表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.後編 近場千花は夢を見たくない
61/79

1-1 短期アルバイトにやってきた女

「近場千花です。短い間ですがよろしくお願いします」

 電話という仕事を押しつけるために雇っては逃げられている新たな生贄こと短期バイトの人間が深々と頭を下げる。就業時間十五分前に来て、小さなクッキーの詰め合わせを差し出した。きっちり“お土産”も用意してくるとは、と多少面食らってしまった。ただの短期バイトなのに。

 ぱちぱちと拍手をリーダーと僕が送る。頭を上げた近場さんがふんわりと微笑んだ。

「えー。これから十日間だけどよろしくお願いします。大体の業務内容は面接の時に説明したとおりだけど、機械の操作とかはわかんないと思うからね。針川君、よろしく」

「よろしくお願いします。頑張ります!」

 背の高い黒髪のボブカットの女の子だった。白いシンプルなブラウスに、紺色のストレートパンツを履いて真っ直ぐ立っている。かなり背が高い、というのが第一印象だった。おそらく百七十センチ以上あるんじゃないだろうか。隣に立つリーダーと殆ど背が変わらず、ブラウスの袖から腕が健康的に伸びていた。なのにどことなく小動物っぽさがある顔つきをしていて、それが柔らかい雰囲気を作り出していた。

 「針川さん……? それとも先輩?」と首を傾げていたので「呼びやすい方で」と僕も笑い返す。矢野尾リーダーが近場さん用の席を指差す。僕の隣……といっても散らかっていて僕と近場さんの席の間には大量の書類と本が積まれていた。正直に言ってしまうと十日だけのバイトの子のために片づける余裕も時間もなかったのである。近場さんがてくてくと歩き、与えられたデスクの前に進んだ。

「今日入らせていただいた時からびっくりしていたんですけど、パソコンを二台も使うんですか」

 僕が今いるこの場所は、企業相手に様々なシステムの作成、販売とその保守を行っている本社から分かれた出向先で、ビルの一室だ。弊社のお得意様の中の一つ。有名居酒屋チェーン店の予約システムの管理と、何故か予約受付業務をも小さな事務所を借りて任されていた。日本全国、繁華街でビルを見上げれば看板の一つや二つあるチェーン店で数が多い。だから地域ごとに小さなオフィスビルを様々な場所で借りて予約受付とシステム管理を共にやっているらしい。

 システムの開発、管理業務と、実際にそのシステムを使用して電話の受付もやるのは畑違いな気がしてならないが、僕が知るところではない。とにかくその畑違い業務も兼任させられている哀れな出張所の一つで僕は働いていた。

 現在ここの正社員は僕、リーダーだけで、机も典型的なスチール製の事務机が二つずつ向き合って並んでいて、部屋の奥に四つの机を監視するようにリーダーの一回りだけ大きな同じ素材の机が鎮座している。昔は四人の平社員とリーダー一人でやっていたけど、人件費削減という企業が一番やってはならない悪手を取って今の形になってしまった。僕の目の前と近場さんの目の前はもう机というより物置だった。デジタル化やペーパーレスが進んでいる昨今に反するかのように捨てていいのかわからない書類が積まれていて年単位でそのままになっている。

「ああ。片方は予約の入力で、もう片方はリアルタイムで他拠点の情報が更新されていってるって感じ。近場さんが入力に使用するのは主にこっちで、こっちを見てデータを送信する……でわかるかな」

 うちの会社IT企業なのにお得意様だからといって居酒屋の予約の電話受付までやるなんて変だよね、なんて本音は飲み込んでおいた。僕と近場さんの机の上にはパソコンが二台、置かれている。どちらも既に電源が入っていて、特に右のモニターは様々な数字や文字列が流れていた。

「すみません。メモ、出したいです」

 両手で握っていたショルダーバッグを机の上に出し、がさごそとB5サイズのノートとボールペンを取り出した。

「お待たせしました」

「熱心だねぇ」

 たった十日なのに。そう過った考えに蓋をして僕は説明を続ける。基本的には机の上の電話を取ってもらい、予約を受け、担当八店舗に空きがあれば左の端末に時間や人数やコースの有無等を入力。空きがなければ右の端末で近くの系列店の空きを探し案内して右の端末に簡単に入力して電話をその店舗に繋ぐ。定期的に電話ではなく公式フォームからの予約もチェックして、それも左の端末に入力していく……といった感じだった。

「左と右の端末は一定時間ごとに同期するようになっているけど、時間に余裕があったらそこのファイルの左の状況の入力漏れがないか確認をお願い。それからこの季節、暑気払いだなんだってドタキャンや無茶を言ってくるお客さんが多いのね。で基本はそこに置いてあるマニュアル記載のサービス外のことは一切受け付けない。けど引き下がって所謂“カスハラ”をしてくる奴がいたらなんだけど……」

 近場さんの机の右端末のマウスを握り、“カスハラ共有”とわかりやす過ぎる名前の書かれたファイルをダブルクリックする。そうして「研修中。テスト」と入力し受話器を上げてから端に置かれた小さな赤いボタンを押した。

「あーあーテステス。ただいまバイトの子にシステムを教えています」

 モニターの文字列の一番上に「あーあーテステス。ただいまバイトの子にシステムを教えています」と表示される。近場さんがわあと感嘆の声を上げた。

「こういう風にこのシステム使ってる全体にカスハラ対応中であることと、相手の客の情報がそのまま会話のログでもって共有される」

 「テスト終了」と呟いてから受話器を置き、赤いボタンから手を放した。

「できるだけ使わないに越したことはないから最初は僕に相談して。メモをこの束の上に置いてくれればいい。使ってよさそうだったら合図するからそうしたらその赤いボタンを押して」

「わかりました。全体に公開されてしまうからできるだけ使わないようにするってことですね」

「おー飲み込みが早い。そうそう、軽く怒鳴られる程度なら社会人なら当たり前の経験だから。それくらいで共有してたら、ログが暴言だらけになって対応もできなくなっちゃうからね」

 まずは、と軽くかませば近場さんが目をぱちくりとさせてから「はい」と頷いた。すると矢野尾リーダーが苦笑いを浮かべながらパンパンと手を叩く。

「こらこら。大学一年生を怯えさせない。近場さん、何か困ったことがあったら針川君に押しつけちゃって大丈夫だからね。まずは電話を取って一号店から八号店のどの店舗あての予約か。それから人数とコースと時間だけ左の端末に入力することから始めよう。予約がいっぱいだったらとりあえず針川君に聞いてもいい」

「ありがとうございます」

 改めて他人の口から聞けば随分と無茶を言っているとしか思えない。本当に理解しているのだろうか。八店舗の予約を全部確認しながら電話に出続けるんだぞ。そんな僕の心配を当然知らないで、近場さんは相変わらずニコニコとしてはっきりと返事をした。やる気だけ出しておけばいいと思っている新入社員のようだ、例えば……そんな記憶がふと湧きあがり咄嗟に心の中で否定した。

「大体説明は以上かな。電話を出た時の挨拶は机のマニュアルどおりでいいし、そうだな……。あ!」

 リーダーが手をポンと叩き、うんうんと首を振った。

「さっきのカスハラ対策のシステムだけどね。あれ受話器の向こう側、要はお客さんの声を拾うのは勿論なんだけど、こっちの声もかなり広範囲で拾うの」

「広範囲、ですか?」

「うんうん。普通受話器持ってる人だけでいいと思うんだけど、ちょっと旧式のポンコツを使っててねぇ。だから例えば近場さんが対応してる時に俺や針川君がサボってスマホで動画を見てたとするでしょ? その音声もバッチリ文字入力されて同じシステム使ってる支店に伝わっちゃうの。だからお互いにあのシステム使う時は、合図することになってる。俺達は受話器持ってない方の手を挙げてるなぁ」

「わかりました。私もえっと……右手を挙げます」

「申し訳ないけど散らかってて見えにくいから小学生みたいに真っ直ぐ上にあげてね。あとは……」

 近場さんが熱心にペンを走らせているのを見ながら、リーダーはまたニコニコと話し出した。

「簡単な場所の説明ね。ここ、三階には自動販売機がないから飲み物買うなら一階まで行って。それからこの部屋の右隣が男子更衣室兼荷物置き場で、更に隣が女子更衣室兼荷物置き場。片付ける時間がなかったから、女子更衣室はずっとそのままになってて、散らかってたらごめん。トイレは……ここに来る時に看板見ただろうけど、更に先の突き当たり。お昼ご飯を持ってきてるなら機材保護の観点から一応更衣室で食べることになってる。まあ、俺はここで飯食べてるんだけど、何かあった時にバイトの子に指導してないって怒られちゃうからよろしく。それから一応注意点としてはこの部屋の壁は厚い。けど男女更衣室の間の壁は薄い……というより音漏れが酷い」

 不思議そうにしている近場さんに、僕が説明を引き継いだ。

「あー。えっとね。つまり休み時間に更衣室でならお友達と電話とかしてもいいんだけど、たぶん隣で飯食ってる僕に聞こえる。前に更衣室で昼休みに彼氏と修羅場の大喧嘩を始めてそれがだだ漏れで午後の仕事が気まずかったことがあってねぇ……」

「それは……たしかに気まずいですねぇ」

「あれはさすがにヒヤッとしたよ……うん。とりあえずこれくらいかな」

 壁にかけた時計が九時半を指し示していた。十時から電話予約の受付が始まる。

「僕とリーダーは他の仕事をやってるから基本的には電話には出れない。けど、質問やヘルプは受け付けてるからヤバいと思ったら僕に言ってね」

 着席を促して僕自身も座る。近場さんが椅子を引いて薄っぺらい骨盤クッションが置かれているのに一瞬怪訝な顔をした。「座って大丈夫だよ」と告げればそのままゆっくりと座る。

「あの、鞄をこの籠に入れても?」

「うん。そんなに手荷物多くないから更衣室に置かなくてよさそうだね。前の人の私物が残っちゃってるけど気にしないで」

 近場さんに使ってもらう席の足元にはプラスチック製の空の籠が置かれていた。近場さんは一瞬手を止めたが、そのまま鞄を籠に放り込む。そうしてさっきのノートとペンだけを机の上に置いたようだった。

 部屋の入口から近場さん、その右隣に大量の書類を挟んで僕、更に右の方の離れた机にこっちを向くようにして矢野尾リーダー。着席した近場さんの顔は見えるけど、手元や机の中央に置いてある受話器は書類のせいで、更に配置の都合上背を向けるように斜めに配置されている右のモニターの画面は当然見えなかった。

 近場さんがすう、と息を吐く。机の上に置いてあるマニュアルを開いて、電話応対の表をモニターとモニターの間に立てかけた。

「そうだ。最後に」

 リーダーが僕を指差して困ったように笑った。

「さっきから気になってるかもしれないけどね。針川君はクールビズの時代なのに夏でもスーツを着てないと落ち着かないんだって。寒がりなんじゃなくて気持ちの問題。だから暑かったら冷房の温度下げるから言ってね」

 こうして十日だけのアルバイトの近場さんとの仕事が始まったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ