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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.後編 近場千花は夢を見たくない
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4-2 こぼれ落ちていく嘘と本音

「近場さん。あのねぇ」

 リーダーが溜め息をついて、僕から近場さんに視線の矛先を変えた。リーダーも僕も近場さんも自分の席の前で立っている。つまりいつもどおり部屋の奥からリーダー、僕、近場さんと並んでいて僕と近場さんの机の間には大量の書類が積まれている。現在午前八時。出勤時間よりも遥かに早いがこの緊張感以外は何も変わらない仕事場だった。

「きっと君のご両親ってすっごい優しい人だったと思うんだ。そんで君は親の言うことを良く聞く良い子ちゃんだ。だから“叱り方”も優しかったし、君もそれで矯正されて済んでいたんだろうね。でも、社会ってのはそうはいかない。会社は利益不利益が発生する以上、きちんとケジメをつけなきゃいけないんだ。だから社会勉強として見ていきな。針川君みたいな態度を取ると叱られる……ごく当然の結果を」

 背後で近場さんが小さく呻く。言い返し方がわからなかったのかもしれない。リーダーのことは大嫌いだが、近場さんに関しての認識は一致していた。世間知らず、無知、過剰な性善説人間。つまり社会で損をするし、鍛えてあげなきゃ勝手に傷ついて被害者面する勘違い女になるだけだ。

「でだ。針川君」

 リーダーが口から長めに息を吐けば上唇がぶるぶると震えた。丸く血走った目玉がぎょろりと僕を睨む。

「まずは謝罪をしてもらおうか。……お客さんと七号店と三号店にはいいよ、もう。しなきゃいけないことと矛先はわかってるよね?」

「……昨日、契約先の信用に関わるミスを犯しながらも受け入れられず職務放棄してしまい、申し訳ありませんでした」

 勢いよく頭を下げられた自分自身に驚いている。あまりにもすらすらと、そして本心と反して罪悪感で押し潰されそうな声で謝罪の言葉が口から零れた。息苦しさも頭痛も内臓痛も手足の痺れも何もない。何だ、本当にこれが正解なのか。

 大丈夫だ。そう言い聞かせて両ポケットの中に手を入れて確認した。

 一瞬だけ顔を上げて見ればリーダーがぎょろぎょろした目を更に剥く。そのまま目玉と眼鏡のレンズがくっついてしまいそうなくらいで若干恐怖が沸いた。

「入社して五年になります。もう新人だからの言い訳がきく年齢では決してございません。しかしながら、社会人として当然の電話を受けての報告、連絡を怠ってしまいました。自分なりに昨日原因を考えましたが、気の緩みがあったのは否定できないでしょう」

 頭を下げたまま、ぺろりと舌を出した。こういう謝罪は無理やり原因を、僕の過失を作るまで許してもらえない。「ただ忘れた」が理由であってもその裏に“気の緩み”だとか、“集中力の欠如”だとか己を貶すまで終わらないのだ。

「人員が二人から一時的にですが三人になり、『これで楽ができる』と安心し切ってしまったのです。本来、人員が増えましても同じ緊張感を正しく抱いて業務にあたるのが社会人の在り方です。賃金が発生している以上、発揮するパフォーマンスは一定でなければならないのですから。再発防止策として、今後電話の応対を行う際は初心を思い出しメモを取るようにいたします。そしてメモに書かれた内容を原則他の業務よりも先に片付ける。あるいはその場で遂行が不可能な場合は机の目立つ場所にメモ自体を張りつけ、パソコン上のTODOリストにも必ず入力いたします」

 何が緊張感だ。人に緊張を強いるクズにどうして頭を下げなければいけないのだろう? 被害者が加害者にどうして謝らなければならないんだ?

「特に取引先だけではなく、その先のお客様にもご迷惑をおかけしてしまいました。謝って許されることでは到底ございません。しかしながら今回はリーダーと近場さんの尽力により被害を最小限に留めることができました。心よりお礼申し上げます」

「そっちはわかったよ」

 頭を下げたまま、僕は口をとりあえず閉ざす。ぼりぼりと頭皮を搔きむしっている音がした。

「で? 君のミスについての言い訳はわかった。それよりも、もう一つ説明が必要なことがあるよね」

「はい! 職務を放棄してしまった件ですね。……そちらについては僕の向上心の暴走が理由に挙げられます」

「何を言っているんだ?」

 リーダーが虚を突かれたような声を吐き出す。一方で近場さんはずっと押し黙っていて、背後から僅かな呼吸音しかしなかった。この社会人の“儀式”に委縮しているのだろうか。

 いい気味だと口角をつり上げた。

「僕はずっと近場さんがアルバイトとしてやってきてくれてから、彼女を内心ライバルと認定し職務に励んでいました。今までの沢山のアルバイトの誰よりも飲み込みが早く、正確に僕達の仕事のサポートをしてくださる彼女はある意味脅威でした。僕にだって四年と少しの間社会人として働いてきたプライドがありますから。だから負けたくないと、無駄に張り合ってしまいました」

「それが君が逃げたのと何が」

「恥ずかしかったんです」

 後ろの近場さんが一歩足を下げた気がした。

「昨日のミスは百パーセント僕が悪いです。そしてカバーしてくださったリーダーと近場さんには足を向けて眠れません。しかし、だから恥ずかしかった。社会人として何年も経験を積んだ僕よりも彼女の方がずっと落ち着いて対処できていた。それを目の当たりにして怖くなって逃げました。……申し訳ございません」

 どうせ始末するんだ。だったら本音を聞かせた方が後ろの人間はショックを受けるだろう。

 恥、という感覚がナイフを箱から取り出した瞬間から欠落していた。だから自分を貶す真実も嘘も平気で吐けるし、むしろ心は凪いで、すがすがしかった。

 礼の姿勢のまま、僕はまだ頭を下げている。近場さんは背後で動かず、リーダーは眼鏡をハンカチで拭いているようでキュッキュッと音が振ってきた。やがて。

「いいたいことはそれだけか。針川君。……顔を上げろ」

 審判を待つ犯罪者のような顔を作り、身体をわざと震わせる。そうして勿体ぶって上げれば──

 今までで一番醜く口角を上げ嗤うリーダーがそこにいた。


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