エピローグ3 近場千花は“理不尽”に気づいていたい(完)
心配で二人で話したくて、ついていった先で叶大君は心の底から嬉しそうに笑っていた。何故、と思った瞬間に脳内で見ない振りをしていた記憶が次々に蘇り、繋がっていく。
一つの結論に“何となく、気づいてしまった”。
──どうしよう。
何年も目を背けていた事実に向き合った結論はあまりにも理不尽で辛くて悲しかった。しかも、間違っていたらとんでもない決めつけだ。お父さんを喪った直後の人間に対して言っていいことじゃない。
叶大君は今まで見たことのない真っ青な顔をしていた。幸福そうな笑顔が凍りつき、目を見開いて、酷く傷ついて、泣きそうだった。
だから私の“何となく”は正解なんだと思う。けど、どうすればいい? そもそも私が気づいていたとして何ができた? あまりにも傲慢過ぎる。
うるさい。構うもんか! 両手に力を込めた。
私はただ、この人の心を少しでも軽くしたい。お父さんとお母さんの言うことは正しくて、私のためを想ってくれている。けど私にはもっと大切にしたいことがある。今、叶大君に向き合っているのは、他でもない私なんだから。
人生で一番言葉が震えた。初めて、誰かと向き合うのが怖かった。
「気づかなくてごめん」
それでも、私の大切な友達をずっと一人にしてしまった後悔と罪悪感が何よりも勝った。私は、近場千花は遠出叶大に謝りたかった。何もできなかったとしても、その理不尽に虐げられた悲しみを共有して、少しでも僅かでもホッとする瞬間を作っていたかった。
辛くて悲しくて決めつけか否かの瀬戸際の、それでも人に向き合った過去の記憶だった。
「なあ、千花」
叶大君がゲーム機を動かしながらポツリと呟く。私は漫画から顔を上げ仰向けのまま、叶大君の方を見た。テレビ画面では叶大君の操作するキャラクターが迷宮を彷徨っていて、不安を煽るようなBGMが流れていた。
葬儀の一件以来、叶大君から“私でない何か”を見ている気配が一切消滅した。純粋に私を大切にしてくれている。
そして長い間、ずっと近くにいたのに気づかなかった私を恨んで、気づいてくれる私を願っていたんだと思う。小学生の時からずっと……今でも後悔として心に残っている。
その後告白されて、今では恋人として一緒にいる。叶大君が私を恋愛対象として見ていたなんて何となくも“わからなかった”ので、やはり私のこの勘の良さは万能ではない。
だからこそ。
「なぁに?」
「お前さ。俺が化け物だったらどうする?」
「唐突にどうしたの? 悩み? 気の迷い?」
叶大君は中学校の時から不定期に突拍子もない“もしもの話”を振ってくる。一度「試し行動?」と問えば、「ただの世間話だ」と呆れられた。
「この主人公、実は人間じゃなくて化け物なんだって」
「そうなの?」
画面をじっと見つめても鎧を着た成人男性にしか見えない。不思議そうにしていればかいつまんでシナリオを教えてくれた。
「……で、今から自分を化け物にしたボスを倒しに行くところ」
「それでエンディング?」
「わからん。でもプレイ時間的にもそろそろクライマックスな気はする。でだ、どうなんだ?」
「ああ、さっきの質問ね」
うーん、と悩む。叶大君が化け物、ねぇ。
「どんな化け物かによる」
「はあ?」
「人間じゃない、だけだったら今までどおりでいいでしょ? 風邪とか引いた時に人間に効く薬が効かなかったりしたら色々大変だろうけど支えられるだけは支えるよ。姿形がとんでもなく変わったら、どうしようかな。私はビックリはするけど気にしないから、社会で暮らせるかだよね。十メートルの巨人にでもなったら、山奥に一緒に引っ越さないといけないし、洋服ないから……叶大君ずっと全裸? 身体弱いのに」
「おいおい。どうして一緒に暮らそうとしているんだ」
メニュー画面を開いたまま叶大君が見下ろしてくる。まだ漬かり切っていないレモンのハチミツ漬けを食べた時の顔をしていた。
「だって恋人だし。幼馴染だし。それに化け物なら私もだよ」
ん、と叶大君が首を傾げる。私も漫画を閉じてよっこらしょと起き上がった。
「針川に『お前怖い、化け物』って言われたんだよね。パワハラしてその事実をなかったことにしているどっちの心が化け物なんだっての」
「やはり一発殴っておけばよかったな」
「物騒だよ、やめてね」
「気にしてないし」と付け足せば、不機嫌そうにコントローラーのレバーを弾いている。メニュー画面のカーソルが連動して妙な動きをしていた。
「本当に気にしてないから平気だよ。自分のことを化け物だって思ったことないし。だってさ」
カーソルが動く度に小気味いい音がする。不安を煽るBGMと相まって何だか滑稽だった。
「自分のこと、化け物だと思ったら何やってもいいって勘違いしちゃうじゃん。人間だって自覚してる方がいいよ、絶対」
叶大君が一瞬身体を強張らせ、カーソル音が止まる。そして誤魔化すように手を伸ばして、冷めた紅茶を飲んだ。
「お前に非現実的な質問をした俺が馬鹿だった」
「馬鹿って言う方が」
「小学生かよ。じゃあ……」
私も手を伸ばしてレモンクッキーを齧る。背後からまたポツリと声がした。
「俺が殺人鬼だったらどうする?」
ゲームはメニュー画面が解除され主人公が画面奥に向かって走っている。
さっきよりも、声が冷たく硬かった。
「え? その主人公、殺人鬼なの?」
「何人か殺してはいるな」
「その世界観だとして?」
「違う、俺が例えば大学の連中を古くから伝わるわらべ歌のとおりに殺害してるとしてだ」
世界観が推理小説になった? 最近読んだのかな? 色々質問したかったけど、それなら回答はシンプルだった。
「自首と反省を促すよ。一人で警察に行けないなら一緒に警察まで行く」
「俺が反省しなかったら?」
「別れるかな。さすがに許せないしなぁ」
「ぐわ、ぐわ!」とゲームの主人公の声がして画面に目をやる。すると幽霊だか妖怪だかわからない怪異に囲まれ鋭い爪で殴られていた。「ちょっと、負けそうだよ!」と叫べば慌てて叶大君がボタンを連打し始めた。
「別れるのかよ」
「うん」
「そこは刑期を終えるまで外で待ってるんじゃなくてか?」
主人公の体力の残量を表すゲージが僅かになっていた。あれがゼロになればゲームオーバーなので早く回復してほしい。画面の中の主人公がゼイゼイと息を切らし溜め息をつき“明らかに体力減って苦しいです”とアピールしてきているので。
例え話なのに不貞腐れた叶大君に私ははっきりとこう答えた。
「待ってはないけど、ずっと覚えているよ」
「……そうか」
声が妙に柔らかくて、私は画面から叶大君へと首を捻る。拗ねた眉を歪めた顔から一転して、何だか寂しそうなそれでいて満足した顔をしていた。
「そもそも、だ。見逃してはくれないんだな」
「殺人を?」
「共犯にならんでも、気づかない振りをして付き合うとかの選択肢もあるだろ? 健全ではないが」
「それはないよ。だって」
高校一年のあの日、私は気づかない振りをし続けて大切な人間を独りにしていた事実を突きつけられた。声を上げる気力も失い、泣いていた人を知った。あの時の後悔と自分自身に対する許せない怒りを私は忘れないと決めていた。
人より見たくないものも目に留まってしまう性分な自覚はあって、それは人よりも傷つく人生だ。気づかない振りをして元からなかったことにした方が自分の心を守れるに違いない。
でも、それでも私は自分が気づいた事実は受け止めていたかった。その後見て見ぬ振り、つまり見捨てるとしても、自分の選択で行いたい。気づいた事実は受け止めて、そこから判断したかった。全てを自分の思い通りにできるなんて傲慢な考えはない。そもそも私が“気づけないこと”の方が世の中には多いのだ。けれどせめて自分の周りでは。
子どもの頃には気づけなかったけど、世の中には沢山の理不尽が存在していている。例えばそれは叶大君や私が座っていた席の女の人に襲いかかってきた。ゲーム画面の中の化け物や怪異よりずっと理不尽で、これからも遭遇するのだろう。
それでも気づかない振りをして優しい“夢”を見ているくらいなら、私は理不尽な現実に気づいて傷ついても何とかしようとしたい。
だって、理不尽に虐げられるのなんて許せないのだ。ただ虐げられ、何もかも奪われ、声を上げることもできない人が世の中にはいる。
声を上げられないのなら、私はその悲しみに気づきたい。
その理不尽を、ぶん殴ってでもどうにかしてやりたい。我儘な怒りの自覚はあるけども。
その結果何もできなくて、結局背を向けて見て見ぬ振りをする選択をした時も、気づいた事実は忘れず、ちゃんと傷つきたかった。
だって本当に辛い時に一緒に逃げてくれる人が隣にいるんだから、ね? だから私は大丈夫。
「私、理不尽なことでも気づきたいの。それから、そんな理不尽晴らしてやりたいよ」
隣の叶大君がまたメニュー画面を開く。そうして何だか泣きそうで、困ったようで、それでも幸せそうな笑顔で私の肩を抱き寄せてきた。
この笑顔の真意すらわからないのだから、ちゃんと見て、一緒にいて、話して、向き合っていたい。そっと誓って、叶大君の方に寄りかかってみせたのだった。
了




