3―20 復讐
凄惨とはこういう状態を指すのだろうと俺は内心ほくそ笑んだ。
“道場”の入り口から見て右側に俺と父、左側に叔父と木寄が座っている。父は真っ青な顔をして俯き、叔父はおろおろと視線を泳がせ座布団の端を引っ張っている。木寄はただ目を見開いてそこから大粒の涙を流していた。
「……受けた虐待で今説明できるのは以上です」
俺は正座をしたまま、眉を下げ顔に悲劇を張りつける。だが部屋の端にまで届く声量ではっきりと言い放った。大きな道場の中心に俺達は真四角になるように座布団を敷いて向かい合っていた。部屋の一番奥に白い布を被せた机があって、そこに母の骨壺と花、線香立てを置いている。だが煙は一切あがっていない。
俺と父の背後にはモニターがあって、映像を延々と繰り返し流していた。昔の無声映画のように人が薄暗い中で蠢いている。三人の内の一人が小さく、この場所と同じ色の床に二人から叩きつけられていた。片方が小さい人間に馬乗りになり、拳を腹に下ろす。もう一人の人影がカメラから外れ数秒後、桶と柄杓を持って中の水を小さい人影の顔面に降りかけた。
カメラが遠くでもわかるほど、二人の大人の顔は歪んだ笑顔をしていた。
暴力を振るわれた子どもはただ歯を食いしばっていた。
俺達のいつもの修行の光景だった。
家に着き、俺は三人を玄関にあげ、真っ直ぐに廊下を歩き出した。俺が先頭で三人がついてくる。するとおや、と父や木寄から声が上がる。リビングも母の私室の扉も開けず「こちらです」と更に奥へと案内したからだ。
フローリングに靴下で四つの足音が小さく響く。だが、一つの足音が止み「叶大」と背後から困惑の声がした。
「叶大。どこに行くつもりだ」
「どこって母さんを置ける場所だよ。一番良い場所に決まってる」
俺は足をとめない。それでも振り返れば父は目をカッと見開いていて骨壺を持つ手が震えている。叔父がそんな父を怪訝な顔をして見つめながら歩いていた。木寄は何か良くない予感を察知して、首を振り俺と父の顔を交互にうかがっていた。
そして一つの扉の前で立ち止まった途端、父ががらがらの声で叫び声を上げ床がドンドンドンと揺れた。叔父が悲鳴を上げ、木寄が俺に詰め寄って肩を掴まれる。
「何を……!」
木寄の制止を振り払い、鍵を開けた。こいつもこの部屋のことは知らないはずだ。だが父の変貌に“何か父にとって良くないことが起きる”くらいは理解したのだろう。気にせず、扉を開ければ地下へと向かう階段が続いていた。
「明かりをつけます。そのままついてきてください」
「ど、どういうつもりだ……。こいつがいるのに」
叔父のことだろう。この下にあるものは叔父の常識の範疇にあるものではない。だから必要なのに。振り返ってここで口論になっても意味がない。答えずにそのまま一歩一歩階段を下りていった。
そうして俺達の前に現れたのは、いつもの“道場”だった。緑のビニール製のマットが敷かれ、端に桶や柄杓等、修行に必要な道具が揃って置かれている。
ただ違うのは座布団と母を置くための台、それから大きなモニターが中央にセッティングされていることだった。
「こんな映像……どうして」
叔父が俺が虫の息でマットに倒れている映像から目を逸らす。崩した足が小刻みに震えていた。
「修行と称して特定の姿勢を保つ『型』の指導を受けてました。柔道や空手、その他様々な格闘技を組み合わせた独自のものらしい。寸分の狂いがないよう、確認したくて父と母はいつも修行の時はカメラを回していたんです」
「そうじゃない。何で……兄さんは。大体こんな場所が何で自宅の地下に」
「警察官にした……かった。理不尽な悪と……最前線で戦えるような」
お決まりの嘘を小石を一つずつ投げるように父は言葉を弱々しく落としていった。
「警察官って……たしかに兄さんも警官だし、同じ道に進ませたいのも、それこそ機動隊にでもなるんだったら身体を作らなきゃいけない職業なのはわかるよ! でも、こんな小学生の時からずっと……」
「それしかないと、思った。叶大はわかってくれていると」
「暴力を振るう理由を理解しろと言うんですか。毎日怖くて仕方がなかったのに」
声を震わせればハッとして父がこっちに首を捻る。今更気づいたのか、馬鹿め。
できるだけしおらしく俺は口元に手を当てて項垂れてみせた。どんなに憎んでいても怒りから声を荒げそうになっても、弱々しい庇護対象の振りをすべきだ。それが一番、同情を誘うのが有効だと理解はしていたからだ。
「その……叶大君が主張するようなことがここでは行われていたんだと思う」
叔父が父の方は見ずに、俺に視線を合わせる。崩した足の上に添えられた手の先まで真っ白になっていた。
「質問していいかい?」
紫の唇のまま叔父が挙手した。
「叶大君に……何か大変な災いに近いものが降りかかったのは理解するよ。けど、何故こんな日に言おうとしたんだい?」
「このタイミングじゃなきゃ告発できずに俺は死んでしまうと思ったからです」
「死っ……」と叔父が声を詰まらせる。木寄が正座をしたまま膝の上に置いた手を震わせた。
「葬儀の日に死んだ人間を侮辱するような話を、と思っているのでしょう。でも俺はこれを逃したら二度と逃げられないと思いました。母さんが父さんと同じく俺を警官にするために殴るなら、その職場の人間に伝えたら止めてもらえると信じるしかなかったのです」
「それなら何故僕がいる日に」
「弟である貴方の言うことなら父さんも聞くと僅かな望みをかけました。親戚との接触も断たれていたので葬儀という場しか選びようがなかったんです」
「断たれていた?」
「警察の仕事だから他言無用だと。たとえ親戚でも情報漏洩にあたる話を息子のお前だから伝える。代わりに立派な警察官になれ……当時の小学生だった俺はそれが愛情だと信じ切っていました」
父と木寄は不甲斐ないことにただ俯いたままだった。胃の奥が痛むが好都合だ。
叔父を巻き込んだ理由は二つある。一つは木寄だけの場合、俺の告発をもみ消す可能性が十二分にあったからだ。あいつは俺の両親を先輩と後輩関係以上に崇拝している。詳細を知る気もないが、俺の親達は大層職場では好かれるタイプだったらしい。何度も二人がいなければ怪異に何人もの特殊課の者が殺されていたと恍惚とした表情で語る様は、はっきり言って吐き気がした。だから俺と両親ならたとえ証拠が揃おうがどちらが被害者か明らかだろうが庇い事実を揉み消す可能性を否定できなかった。そのための証人として第三者が必要だった。
もう一つは単純な恨みだ。随分と不自然に縁を切った父のおかしさに気づかなかったのだろうか。今回葬儀に参列したように、完全には縁を切っていない唯一の親族が叔父だった。だから年賀状だけはほぼ毎年届いていた。俺という子が産まれた事実だけは知っていたようで、年賀状に「叶大君は元気ですか」と細長い字で書かれているのを見たことがある。つまり、こいつも見て見ぬ振りをした加害者だ。
鼓動を早めたまま戻らない心臓がうるさい。右手で左胸を軽く叩き、俺はまた眉を下げ肩を丸めて弱々しい演技を続けた。
「でも無理でした。学校で周囲のクラスメイトの様子やその親を見ていれば、子どもでも自分の家庭の異常さに容易に気づけます。俺が与えられているのは愛情でも教育でもなく、ただの暴力、つまり虐待であると知ってしまった。でも、どう告発すればいいかわからなくて、ずっと恐怖の中で暮らすしかなかったんです」
涙が出りゃあな。自分の涙腺に内心溜め息をつく。嫌なことがあり過ぎて涙腺がおかしくなってしまっていた自覚はあった。
「そんな中、告発の機会が……本当に不幸な事故だったけどやってきてしまった。職場の方と親族が一緒に見れば異常さが伝わる場所に一緒に来てくれるチャンスだと、ちょうど後ろの画面のような証拠も見つけられてこれなら信じてもらえると思いました」
「……君は、ど、どうしてほしいんだい?」
辛い現実に直面させられているのに耐えかねたのか叔父がどもりながら俺の顔から目を逸らした。
ここからが本番だ。もう一度胸を叩いて乾いた唇を舐めた。
「とにかく父さんと一緒には暮らしたくありませんし、父さんも母さんも許せません。できれば絶縁したいですけど、俺はまだ中学生で、本当の意味で親と絶縁するのが難しいのも理解しています。だから……木寄さん。警察官のあなたならここまで証拠があるならできるはずですよね。それ相応の罰を父に与えてください。子を虐待していた者をそのまま警察官にしておく、なんて許されないはずですよね。叔父さんにはどうか俺の生活の後ろ盾をお願いしたいんです。中学生の子ができる法的な手続きに限りがあるのは今回の母さんの死で学びました。だからお願いします。俺を長年苦しめた父さんと母さんが罰せられること、それから俺がこれから生きていくためのサポートだけが願いです」
ゆっくりと頭を下げる。上がりそうになる口角を止めようと歯で頬を緩く噛んだ。下げたくもない頭を下げ、駄目押しのように叔父に自らの正当性をアピールする。叔父はさっきから俺に熱心に質問をしてきてくれている。背後の証拠もあるため、これで父親の味方をすることも見て見ぬ振りをすることもないだろう。見たくないものでも強制的に見せつけてしまえば問題ないのだ。
俺の親に対する復讐は、虐待の事実をもっとも知られたくないだろう同じ退怪者である木寄、そして職場に伝え二人を退怪者でなくすのが目的だった。ただ怪異の存在を知らない大勢の者に退怪者の名前を出しても、真実ではなくカルトにハマった親とその被害者で終わってしまうし、それに選民思想から「俺達の思想をわかろうとしない凡民」と思って二人は反省しないだろう。だから二人が俺の命よりも大切にしている退怪者でいられなくしてやるのがいいと考えたのだった。
そして何よりも──
緑のマットの匂いが妙に鼻につく。胃液が逆流しようと蠢いている感覚に熱い息を吐いた。
退怪者の立場を奪うだけで済むと思ったのか。“本当の復讐”は既に半分は完遂していた。
正確には半分で済んでしまっていた。
下げた頭が酷く重く、手が震える。清々しさと正体不明の吐き気に襲われていた。もうすぐ復讐を果たせる歓喜が心を支配しているのに。吐き気なんか感じる必要はないのに。あの選択をした時点で、俺は。
「叶大君」
道場全体があの森の泥濘のような重苦しい空気に包まれていた。父の嗚咽のような呻き声が響き、木寄の浅い呼吸が繰り返されている。そんな中、叔父がゆっくりと俺の名を呼んだ。
顔を上げれば、叔父が顎を上げ半笑いの表情で俺を見下していた。
「兄さんは君を育てた父親だよ? “そんなこと”で縁を切っていいの? 中学も私立に行かせてもらってるのに?」
絶句していれば能面のような顔をしていた父が緩慢に首を捻る。青ざめた木寄がハッとして叔父の方に膝を動かし詰め寄った。
何を、俺は、言われているんだ。
醜悪に歪む叔父の顔を俺は呆然とかろうじて視界に留めていた。




