3-19 そして俺は地獄の門を開ける
事故死に見せかけられて殺された母は表向きにはここから新幹線で一、二時間ほど遠くの県で「深夜に足を滑らせて公園の池に落下し溺れた」ことになっている。特殊課の根回しかニュースにもならず、例えば「どうして縁もゆかりもない観光地でもない遠くの公園にいたのか」「深夜にそんな場所にいた理由は」等不自然過ぎる点に対する指摘は封殺されていた。
一番の矛盾は母の遺体の状態だった。全身の至るところに痣があり、四肢の関節が曲がってはいけない方向に折れていた。俺はガキの頃から“こういう映像”を退怪者の現実だの耐性をつける修行だのと言われ見せられていたから冷静でいられたが、親戚がやってきたら下手したら吐くんじゃないだろうか。とにかく池で溺死だというには無茶があった。だが、そう“処理”するらしい。
「親戚? ああ……」
安置室を出て、廊下で頭を抱えていた特殊課の職員らしい人に尋ねてみる。俺が平然としているのに顔を強張らせたのを見逃さなかったがまあいい。
「遠出さんは退怪者になるために上京してきた時に両親に勘当され、親戚とも縁を切ったと言っていました。それだけの覚悟がある……あの人が、ど、どうして……」
洟をすすりながら職員が目頭を押さえ俯く。もう聞けることはないだろうと俺はその場を去り、用意された会議室へと向かう。病院のように白で構成された廊下の床と革靴の底が擦れて場違いに響いた。
引き戸の扉を開ければ、六畳にも満たない小さな空間があった。机が一つにパイプ椅子が三つ。ドラマであるような警察が犯人に自白を促す部屋を白く明るくしたその部屋に、相変わらず呆然としたままの父とぼろぼろと涙を未だ絶やさずに零す木寄が座っていた。
奥が父、よくお誕生日席だなんて言われる場所に木寄。そして一番扉からすぐの手前のパイプ椅子が空いている。俺はそこに腰を下ろすと、二人の顔を交互に見た。
「どうして」
父が掠れた弱々しい声を上げる。開きっ放しの口からいつか涎でも垂れるんじゃないかと不安になった。
「わかりません……でも何であんな、優しい人が犠牲に」
何も知らないんだな、と言いかけて言葉を飲み込む。膝の上に置いた手を握りしめて俺はただ沈黙を選択していた。
母の遺体と対面させられる前に俺は上司と思われる人間から説明を受けていた。
父は目の前で絶命する母を見たのと、怪異の術が直撃したのが原因で非常に精神的に不安定だということ。しばらく、下手したら無期限で治療が必要で就業は不可。その費用や父の傷病手当等生活費は全て特殊課が出すから金銭の心配はいらないこと。治療には特殊な施設への入所が必須となるため、その間は家に帰れないこと。
書類をもらい、鞄へとしまう。一番直近の問題は母の葬儀を含めた人が亡くなった後にしなければならない手続き等だったが、俺が成人していないためできないこともあるらしい。父もそんな手続きができるか目の前の様子ではわからなかった。それだからか「とても辛い状況なのはわかっていますが、もしもの時は」と前置きをして、上司の人はいくつかの方法を俺に提案した。“わかっている”。知らない手段もあったが、この数日で“事前に調べておいた”一つとほぼ同じ今後の話があったのが最大の収穫だった。
父がこうなっちまったのには怒りが沸くが、仕方がない。嗚咽だけが響く部屋で俺は早く家に帰りたいと真っ白な壁を見つめていたのだった。
◇◇◇
少しだけ調子を取り戻した父を俺が支える形で、粛々と手続きを進めていった。
本当に縁のある親戚が父の弟一家しかないのだ、と知ったのは葬儀の準備をしている時だった。実家に勘当された母は一人っ子。両親、つまり俺の祖父母も俺が産まれる前には亡くなっていて後は一度も会ったことすらなかった。父の方も同様で、実質縁を切っていた。
凡民と退怪者はあまり関わるべきではないと掟のように振舞っていたが、単純に会わせられなかったのか。事実に頭を抱えていれば斎場のスタッフさんが訝しげに俺を見つめる。喪主は父だが脱力したままの表情で返事も危うい。だから仕切っているのは実質俺ではあった。
退怪者という職業にそんなに魅力があったのか、他の理由があったのかはわからない。ただ、退怪者は表向きは公の事務員扱いになるのは聞かされていてそのまま告げれば勘当の理由になるとは思えない。だから父も母も馬鹿正直に守秘義務に抵触しない程度に仕事内容を告げたのかもしれない、とそんな憶測が浮かぶ。
そもそも科学が支配する現代で「お化けが本当にいて日夜そいつらと戦うのが仕事だ」なんて言ってこの世の何パーセントが信じるのだろうか。しかも退怪者だの修行で門を開くだの気だの構えだの単語だけ聞けば碌でもないカルトにハマった者にしか見えないだろう。きっと守秘義務はそういう世間体を守る意味合いもあるのだ、と気づいたのは両親に職業を明かされてすぐの小学三年の頃だったか。アニメや漫画の主人公に憧れ、必殺技を出す真似をする年頃だが、一方でそれがフィクションであると理解しているのと同じように冷静だったのは覚えている。
木寄が運転する車の助手席で揺られながら、窓ガラスに反射した葬儀帰りにしては強張った顔を眺めていた。遺影を膝の上に乗せ、無理に喋ろうとはしなかった。
父は木寄の後ろで骨壺を抱き、隣にその弟が座っていた。通夜もないこじんまりとした葬儀の参列者は父と俺、父の弟に木寄だけだった。母の人望はそれなりにあったらしいが、全部断り実質の家族葬とした結果だ。だから俺と父を心配した近場家の申し出も参列も断っている。泥の中で溺れているような沈痛を通り越した重苦しい何かがずっと俺達にまとわりついている。息苦しさに耐えかねて窓を開けるのも億劫な空気の中、見慣れた住宅街へと車が侵入した。
俺が今からやることは。
深呼吸をすれば、ギョッとしたように木寄がミラー越しに俺の顔に視線をやる。こいつは父と母の味方だ。だが、いてもらわなきゃ困るのだ。必要なのは退怪者と親戚だ。上手くやらなければと考える度に滲む手汗を制服のズボンで拭い、唾を飲み込んだ。
俺のやることは。
何も知らない物から見れば外道に等しい所業だ。だが、俺が生き残るためには必要な儀式であり、実体を知れば誰もが俺の味方をする主張だ。俺が救われるには、幸福な人生を歩むためには、報われるためには、やり遂げなければならない。手のひらに爪が食い込んで、俺の意識を覚醒させる。これの何億倍の痛みを受けてきたんだ。当然の権利だと己を鼓舞した。
俺は、今日。
目を閉じ怪異を食い千切る千花の顔を思い出す。淡々と憎悪を燃やすあの姿が俺の理想だった。
車が角を曲がる。カーブミラーに歪んだ車が映っていた。あと五分もしない内に我が家に着く。遺影から目を逸らし、また窓を見る。いつもどおりの顔だ。問題はない。
「何か」
木寄が泣き腫らした瞼の奥で淀む視線を前に向けたまま口を開いた。
「落ち着かないのか」
「そんなことはないです」
「急にキョロキョロとし出したから。俺が言うまでもないが、もうすぐ着く。我慢しろ」
トイレに行きたいと思われたのだろうか。たしかに少人数過ぎて席を外しづらい空間で一日を過ごしたが。
「木寄さん」
だが俺の計画を確実なものとするためにはタイミングが良かったかもしれない。
「母を“置く場所”は既に用意してありますので、着いたらそこにいてください。お茶、出しますので」
「おい、叶大。用意だと?」
父がエンジン音で掻き消されそうな声を上げた。
「父さん、俺に母さんのことを伝えてから今日まで家に帰ってないだろ? だから俺が掃除というか場所だけは作っておいた。ちゃんとしたのは後で父さんが用意したのでいい。だけどすぐに線香をあげられる場所はほしいだろう」
あげる暇は与えないが。振り返って告げれば能面のような顔はそのまま青ざめていた。
「叶大君ありがとうねぇ。兄さんも良かったね」
ここぞとばかりに叔父が車内の空気を変えようと、努めて明るい声を出していた。一日中、この車内の空気にあてられたせいか顔に疲労が滲んでいた。
「大変だっただろう、用意するの」
「いえ。ネットや本で調べたので。簡単なものですし」
ああ。そうだ。ちゃんと調べた。今日のために何年分かの恨みを込めて。
俺の手には母の遺影がある。俺には向けたことのない笑みを湛えて額の中にいるこいつがこうなった時点で引き返す選択はなかった。
「でもお供えの花とか花瓶とか買いに行ったんでしょう?」
「一応は」
「中学一年生でそこまでできるなんて偉いよ」
褒めてほしいところが違うが、まあいい。「ありがとうございます」と素直に会釈をする。すると木寄が「もう着く」とだけ言い放った。たしかに前を向けばもう我が家の姿が確認できる。もう一度目を閉じる。千花の、あの残虐な姿を瞼の裏に焼きつける。これで、報われる。救われるのだ。
俺の既に始まっている復讐の第二幕はもうすぐ。




