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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-15 喪失と始まり

「ごめんなさい。何も覚えてないんです」

 千花の言葉に僕は目の前が真っ暗になった。母親に手を握られた千花の前で先生がわざとらしく溜め息をつく。すると千花の父親と思われる男が間に割って入り、ただ黙って先生を睨んだ。

 央半小の校門の前に“学校から帰った時と同じ綺麗な見た目のまま”で僕達は倒れていた。現在午後六時半。三十分前くらいに娘が帰ってこないと千花の両親がまず学校に連絡し、町内と学校内を探し回ったらしい。そうして警察へ連絡しようと集合場所の校門の前へ戻ると僕と千花が気を失って倒れていたそうだ。

 僕達はそのまま病院に連れて行かれ、一応検査を受けることとなった。外傷は一先ずなしと結論が出たところで僕の両親もやって来て、遂に親と教師のダブル“事情聴取”が始まった。

 どこに行ってたのか。何があったのか。何故あんなところに倒れていたのか。矢継ぎ早に質問され僕は震えた振りをして俯く。何て答えるべきか。ここで「肉の塊の化け物に襲われて死にかけました」なんて言っても信じてもらえないのは理解していたからだ。

 そうして黙っていれば隣のベッドに寝かされた千花が、さっきの言葉をポツリと零した。

 何も、覚えていない。扉を二人してこじ開けてあの館から出た途端、ゆっくり意識が遠のいていった記憶はある。怪異の術は学校を出た時に発動していて、千花が祓った結果、元の場所に戻されたのだろう。僕が覚えている以上、千花も覚えていると勝手に信じていた。でも。

「千花。本当に何も覚えていないの?」

「うん。ごめんなさい。授業が終わって帰ってゲームしようって校門を出たくらいまでは覚えているんだけど……そこからずっとないの。何で校門の前で“知らない子”と一緒に倒れていたのかもわかんない」

 唇を噛んで声を出さないように堪えた。千花の母親が彼女の髪をそっと撫でる。怪異の体液だけじゃなく、髪や服にこびりついていた泥もなくなっていてさらさらと黒髪が流れた。

「ちか……ばさん。えっと同じクラスになったことは一度もないけど、僕達同じ学年なんだ。遠出叶大。こんな時だけど、よろしく」

「自己紹介をしている場合ですか」

 先生がまた呆れたような声を出し、腰に手を置いた。僕には見向きもせず、千花だけをじっと凝視していた。

「近場さん。あなたを疑いたくはないの。本当に、覚えていないの?」

「すみません。お医者様からも刺激しないよう言われてます。何かショックなことがあって忘れているならそのままの方がいいとも。先生方に迷惑をおかけして大変申し訳ございませんが、千花にこれ以上追求するのはやめていただいていいでしょうか」

 眼鏡をかけた千花の父親ができるだけ声を押さえて、それでも怒りの感情をあえて隠さずに言う。先生はギョッとして首を振った。

「そうですね。あとは警察の方が調べてくれることになりましたし……。こちらも校長への報告義務がありますのでそろそろ帰ろうと思います。明日は」

「休ませます」

「わかりました。……遠出さんは。遠出さん?」

 僕のベッドの両側に父さんと母さんは立っていた。僕に声を一度もかけやしない。ただ真っ青な顔をして時折父さんがポケットから取り出すスマートフォンの画面を二人して気にしているようだった。

「あっ……ああ。うちも休ませます。何があったかわかりませんが叶大を落ち着かせたいので」

「叶大も何も覚えていないよな?」

 父さんが額の汗をハンカチで拭い僕を見下ろした。僕が退怪者のことを口にしないか不安らしい。

「……何も、覚えてません。先生、ご迷惑をおかけしました」

 ここは従うのがきっと良いだろう。僕は千花と同じように罪悪感に塗れた声を出す。露骨にホッとした顔を作っていて、一層憎悪の感情が腹の底からこみ上げてくる。でも、どうするかは今決めることじゃない。ちゃんと考えなければ。唇を更に噛む。鉄の味がする寸前まで引っ張られた唇の皮が剥けて喉の奥へと落ちていった。

 そうやって先生は帰って行って僕の家族と千花の家族だけが病室に取り残された。お医者さんがやってきて、血液検査等も異常なし。つまり精密検査の結果はまだだけど、基本的には身体は健康だとお墨付きをもらえた。そして心のケアの話もあって、千花の両親は真剣に何度も頷きながら、僕の両親はまだスマートフォンを気にしながら説明を受けていた。

 最後にやってきたのは警察官だった。若い無精髭の男が扉を開けた途端、父さんと母さんの間で走っていた緊張が霧散したのが僕にもわかった。“修行”の時に何回か聞いた、“国民には隠されている対怪異のための特殊課の人”なのだろう。そして簡単な事情聴取があって、記録され、警察官が帰って行き、遂に僕達は解放された。

 僕達の後ろに親達がいて、今後を話し合っていた。千花の両親は僕の両親に「お互い何かあったら相談し合いましょう」と優しい声色で提案し、無精髭の男が来てからいつもの調子を取り戻した父さんと母さんは少し躊躇った後に同意していた。心の中で凡民と見下してるくせに。

 舌打ちをすれば隣にいた千花が不思議そうに僕の顔を歩きながら覗き込む。僕は口が痛くて、と意味のわからない言い訳を喉奥から何とか絞り出していた。

「僕も人のこと言えないんだけど」

 千花が不思議そうに首を傾ける。

「本当に何も覚えていない?」

「……うん。遠出君も、なんだよね」

 深刻な顔をして嘘をつく。僕の頭の中で父さんと母さんから教わった“開門”のリスクの話がずっと繰り返されていた。

 退怪者として“気”を操るための開門は稀にショックで前後の記憶を失うリスクがあるらしい。

 遠くを見るように眉間に力を込め、振り返る。後ろの四人の大人達の身体に光が走っていた。僕の父さんと母さんは血管みたいに全身を光が駆け巡っている。これが門が開いた退怪者の姿で、一方千花の両親は腹の辺りに丸い光があるだけだった。

 目覚めてからずっと“これ”ができるようになっていた。きっと千花の気を体内に取り入れたことで僕も開門できたのだろう。そして。

 千花は本人が見えなくなるくらい発光し、そして四人を飲み込むくらい大きな光の巨人がやはり背後に立っていた。

「怖い顔してるけどどうしたの」

「ううん。ちょっと疲れただけ」

 仕方がないし、何より忘れて正解な事件だった。でもあの帰り道の話した計画は全部叶えたかった。それだけが悔しくてたまらない。

 視界が滲みかけ、天を仰ぐ。もうすぐ裏口の駐車場で、僕達はそれぞれの家族が運転する車に乗る。

 沈んだ気持ちに身を任せていれば、「ああ」と千花が手を小さく合わせた。

「遠出君、同じ学校なんだよね?」

「うん。一緒のクラスになったことはないから僕も君のこと今日初めて知った」

「そっかぁ。じゃあさこれから明日は……無理だろうけど、学校の休み時間とか放課後に遊ぼうよ」

 心臓の奥がギュッと痛んで、空気が口から僅かに漏れた。

「えっ……ええ?」

「もしかしたらまた警察の人とお話しするかもしれないし、病院だって通う可能性があるんでしょ。そういう時にお父さんとお母さん同士だけじゃなくお互い相談できた方がいいじゃん。ねぇ?」

 千花が振り返り、自分の両親を見上げた。

「私じゃなくて遠出君に聞きなさい」

「遠出君、いい?」

 とくとくと心臓の鼓動が早くなっている。大声を出しそうになるので代わりに大きく首を縦に振った。

 横目で父さんと母さんを見上げる。目を丸くして、でも何も言い出せずに唇を震わせていた。こんな“事件”の後だ。「叶大は中学受験する予定で」とお決まりの嘘をつくのは流石に無理と判断したみたいだ。

「こ、これからよろしく」

「うん。よろしくね」

 千花もうんうんと頷いてそうだ、記憶はまた作ればいい。記憶は消えても過去は消えないし、目の前にいるのは間違いなくずっと一緒にいたい近場千花だった。

 “気”を見るモードではないのに、千花がきらきらと何だか輝いて見える。心臓は相変わらずドキドキしていて、自然と口角が上がっていく。

 水筒の話。もう一回したいな。そう思い口を開こうとすれば「あ!」と申し訳なさそうに千花が悲鳴を上げた。

「どうしたの」

「ごめんなさい。……車乗る前にトイレ行きたい」

 あちゃーと千花の両親が溜め息をつく。そして僕の父さんと母さんに頭を下げた。

「すみません。千花をトイレに連れて行ってから帰りますので……先に」

「待っていましょうか」

「いえ。もう遅いですし」

「大丈夫ですよ。……近場さん、いってらっしゃい」

 千花の母親と千花がそそくさと廊下を戻っていく。あの角を曲がった先にトイレの看板があったはずだ。

 千花の父親と父さんと母さん、そして僕。何とも言えないメンバーだけが取り残され、僕達は長い廊下で立ち止まっていた。夜の病院は静かで、必要最低限の電気しかついてないので薄暗い。僕達みたいな緊急の患者を受け入れ、帰す廊下以外は消灯され、一歩曲がり角を間違えれば非常灯だけが不気味に輝く静寂が支配する世界だった。だから遠くに見える小さな硝子扉の周囲も豆電球くらいの明かりで薄らと照らされ、ドアノブが鈍くその光を反射しているのが不気味だった。あそこが駐車場に続く裏口で……と目を凝らした時だった。

 硝子扉の前に頭が三つある異様な人影があり硝子扉を音もなく叩いていた。

 怪異が、そこにいた。

 今までは見ることができなかったのにこれが“門”を開いた退怪者の世界なのか。驚きながらも咄嗟に瞼に力を入れる。黒い渦みたいなものが身体の中で大きく蠢いていた。

「父さん、母さん……」

 頼りたくはないが、仕方がない。僕が振り返り見上げると、不思議そうな顔をしていた。

「どうした叶大」

「……えっと。前、扉の向こう」

「向こうが駐車場だぞ」

「そうじゃなくて、あれ!」

 別に父さんと母さんが怪異に襲われても僕は問題ない。けど、トイレから戻ってきた千花がそこに向かうのだ。記憶を失っている以上、光の巨人で対処できるのかわからない。危険は絶対に排除しなければ。声を荒げて指差すものの、父さんは不機嫌そうに眉間に皺を寄せるだけだった。

「叶大。どうしたんだ、本当に」

「だって……母さんも」

「さっきからあんな遠くの扉を指差してどうしたの? 扉の向こう? “ただ駐車場があるだけじゃない”」

 え?

「すみません。この子、混乱しているみたいで」

 母さんが僕の頭を撫でるように軽く叩く。目を合わせれば父さんと同じように苛立った顔をして僕を睨みつけた。

 千花の父親が「いえ」と小さく呟きゆっくりと横に首を振る。そしてしゃがみ込むと僕に目線を合わせて口を開いた。

「何があったのかはわかりませんが、急に僕達にも先生にも警察の人にも囲まれて疲れてしまったんでしょう。……遠出君、何かあっちにあるの?」

 千花があの森で僕に向けてきたのと同じ優しい眼差しだった。顔の筋肉が一瞬強張って、ギュッと指差してない方の手を握った。

 父さんと母さんはあの怪異に気づけていない。あんなにくっきりとこちらを睨んでいるのに。あんなに大きく悪しき“気”があるのに、退怪者の二人が気づかないなんてあるんだろうか。

 首筋にじんわり汗が滲む。千花の父親から目を逸らして唇を噛んだ。

 僕が“やる”? でも“見えるようになっただけで、怪異を倒すための退怪気弾を出せるのか”わからない。どうしたら、どうしたら。長く白い廊下があの怪異がいた部屋を思い出させる。息が荒くなり、それでも見なければと硝子扉の方をもう一度見た。

 怪異が突如何かに怯えたように手をばたばたとさせていた。そして。

「ごめんなさーい! お待たせしました!」

 パタパタと軽快な音をさせて千花が走ってくる。「廊下は走らない!」とその背を追う母親が小走りで叱責した。

 その時の光景を一生忘れないだろう。

 あれだけ病院内に侵入しようとしていた怪異が回れ右をして“何かから逃げようと地面を蹴った瞬間、見覚えがある光の粒子になり消えていた”。

 声すら出なかった。あの様子だと千花は間違いなく怪異に気づいていない。眉間に力を込めて見ても光の巨人は何もしていない。けれど、怪異だけが近づいただけで爆発した。

 呆然としている僕を千花の父親が心配げに見つめる。千花とその母親があと五メートルもない距離を笑顔で駆けてくる。

 僕の父さんを母さんは何もわからず不審げに僕を見下ろしていた。

 

 今考えれば、現在の近場千花と怪異の力関係はここから始まっていたんだ。


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