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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.後編 近場千花は夢を見たくない
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2-1 二日目の彼女

「いやー。近場さんを選んだ自分を褒めたい! 本当に頑張ってくれているねぇ」

 リーダーが調子の良いことをいつものようにつらつらと並び立てていた。近場さんは「ありがとうございます」と小さく会釈をして、またモニターへと向き直った。

 二日目。近場さんは遅刻なんてしないどころか十分前にはまた出勤してきて、「おはようございます!」と元気な挨拶をした。

 そうして昨日と同じとおりに電話に出ては予約を捌いて、他店への振り分けもして、期待の倍以上の成果を上げている。ただがむしゃらに何でもできると思い込むのではなく、困った時、初めてのケースの時は僕に質問し指示を仰ぐ。だから文句のつけようがなかった。残念なことに。

 受話器を置いて首をコキコキと鳴らす。休みなしで電話を三連続も受けた上に、全部当日予約で他店を勧めたものだから多少疲れたのだろう。ペットボトルの麦茶の蓋を開けながら、メモ帳にペンを走らせる近場さんに僕は間に書類を積みながらそっと声をかけた。

「近場さん」

 ごくりと麦茶を飲んだ音が響いた。

「はい?」

 どけるつもりもないどころか更に昨日より増えた書類の山を通り越す……のは難しいため、僕も近場さんもキャスター付きの椅子を後ろに動かして互いの顔を見る。グレーのシャツにベージュのパンツ、紺のパンプスというリーダーがまた色気のなさを訴えそうな服装をきちんと着こなしていた。

「昨日言い忘れたんだけど、もしメモまとめるのに蛍光マーカーとか必要だったら、その机の上のペン入れのは使っていいよ。引き出しはちょっと鍵を失くしちゃってね」

「これ、いいんですか?」

 近場さんが立ち上がり、蓋を閉めたペットボトルを置きながら左モニターの裏側を覗き込む。ちょうどそこにL字型をしたピンクのパステルカラーのペン立てが置いてあった。Lの縦の部分にペンを差し込めるようになっていて、横の部分は小さな引き出しになっていた。

「うん。前任のだけど。置いていったからどうぞ」

「ありがとうございます。必要になったら使わせて……あ」

 電話が鳴り、近場さんが慌てて受話器を取る。今回はちょうどツーコールくらい。お客さんを待たせないラインを守って彼女はそっとキャスター付きの椅子を足を使って机に近づけながら応対を始めた。

「やっぱり優秀だ。今まで繁忙期に雇ったバイト達の中で一位かも」

「はい」

「針川君も頑張れよ。触発されて皆のスキルが上がる! いい相乗効果が出ることを願っているよ」

 昨日歴代の女の中では下から数えた方が早いとかぬかしていたくせに。とにかく自分と同じくらいの身長なのが気に食わないらしい。じゃあ採用しなければ良かったのに、と胃のむかつきを堪えながら僕も椅子を机に近づけた。今日中に返事をしなければならない案件が五件、あった。一件およそ二時間かかるとして……そう考えながらパソコンの右下の時刻を見つめる。十一時四十八分。もうすぐ昼休憩の時間だった。

「はい。……ではお待ちしております。失礼します」

 受話器がゆっくり置かれ、近場さんがそっと立ち上がる。さっきのペン立てを見たいらしい。

 両手で大切そうに持ったそれをゆっくり机に置く。書類のせいで近場さんの手元もペン立ても見えないが、埃が宙を舞っている。ペンを一本一本眺めているようだった。

「あれ?」

 近場さんが小さいがたしかに不思議そうな声を上げた。さすがに問うべきだろうと僕はまた近場さんの名を呼んだ。

「どうしたの? ペン立て、蛍光マーカーなかった?」

「あ、すみません。このペン立て、昔私も使ってたなぁって思っただけです」

 「仕事の邪魔してすみません」と頭を下げられた。

「別にいいけど……そうなんだ」

「あ、はい。壊れて捨てちゃったんですけど懐かしくて」

「へぇ。近場さんってたしか実家暮らしだよね」

 リーダーが突然僕達の会話に割り込んでくる。

「そうです。実家から大学に通ってます」

「一人暮らししようとは思わなかったの? 大切だよぉ、十八歳が成人になったことだし、大人の自覚を持たなきゃ。自立の第一歩ってね」

 にたりと太い唇をリーダーは歪めていた。

「たしかにそうですよね。だからその内……大学二年になったらしようかなって思ってるんですけど」

 リーダーが一瞬面食らったような顔をする。近場さんは嫌味にも気づかずニコニコと“人生の大先輩の助言”としてリーダーの言葉を受け取っているようだった。

「本当は社会人になってから、とも考えたんですけど一気に就職して住む場所も変えて家事も全部やってだと……大変だなぁと思いまして。だから段階的に自立したいと考えてます。その一歩でアルバイトに応募させてもらいまして」

「ああ。ここで電話の応対スキルを学びたいってリモート面接の時に言ってたね」

「はい。なので至らないところがあったら指導よろしくお願いします。リーダーと針川さんを短い間ですが人生の先輩として見習っていきたいと思います」

「そうかぁ。よし、だったらさっきの電話の対応だけどね」

 リーダーが手招きして、近場さんを呼ぶ。トコトコとメモを持って近づいて行った近場さんに「さっきの『少々お待ちください』って言って保留にした後の第一声なんだけど……」とリーダーが緩み切った顔で唇を動かしていた。

 背の高い女は嫌いじゃなかったのか。呆然と二人を見つめていれば胸に痛みが走る。急いで目の前のモニターとキスするくらいの距離まで顔を近づけ、そして手を動かし続けた。

 近場さんの“従順さ”が、リーダーの好みだったのだ。彼女は嫌味にすら気づかず、逆に僕達を尊敬していると目を輝かせた。褒められて嫌な気持ちになる人間は少ないだろう。ランキングが変動しそうだぞと心の中で揶揄する一方で、空腹以外の理由で胃がゴロゴロと鳴った。

 そんな媚を売っても僕は騙されない。大学生であることを活かして他人を持ち上げて懐に入り込む。女で胸がでかいからってこんなにも──とまで考えて目をぎゅっと閉じた。いけない。性差別者になったらあの緩み切った醜い顔をしたリーダーと同じになってしまう。僕はもう違う、ただの“被害者”で……。

 ポーンとチャイムが部屋に響く。十二時。昼の休憩の時間だった。

「あ、もうこんな時間か。じゃあ近場さん、一時まで休憩してきて」

「はい。ありがとうございます。次から気をつけて応対してみますね」

「返事も良し、だ。今日のお昼は?」

「これから向かいのコンビニに行って買ってきます」

「じゃあ、女子更衣室の鍵。休憩が終わったらまた俺に返して」

「わかりました。休憩いただきます」

 僕とリーダーにまた頭を下げ、近場さんが出て行く。残された部屋は何だか妙に静かだった。

「明日から休憩時間をずらして、十一時半から十二時半で取るようにしてもらった。針川はいつもどおり十二時半から一時半な」

 お昼休憩時に電話をかけてくるお客さんは多い。学生は絶賛夏休みだろうけど、社会人は夏だろうとただの平日に過ぎなく、飲み会の予約を昼休憩に済まそうとするからだ。

「しっかし本当に身長が高くて、ちょっと太い以外はよくできた子だよ。もう少し痩せて、服装を崩してくれたら延長したいくらいだ」

「リーダー……その」

 ポケットに入れた手がまた震えた。胃が沸々と沸騰したように熱い。

「針川も頑張れよ。若い人間の方が成長が早いんだ。十日で抜かされるのが現実味を帯びてきたぞ」

 ゴリっと耳元で音がして、鈍い痛みに顔をしかめる。奥歯を激しく食いしばっているのに気がついた。

「そうですね。……僕も頑張ります」

 「おう」と返事があり、僕は無心でタイピングを続ける振りをする。胃が空腹と、それから別の理由で鳴り、痛みを訴えていた。苛立ちが指に伝わり、キーを叩く手が乱暴になる。

「なんだ、針川。うるさいぞ」

「すみません、ちょっと昼休憩前に終わらせてしまいたくて」

「周囲を気遣え。近場さんなら……」

 そこから先は聞こえなかった。ザーザーと耳鳴りがして、僕は無心にキーボードを叩き続ける。何であんな女を、何も苦労もしていないガキに!

 右からソースの匂いが漂ってきて、リーダーのくちゃくちゃとした咀嚼音がする。余計に痛みと共に腹が鳴り、そして電話も鳴った。

 近場さんのお昼休憩中はバイトの子がいない時のように僕が全部の電話に出る。だから立ち上がり近場さんの机の受話器を掴んで、客からの予約を受け付けていく。

 そうすれば十二時半を回っていて、僕はまた左ポケットに手を入れる。指を動かして、ごつごつとしたそれを優しくなぞった。

「お昼、僕も取ってきます」

「おーう」

 リーダーが焼きそばを頬張りながらひらひらと手を振る。ここから少しの間はリーダーが電話番だが僕には関係ない。急ぎ足で階段を駆け下りて、そして不本意だが彼女が昼飯を買ったのと同じコンビニへと向かった。

 心臓がドクドクと音を立てる。息が詰まる。眩暈がする。

 理不尽を教えてやろう──そう決意したのはビルを抜け、真夏の太陽に照らされた時だった。


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