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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-9 ねむりよりさめて

 暗闇で沢山の星が点滅している。どろどろに溶けてしまっていた意識がゆっくりと僕という形に戻っていく。瞼が重い。閉じた瞼の裏でまだ星が輝いている。何だかとても眠たかった。意識がまた溶けていく。もう一度手放そうとした時だった。

 両足の踵から全身に震えが走っていた。ズッ、ズッ、と音と共に規則的に震え、そして両脇がロープのようなもので吊るされて引っ張られているようで心地良い意識の遠のきを邪魔してくる。後頭部に生温かい感触がして、身体ごと揺さぶられている。ズッ、ズッという振動が続く。誰かの息遣いが近くでした。

 仰向けになり、両脇の下に手を通されて頭の方向に引きずられている。

 そう認識し、震えた背筋に冷や汗をかく。意識が僕の形になる。両手をばたばたと動かし、無理やり思い瞼を開ければ「うあっ!」と頭上から悲鳴を吐きかけられた。

 想像はしていたが僕を引きずっていたのは近場さんだった。僕は羽交い絞め、と呼ぶらしい状態にされていて、近場さんが後ろ歩きで僕を何処かへ引きずっていたのだ。

 僕の抵抗に近場さんが尻餅をつき、そのまま僕も仰向けに近場さんの上に倒れる。柔らかい感触と共に「ぐええ」と見苦しい声がした。また掴まれまいとあえて体重をかけながら跳ね起きる。またくぐもった悲鳴がした。

「何処に、連れていくつもりだったの」

 怒りを滲ませた声を投げかけながら周囲を見渡す。たしか、僕の任務完了を見届けてくれる“親切な人達”に歓迎のハグをされて、そこから意識がない。きっと疲れていてこの部屋に運んでくれたのだろう……とまで考えて右手で左肩を慌てて触る。ない! 香炉が、道標が入ったエコバッグ……と息が浅くなった途端、十メートル先ほどに黒い塊が置かれていた。間違いない、僕のエコバッグだ。

 石畳をもっと磨いたような、おそらく大理石と呼ばれるつやつやした真っ白い石の床が広がっていた。体育館より二回りくらい高い天井に、体育館を三倍にしたくらいの面積の広間に黒のエコバッグがくっきり浮いていた。天井から舞台のスポットライトみたいに光が降り注いでいるけど、部屋が広すぎるせいか端は暗くてよく見えない。ただ、エコバッグ以外にも“物はあった”。大きな渦巻模様が彫られている柱がエコバッグの先に円形に配置されている。そしてその中央に床と同じ材質であろう四角い僕より二回りくらい大きい箱型の石が置かれていた。

 エコバッグのナイロンから光が透けている。生地越しにわかるほど道標が光り輝いていて僕は駆け寄って取り出してみる。すると白だった光が赤く変わり、箱型の石に照準のような点がつく。

「ゴールだ……」

 漏れた言葉は震えていた。あの石の上に香炉を置けばいい。間違いなく信じることができた。

 足が近場さんに引きずられたのとは別の感情で震えていた。一歩、一歩歩きたての赤ん坊よりゆっくり僕は箱型の石……祭壇に近づく。あと、十歩、九歩。

「遠出君! こっちに来て!」

 もう僕は振り返るのも立ち止まるのもやめた。任務が終わったら置いて帰ってやろう。ああでも、ここの人達に迷惑か。僕の任務完了をきっと部屋の外で待ってくれているのだろう。

「見えないの! 遠出君! 柱の周りに……柱に縛りつけられた……!」

 また嘘をついている。溜め息すら勿体なくて八歩、七歩と進む。

「声が聞こえないの!? 『早く置いて、これを解いて』って言ってる!」

 ただの渦巻き模様の柱が八本立っているだけじゃないか。それに「解いて」と頼まれているなら解いてあげるのが正しい退怪者じゃないか。世のため凡民のため、身を粉にして働くのが正義だと父さんも母さんも口を酸っぱくして言っていた。

「駄目だよ! だって、よく見て!」

 わざと体重をかけて鳩尾に肘を入れたのが功を奏したみたいで、近場さんはきっと背後で立ち上がれず腹の痛みを堪えている。その証拠に、嘘をつく声の合間に呻き声が挟まる。いい気味だ。

 六歩、五歩……四歩。

「駄目、だって! お願い! “そいつら”……!」

 僕を受け入れてくれる人達をそいつら呼ばわり? 本当に礼儀を知らない奴だな、同じ歳だと思われたくない。幼稚園児の方が敬語使えるぞ。

 三、二……。

 香炉を取り出しエコバッグを捨てる。白の祭壇の中央に窪みがあった。ここに置けばいいのだろう。

「気づいて遠出君! 何で化け物が見えないの! 玄関の腕みたいなのだって“一番玄関から手前の奴が伸ばしてきた”んだよ! 『美味しそう』ってずっとそいつら言ってるのに聞こえないの!」

 え?

 手から滑り落ちた香炉が窪みに落ち、吸い込まれるように嵌まった。瞬間、車のエンジンを甲高くしたような音が祭壇からして、祭壇が、そして大理石の床が震えて僕の身体を揺らす。

「何を……」

 馬鹿なことを、と言い返そうと出そうとした声が耳元で鳴る大きな破裂音に掻き消される。思わず両手で耳を覆い、その場に蹲った。

「うっ……うあああ」

 幼い頃に一度だけふざけて、父さんと母さんが出かけている内にヘッドフォンをつけてテレビの音量を最大にしたことがある。あの時は音が脳みそや顔の骨を無理やり殴り飛ばすような衝撃が走り、ヘッドフォンを投げ捨てたのだった。それ以上の音が断続的に耳元でしていた。ぱちんぱちんぱちんとずっと脳が揺れ、そして身体は大理石によって揺さぶられている。

 気持ち悪い。吐きそうだ。

 胃からせり上がってくるものを押さえたいのに、口を押える手が足りない。土下座のようなポーズでその場で蹲ったまま目をギュッと閉じる。喉奥から飛び出す悲鳴で更に身体が揺れる。口から苦い液体が漏れ、空気が吸えない。大きな音で苦しんでいるのにハッハッハと自分の浅い呼吸と口から漏れる液体のびちゃびちゃした音だけは妙にはっきりと聞こえ、一層気持ち悪くなる。

 ぬるいねばねばした液体が叫ぶ口の端から漏れていく。飲み込もうと啜れば口の中に冷たく苦い味が広がり、飲み込んで上下した喉がまた身体を揺すった。

 悪循環だ。でもどうしようもない!

 そんな時間がたぶん数分くらい続いたんだと思う。耳元の音が小さくなってきて、揺れも小さくなってきた。浅い呼吸が続いて全速力で走らされた後みたいに胸が痛い。耳元の手をそっと離して口を拭い、胸を押さえようと──

「遠出君! こっち! 走って!」

 両脇が引っ張られ、無理やり立たされた。また近場さんか。でも様子がおかしい。今まで以上に焦った──

 何で近場さんは焦ってるんだ?

 左腕を掴まれ僕が向いている方向と逆に引っ張られる。「早く! いいから!」と叫ばれ、恐る恐る目を開けた。

 開けなきゃ、よかった。

 「あああ」なのか「ぎゃあ」なのかよくわからない。けど、僕の喉から悲鳴が飛び出し、また苦い味がした。

 ぱちんと音と共に「解、けかか、ってい、るま、あい、いか」と野太い声が頭上で嗤った気がした。

 八本の柱が同じ大きさくらいの化け物……怪異に変わりかけていた。全部舌みたいに赤とピンクと白が混ざった色をして至る所に粒々がついていて、血管みたいな紫色の管がドクンドクンと表面に出てきたり引っ込んだりしていた。肉の塊で形はゼリーみたいにうねっていてよくわからない。開けっ放しで乾いた喉奥から声を漏らしながら、ふとその肉の粒の先に色んな形の“点々”がぶら下がっているのに気がつく。

「何してんの! 見てる場合じゃ……違う、見ない方が!」

 引っ張られる腕に抵抗するように僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。肉の塊の柱の中央に僕が置いた香炉があって、紫色の煙を吐き出している。煙が肉にかかる。そうすると柱が更に肉へと侵食された。肉が伸びて、隣の肉とくっついて一つになる。ぶよぶよしたロープが次々と生まれ、祭壇を中心に円を作り出していた。

 伸びた肉のロープを目で追ってしまう。紫の管が張り巡らされて、粒々が浮き出てくる。そして粒の先にある“それ”の正体に遂に気づいて、また悲鳴を上げた。

 人の顔、指、腕、足、歯、胴体、爪を形作っていた。猫や犬、兎であろう小動物のものもあった。全部赤とピンクと白でできている。違う、作られたんじゃない。これは……。

 浮き出てくる突起の先に布の切れ端を、獣の毛の塊を発見し背筋が凍りつく。叫んでいた。何か叫ばなくては、おかしくなってしまいそうだった。

「うわああああ!」

 大理石にくっつけられていたように動かなかった足ががくがくと震え、崩れ落ちて座り込む。そのまま手を使って後退りをした。だって、だってあれは“食べている”。人を、この森に入った小動物を取り込んでいる!

 父さんと母さんが言っていた怪異とはこれかと納得と同時に湧きあがるのは疑問だった。だったら怪異は封印されているはず。封印は確実なもので万が一にも解けないが、定期的に退怪者が調査を行なっている。その調査に退怪気を満たした方がやりやすいため、指定の場所に気を増幅させる香炉を置いてきてほしい──そう言っていたはずなのに。目の前のあれは何だ!? まるで香炉が封印を解いていて、更に香炉を置く前から封印は解けかけて……。

 頭が破裂しそうなくらい痛くて重くなる。「ああああ」と叫ぶ僕を後ろから抱きしめて引きずりながら近場さんが何かを叫んでいた。

 そうだ、近場さんと出会った……違う。もっと前。森に向かった放課後からずっと。

 頭痛と共に目を開いているのに別の光景が流れていく。森に向かう道から今までずっと。

 ずっと──例えば色が瞬時に変わる空だとか、動く木だとかおかしなものを僕は見続けていたのに“異常だと気づかなかった”。それが“当たり前だと信じ込まされていた”。

 最後に近場さんの青ざめた顔が脳裏を過ぎる。彼女はずっと、僕の異常に気がついていた。

「術……」

 父さんと母さんが言ってたっけ。怪異は時として人の身体に嘘をつかせる、認識をおかしくする術を使う、と。おかしなものを当たり前だと思わせて自分の狩場に人間を招き入れる、と。

 ぱちん、とたぶん最後の音が耳元でした。すっきりとした意識が現実を突きつけてくる。僕の心は弄られて、僕はずっと異常を当たり前だと思わされていた。

 でも何で? やっぱりおかしい。封印されているって父さんと母さんは。

 そんなことよりも。

 香炉が独りでに激しく揺れて表面にヒビが入る。そして粉々になって紫の煙が大量に巻き上がった。

 石柱が肉の塊へと変化していく。白が、赤とピンクに染まっていく。近場さんが何か叫んでいる。瞬きをするのも恐ろしくて、近場さんは一生懸命に僕を後ろに引きずってくれるけどほとんど動かなくて、目の前で柱が溶けて大きな肉の塊が八つべちゃりと円を作っていた。

 正面から突風に煽られたような感覚がして、修行の一環として裸に氷水をかけられた時よりも肌がぴりぴりと痛んだ。寒気が走り、身震いする。八つの肉の塊に目はない。けど、全部がこちらを一斉に見たような気がしたからだ。八つの肉のそれぞれに僕の頭くらいの穴が開き、そこが小刻みに震える。ぶおおおおお、と穴から八つの音が重なった。

「え? にえ? にえ……って何?」

 僕を後ろから抱きしめたまま引きずっていた近場さんが、遂に立ち止まった。

 思わず見上げれば、青白い顔に汗を滴らせた近場さんが眉根を寄せている。ぶおおおおお、と何度も音がする。それだけなのに、近場さんは首を傾げたり、口を開きかけては唇を噛んだりしていた。

「だからにえって……。捧げられた? 本当は一人だったのに、二人も? だから次は五年後じゃなくて八年後にするって何の、話?」

 呼吸が止まり目の前が真っ暗になった。

 上手く息が吸えず、手足の先が痺れてくる。くらくらした頭が近場さんの言葉を拒んでいた。ぶおおおお、ぶおおおお。肺を握り潰されているみたいに喉奥を動かすのに息が吸えない。苦しい、違う。苦しんでいる場合じゃない。大きく開けた口が乾いて、口の中が冷たい。吐いて、吸わなきゃ。ぶおおおお。近場さんが「え」とか「どういうこと」と相槌を打っている。黙ってくれと叫ぶ余力はない。でも。

 待って。待ってよ。にえ……贄のことだ。捧げられた、誰が、誰に?

「タイカイシャとして体内で練らなければ、人のキはご馳走……? だからモン? が開く前の修行を積んだ元気な卵、が一番“にえ”に相応しい……ファントムボンバーズの話でもしてんの……」

 「タイカイシャ?」と近場さんが言葉を零す。言葉の意味はわからないだろう。不穏な気配だけは感じているようで、僕を抱きしめている腕が小刻みに震えていた。でも、僕の方が震えている。だって、だって!

「私は選ばれていないけど、そっちは半年前から選ばれていた……? だから何の」

「違、う。違う、絶対に……違う!」

 喉奥が塞がるような感覚に思わず咳き込む。近場さんが僕の苗字を呼んでいる。ぶおおおおと八つの音が一際大きく部屋を支配した。

「違う、やめろ! 喋るな! 喋るなぁ!」

 首をぶんぶんと振って震える足を叩いて立ち上がる。叫べば叫ぶほど、八つの肉の塊がぶるぶると震えていた。嗤われている……! こみ上げてくる怒りに僕はまた「喋るな!」と吠えた。脳の奥で既に出ている一つの結論から目を背けたかった。

「遠出君?」

「嘘を言うな、“二人”がそんな! お前も! ぶおおおおとしか言ってないだろう!」

「違う。ずっと喋ってる。あっちは子どもの声で、そっちは先生みたいな声で!」

「違う、違う! 絶対に違う!」

 叫ぶしかない。だって認めるわけにはいかない。冒涜だ、僕達退怪者への、僕と父さんと母さんの関係への、僕の努力への!

 粉々になった香炉が目に入った。噴き出した紫の煙が柱に触れて今もどんどん肉の塊になっていた。封印されているはずの怪異に騙されていた事実を脳から追い出した。ここまでずっと怪異に化かされ、異常を正常と思い込まされていた現実を頭の隅に追いやった。嘘をつかれていたはずはないと何度も心の中で繰り返した。

 頑張れと今朝送り出してくれた父さんと母さんの笑顔が浮かんで消えた。休日の優しかった二人との思い出が粉々に砕けた。


 父さんと母さんが僕を怪異の生贄にしたなんて、認めてはならなかった。


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