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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-21 伸ばした手を振り払われ、突き刺され

「君が虐待にあっていたのは百パーセント両親が、兄さんが悪いよ。だから警察官として処分が必要ならきちんと木寄さんは対応してあげてほしい。けれど、ねぇ叶大君。君はもう、中学生なんだよ。ううん、小学生の時だって五年生くらいならもう大人と同等の判断ができるはずだ」

 叔父が肩を竦めながら芝居のような溜め息をついた。その顔は口角が歪んで上がっていた。

「小学生と中学生に? すみません、言っている意味が」

 本当に理解ができない。俺は何を言われてる? 平静を装えば一際大きく「はあ」とわざとらしい溜め息をまたつかれる。「叶大君」と俺の名を呼ぶ声に叱責の色が何故か混じっていた。

「だからさぁ。こうなる前に、兄さんと奥さんがそこまでエスカレートする前に叶大君にもできることがあったはずなんだと僕は思うんだよね。君は僕に今後の支援がほしいみたいだけど、だったら尚更言っとかなきゃならない」

 視界がじわりと真っ赤に染まっていく感覚があった。それでも叔父は水を得た魚のようにその舌をべろべろと動かし続けている。

「何で、最初にこんな場所に連れ込まれて暴力を受けた後すぐに助けを求めなかったの? 君の周りには小学校の友達も頼りになる先生もいたはずだ。だから足りなかったのは君の努力だよ。……ちゃんと君が声を上げなきゃいけないに決まってるじゃないか」

 言葉を紡ぐ度に開かれる口内から赤い舌が覗き、あの時の化け物のように蠢いていた。酸素が、足りない。ゼイ、と俺の口から音がして掠れた声で化け物に対峙しようと震える拳を更に握りしめた。

「……頼りになる先生と言いますが、日に日に荒んでいく俺の姿を見ても何も気づいてくれませんでした」

「あのねぇ。何もしないで気づいてもらおうだなんて甘え過ぎだよ叶大君。ちゃんと君が助けを求めなきゃ」

 血の味がして、自分が唇の端を強く噛んでいるのに気がついた。血が落ちていく感覚、と言ったらいいのだろうか。加速していた心臓の鼓動が収まり、全身が冷えていく。真っ赤に染まりそうだった視界が元に戻って俺の前にはただ気味の悪い笑みを浮かべた叔父がいた。

 助けを求めるって何だ? 言っている意味がわからない。

 だって両親に“復讐しなければ俺はずっと虐待され続けるまま”じゃねぇか。

「まだ子どもですよ、俺。図体は段々デカくなってきてますが」

「そういう判断が、そもそも“こういう場”を用意できている時点で全然ただの被害者じゃないだろう、君。抵抗できる力がある、なのにしなかったのだから“そういう家庭”だとそれでもいいと受け入れてたんだ。そうは思いませんか、木寄さん」

 視線をそのままスライドさせればただ目を見開いたまま、頬に涙の筋を作ったままの木寄が身体を激しく震わせた。無理して正座を作り続けていたのだろう、自らの衝撃で足が崩れ顔を歪ませる。

「あ、ああ。そうだ、叶大。たしかに証拠がある以上、この件はきちんと持って帰って処分が下るはずだ。でも、だったら何故俺に言わなかった?」

「木寄さんは父さんと母さんを尊敬していたでしょう。証拠も無しに信じてもらえるとは思えませんでした」

「そこが君の駄目なところだ、叶大君。君は人に助けてもらいたいのに、人をまるで信じてない。そんなのじゃ助けてあげようなんて人、いないよ」

 そもそも気づかなかったくせに。今までの俺なら怒鳴り、何なら掴みかかっていたかもしれない。相変わらず呆然と俺達を見つめるだけの父に辟易しながらも、俺は妙に落ち着いていた。呼吸に乱れもなく、三人をじっと見つめていた。怖くは当然なかった。そして怒りが消え失せたわけでもない。

 ただ、呆れていた。怒りも頂点に達すると呆れと諦めになるらしい。


 仮に助けを求めなきゃわからないとして、この世に言い出せる人間が何人いるんだ?


 激情が沸き上がる代わりに、侮蔑の感情だけが膨らんでいく。叔父も木寄も父も全員化け物以下だ。ああ、やっぱり俺の“一番の復讐”はして良かったんだ。母がこの世から消えて清々しい反面、何故か毎晩嘔吐していたが、今晩からは大丈夫だと確信があった。

 人に助けを求めるという行為は実はハードルが高い。そもそも自分が誰かに害された姿や経緯を他者に披露するのだけで、それが正当な訴えであっても被害者は激しく傷つく。思い出すだけでも心身に不調をきたすことがある。やっとの思いで言葉にしてもそれを今の俺みたいに取り合ってもらえなく、更に傷を負う可能性だってあるのだ。

 無数に侮蔑の言葉だけが沸いてきていた。殺しても殺したりない連中だと、指先が痺れていった。

 第一、理不尽に虐げられた時に助けを求められる精神状態でいられる方が少ないんじゃないだろうか。心身ともに傷つけられ疲弊し、一種の洗脳状態にされ、自分の状況が異常だと気づけないあるいは気づいても打開するための行動を取れない可能性が高い。思考と視野がとんでもなく狭まってしまうのだ。

 俺がそうだった。始めの内はあの修行を本当に俺への愛情だと思い込まされていたし信じたかった。違和感を覚えた時には学校という外部の世界からは孤立していて、助けを求められる状況ではなかった。気がついたら心が麻痺してただ苦痛だけの毎日を過ごしていた。

 何より俺は助けを求めるなんてこと自体が思いつかなかった。あんな学校の連中の誰に助けを求めればいい? 

 叔父に言われた言葉で傷ついた反面、衝撃のあまり言葉を紡げなかったのに歯噛みする。

 復讐をしなければ、俺は救われないと本気で信じていた。復讐という手段だけが見たいものとなっていてそれだけが状況を打開する一手だと自らを洗脳していたのは事実だった。

 でも、どうすれば良かったのだろう?


 だって、言えないのだ。こんな理不尽に虐げられ疲弊し孤立している状況下で助けを求められるわけがない。


 俺がまだ自分のことを全部自分でできないガキだってのもあるが、きっと年齢は関係ないんだろう。

叔父と木寄はそんな俺に非があると叱責する。理不尽に虐げられ、心身を擦り減らし正常な判断すらできない状態で助けてもらいたいと声を出せないことは罪なのか。

 言えないなら助けられない。伸ばせない手を伸ばせと不可能を突きつけてくる。こいつらの主張は「理不尽な被害に遭った時点で死ね」と同義だ。

「叶大君? 言い返せないのかな。僕達が正しいとわかってくれたのかな」

 叔父と木寄がニヤニヤと楽しげな声を上げた。言い返すだけ無駄だ。そんな感情が俺を支配していた。俺の正当性は既に訴えた。なのにこの仕打ちなんだから何を言っても無駄だろう。だからこそ。

「だったら“予定どおり”やるだけだ」

 敢えて聞き取れない声量で俺は低く唸った。「聞こえないよぉ」と叔父が嗤う。聞こえないように言ったから当然だ。それでも、また視界が真っ赤に染まり狂おしいほどに叫びたい衝動を首筋ごと手で押さえて、気づけば息が荒くなっていた。

 まだそれだけの怒りを相手に俺は持てている自分に内心安堵する。吐いた息の熱さに“あんなことをしても”自分が血の通った人間だと自覚させられた。

 人は見たいものしか見ない生き物だと親は何度も繰り返して俺を呪ってきた。そこについて異論はない。そしてそれでも見たくないものと対面するのが、退怪者だと言う。そこについては反論があった。

 退怪者だろうと何だろうと人は“それ”を乗り越えられる生き物だ。それこそ俺が自らに降りかかっているものが虐待だと認めたように。だから見たくないものに気づくのが人だ。

 理不尽に気づき怒り、誰かの助けに気づき手を差し伸べるのが正しい人の在り方だ。

 だから見せつけてやったのに、その結果がこれか。

 また脳に氷を敷き詰められたように思考が冷えていった。だったら、俺は。

 諦め、決意をすれば、吐いた息も冷たくなった気がした。


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