エピローグ1 何となく、わかってしまう
小さい頃から他人の感情に敏感、あるいは機敏だったらしい。
らしい、なんて表現なのは今でもちょっとだけ疑問に思うことがあって、それでも事実なのかもしれないと自惚れなしに受け入れているからだ。
小学校の時、皆で遊ぼうとボールを持って校庭に出た時、ミカちゃんが暗い顔をして下駄箱から動かなかった。もしかして近づいて声をかけたら「足が痛くて」と涙ぐまれ一緒に保健室に行く。どうしてそうなったかは覚えていないけれど、捻挫をしていた。
声をかける前から何となく「怪我をしているのかも」と気づいていた。だから皆が気づかずに校庭に行ってしまったのが不思議で仕方がなかった。それを伝えたら「なんで千花ちゃんわかったの?」と首を傾げられて、逆に驚いてしまったけれども。
何となくだけど、「この人は今悲しんでいるな」とか「もしかして体調が悪くて苦しいのかも?」がわかる。だからクラスメイトの誰が誰を実は嫌いだとか好きだとか、そういうのも根拠はないけど察してしまっていた。むしろそれが当たり前だと思っていて、そうじゃないと気づいて、私は夜ご飯の後にお父さんとお母さんに相談した。
「千花はきっと沢山のものを人より見ているんだなぁ」
いつもご飯を食べる机で目の前にお父さんとお母さんがいた。そしてお父さんが何だか少し悲しそうに笑っていた。
「通信簿に前、書かれていただろう? 感受性が強い、周囲をよく見て気配りができるって」
「それってそういう意味だったの?」
褒められていることだけがわかったので、そのままお母さんに渡して特に考えもしなかった。そう伝えればお父さんとお母さんがくすくすと笑い、私の頭を撫でる。マグカップに入れてもらった一日一杯までのココアが何だかいつもより苦く感じた。
「千花。あのね、あなたはこれからもしかしたらお父さんやお母さんより素敵なものをたくさん見て楽しい毎日を送るかもしれない。けど、同時に辛くて悲しいものもたくさん見るかもしれない」
「辛くて悲しいのは嫌だなぁ」
「正直ねぇ」
お母さんも悲しそうに笑った。二人とも私が辛くて悲しいものを見るのを嫌だと思ってくれているんだ。何だかそれだけで満たされて、もういいやってなったけど、二人は「大切なことよ」と椅子から立とうとする私を離してくれなかった。
「あのね、千花。千花は色んなものを見て考える力がきっと広くて強いから、周りの人の気持ちに気づきやすいの。あの子は笑っているけど実は昨日ペットが亡くなって悲しんでいるとか、泣いていて皆に慰められてるけど実は影でクラスの子をいじめてるだとか。そういうのがきっと“何となくわかってしまう”」
「おそらく人よりも多く情報を入手する力に長けていて、無意識に脳で処理して結論を出してるってことなんだろうけど……わからないよね?」
「わかんない」
机の下で足をぷらぷらと揺らした。「こら」と小さくお母さんが笑う。
「じゃあ母さんの言うとおり。とにかく君は周りの人の心を読めたりはしないけど、なんとなくわかっちゃうんだ。だから父さんと母さんと約束してほしい」
二人が真剣な顔になる。私もマグカップをぎゅっと握りしめて頷いた。
「お父さんから。もし辛いものが見え過ぎちゃって、嫌になったら見なかったことにすること。これは決して悪いことじゃない。千花がずっと楽しく笑ってくれるのが父さんも母さんも、それから先生も友達もおじいちゃんもおばあちゃんも、千花が大好きな人は皆嬉しい。だから悲しいかもしれないけど千花が嫌なものがあったら逃げていい。千花が大好きな人の中で、自分を一番大切にしてほしい」
お父さんが目を細める。私が頷けば次はお母さんが口を開いた。
「次は私からね。千花の“何となく人の気持ちがわかっちゃう”のを過信……信じ過ぎちゃ駄目よ」
「何で?」
「“何となく”だからよ。そうね……例えばだけど公園で男の子が泣いていて、その男の子の目の前にアイスクリームが落ちている。何で泣いてると思う?」
「アイスを落としちゃったから」
「うんうん。たしかにその可能性は高いの。でもその男の子に聞いたわけではないでしょ? もしかしたらお腹が痛いからかもしれない。あるいは虫に刺されたからかもしれない。その男の子に聞いてみるまで……もしかしたら男の子自身もわからないかもしれない。何となく悲しくなって泣いているだけかもしれない。ここまではわかる?」
頷くとお母さんが続けた。
「だから何となくで、相手の気持ちを勝手に決めつけたら絶対に駄目。千花の“何となくわかっている人の気持ち”ってたぶん当たっていることの方が多いと思う。だから千花と千花の大切な人のためにそれは使ってほしい。けど、決めつけたら、千花の何となくが絶対だと思ったら駄目よ。千花だって『何となくそんな気がした』で怒ってないのに『今怒ってるでしょ!』って怒鳴られたら嫌でしょう」
「……えっと、自分のために使ってそれなりに信じていいけど、絶対そうだって思って相手に押しつけちゃ駄目ってこと? 相手の気持ちは相手のものだから」
お父さんとお母さんが嬉しそうに肯定する。私も笑って次に口をつけたココアは甘かったのを覚えている。
正直に言えばこの時はまだちゃんとは理解してなかった。けど、それこそ“何となく”の理解で通じ合ったのがお父さんとお母さんの言っていたことの証明だなぁと思ったのも覚えていた。
それから色んな人と出会い別れて、色んなことがあって二人の言っていた意味がようやく理解できた。
そりゃあそうだよ、と思う。私の“何となく”で皆のことをわかったつもりになるのは危険だし失礼だ。何より自分のこの“何となく”が実は皆やっていることだと知れたのが大きかった。人間は誰しも相手の気持ちだったり明日のテストの問題だったりをある程度予測する。私は他人の気持ちに対してたくさん気づいちゃうだけで、特段不思議でもなかったのだ。
なあんだ、と笑う。ちょっと寂しくなることもあるけど、きっと誰もがお互いに人と違う点で悩むんじゃないかな。そんな楽観視をしつつ、もう一つ確実に生まれた感情に驚いていた。
色んな人がいて色んなことを考えている。例えば誰かと誰かが喧嘩をしたとして、お互いに相手に対して同じくらい怒ってるかと聞かれたらそうじゃない。本当は言いたくないことを言ってしまって、でも後戻りはできなくて仲直りしたいなって喧嘩中から思ってる子もいる。逆にずっと貯め込んできた恨みを発散して、すっきりして仲直りも考えていない子もいる。周りの人の反応もそれぞれで、その喧嘩のせいで困っている人も逆に喜んでいる人もいる。一つの事件や喧嘩が起きたとして何が悪いのかって決めるのは難しいのかもしれない。
けど、たまにいるのだ。どんな理由があろうとも本当に自分のことしか考えてなくて、“周りを自分の都合の良いようにしか見ていなくて”、それどころかただ人を傷つけて喜んでいる“悪い”奴が。痛いとか悲しいって言葉すら人から奪って、誰にも気づかないようにしてずっと苦しめようとする“悪い”奴が。
私は人より“何となく”たくさんの気持ちや出来事に気づいてしまって、そういう“悪い”ものにも気づいて、そして辛いや悲しいよりも許せないって気持ちが生まれた。
腹の奥で炎が燃えているみたいにめらめらと怒りが沸いてくる。私は“何となく”しかわからないから決めつけはしちゃ駄目なんだけど、それでもいじめだとか許せないことは子どもの私でもあった。
そういうのを“理不尽”って呼ぶらしい。私はそんな理不尽が大嫌いだった。どんな理由があろうとも誰かが理不尽に傷つく必要はないじゃん。だって誰かが悲しむのは嫌だった。「助けて」も言えなくされて独りで泣くだけしかできないようにされるなんて酷過ぎる。
そんな気持ちを抱えていれば「千花ちゃんって結構怒りっぽいよね」と友達に怖がられることが増えた。お父さんとお母さんにも「笑っている千花が好き」と悲しまれた。だから自然と笑って、「私は怒ってませんよー」って誤魔化すようになった。“穏やかで優しい近場千花”を演じるようになった。いつも怒っている人と一緒にいるのは辛いから、仕方ないよなぁと思いつつ、少しだけ悲しかった。
そんな時に不思議な出会い方をした子がいた。
遠出叶大君。小学五年生の時だった。




