欠勤したんですよ。社会人のマナーとしてアウトだとか別に一日くらいって色んな感想があるかと思いますが、問題は仲の良い子が連絡しても一昨日の日曜から返事がないことなんです。“既読”さえつきませんし、SNSの投稿も途絶えています。で、アンタが原因なんじゃないかって俺は思ってるんですよね。日曜日から今日までの間で、夕衣と会ったり連絡取ったりしてます? 入社以来ずっと人事で働いている真面目な子で可愛がられているから皆心配してるんですよね。だから明日人事にそれも報告しようと思うんで」




