3-22.5 眩しい日差しの中の幕間
「面白かったねぇ。……後味は悪かったけど」
「うわー眩しい!」と千花が目を細めて敬礼のように瞼の上に手をやり日を避けようとしていた。照明を落とされている映画館から外に出てみれば、ただの日差しも非常に眩しく感じる。人混みもいつも以上に騒がしく感じて、俺も目を別の理由で細めた。俺達もこれから人混みの一部になるというのにな。
飲み切れなかったジンジャーエールを千花は持っていてストローでちびちびと吸っている。透明なストローに液体が上下していた。
「まぁまぁじゃないか」
「えー。真剣な表情で見てたのに」
「上映中に俺の顔見てたのかよ」
二人して近くのファミレスへと歩き出す。小さなバケツくらいのポップコーンを二人で食べたはずなのに、腹が空腹を訴えていた。
「見てないよ。でもアンタが食い入るように前のめりだったから視界に入ってきたが正しい」
千花が上体をぐいっと前に出し、持っているストローを頬に当てていた。当たった場所を指で撫でて千花が続ける。
「だからとっても面白かったのかなって思ったんだけど」
「面白いというか興味深い、が正しい」
「そんな評論家みたいな台詞を」
「……なあ」
思わず立ち止まってしまえば、それに気づいたのか二三歩先を行っていた千花も振り返る。歩道の中央からどちらともなくビルの壁に寄って向き合っていた。
「さっきの映画みたいに隣人が殺人鬼だったらどうする?」
できるだけ「明日は雨だっけ」というような調子で尋ねたはずだった。それでも胃に鉛を詰められたような感覚に襲われた。
俺と千花がさっき見た映画はサスペンスとラブストーリーを混ぜたものだった。とあるマンションに住む男の隣に引っ越してきた女はなんと快楽殺人鬼。交流を深め付き合い始める一方で、女は男に隠しながら町の住民を殺害し山に死体を埋めに行き深夜に帰宅する。やがて男が女の行動を不審に思い……というあらすじだった。
映画は正体を知った男が自らも殺人鬼となり女と共に罪を犯すことを決意し、次の獲物を狙いに行こうとしたところで、交通事故に遭って共に死亡するという結末だった。因果応報、天罰のカタルシスを得るか、悪趣味だと罵るか、そこに至るまでの情愛に非現実的なロマンスを覚えるか。そんな賛否両論の評判だったため、せっかくだから見てみようと誘われたのが数日前だった。
共に地獄に堕ちる覚悟をする。まるで俺が千花に願っている内容で真剣に結末を見守ってしまっていたのが真相だった。
「身の安全を確保しつつ、自首を促すかなぁ。一緒に警察に行くと思う」
「いや逃げろよ」
大真面目に、しかし明日の天気を尋ねられたように千花は軽く返してくる。小さな唇がストローを銜え、ジンジャーエールを吸う。こくりこくりと喉が上下していた。
「身の安全を確保しつつって言ってるじゃん。あんなにお互いに大好きだったって前提の話でしょ? だったら逃げる選択肢が取れなさそうかなって」
「破滅するタイプだな。映画よりも悪い結末に辿り着きそうだぜ」
ムッとしている千花を背に俺はまた歩き出す。後ろから雑踏の中でも聞き分けられる足音が続き、俺達は等間隔で並べられた街路樹と自動車を視界の端に留めながらビル沿いに歩道を進んで行く。
「でも私は反省してほしかったな」
「無茶を言うな。彼女がそうなった理由、ちゃんと説明あっただろ」
「あったけど、人を殺すのは駄目だよ。理由はわかるけど私があの男の人なら許せないかな」
女が殺人鬼となったのには悲しい理由があった。どんなに悲しくとも殺人は許されないだろうが。青空を見上げ自嘲する。
映画の女に酷く肩入れしていた。反省も後悔もしていないし、する必要もない。これからもそう生きていくつもりだった。
「……じゃあ、お前があの男だったら何をすれば女が反省すると思う?」
振り返らずに俺は呟く。雑踏に掻き消され、俺達の会話はきっと俺達しか聞いていない。だから“ネタバレ”への配慮も会話の内容が物騒なのも気にする必要はなかった。
ズッと掃除機が大きな物を吸ってしまった時のような音がして、千花がジンジャーエールを飲み干した。その後「うーん」と唸って「これ、お互いにあれだけ愛し合ってた、お互いがいなければ生きていけない状態なのが前提なんだけどね」と大層な条件を俺の背に投げかけた。
プラスチックが擦れる音がする。ジンジャーエールの蓋を指で叩いているようだった。
「自首……が無理なら通報して、逮捕してもらうかな」
「で、刑期を終えるまで待つのか」
あれだけの人数を殺していれば死刑に違いない。だがそこには触れずに答えを待った。
「ううん。二度と会わない。私……というか男の人も女の人もお互いに本当はずっと一緒にいたいだろうけど、だからこそ会わない。それが一番の罰で、反省だと思う」
「おい。それは罰だろうが反省とは別問題じゃないか」
「改心はしなくとも反省は少しはするんじゃないかな。だってさっきの映画、一番大切なのがお互いだったって話でしょ? だったら自分の悪事で“一番大切な人を失った”ら心境の変化はあると思いたいし、私がそうしたいかな」
気がつけば早足になりかけていて、一瞬だけ立ち止まりゆっくりと歩き出す。ただの映画の感想だ。千花は何も知らないし、気づかない。何で映画館でアイスコーヒーを飲み切ってしまったんだろう。喉奥が熱く、ひりひりと痛んだ。
「それって、千花……というか男も傷つくよな? 自分が共犯者になってまで一緒にいたかった相手と二度と会わないなんて。男はその時点では“女が殺人鬼だと知っただけの善良な一般人”だろ」
「傷ついても私ならそうしたい。それだけ好きなら……自分が傷を負ってでも好きな人には反省して真っ当な道を歩いてほしいって考えるかな。二度と会えなくても、辛くてもそれでいい」
足を何とか片方ずつ前へ、前へと進める。「そうか」とだけ、相槌を打って自動車のエンジン音に全てが掻き消された振りをするように無言だった。
「自己満足なんだろうけどね。でも、自分にできるケジメはつけたい」
千花が言葉を零している。過去の、あの時の千花と同じだった。自分が傷ついても理不尽を許さない。
ああ。やはり記憶を思い出させては絶対に駄目だ。
俺は、そんな未来が来ないことをただ願って、人混みの中に消えてしまいたくなる衝動と一人戦っていた。




