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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-8 いらっしゃいませ、おめでとう

 緑の空に赤い烏が大量に輝いている。「ヒホホホホホ」と父さんみたいな低い無数の鳴き声が重なる中、僕達はぐるぐるが収まった道標の方向に歩いていた。

 互いに無言だった。足音のべちゃべちゃとこつこつが交互にやってくる。木が根っこをしならせて動き回る足音が重なって心地良い。

 近場さんはあれから一度も悲鳴を上げず、泣いてもいない。ただ、ちらちらと僕を見ながら相変わらず隣を歩いていた。

 さっきまであれだけニコニコしていた横顔に影が差していて、周りを見ては肩を跳ねさせて、それでも足をとめない。だから仕方がないので、同行を許可したのだ。

「……葉っぱがうねうね動いているね」

 ようやく開いた口から出た声は少し、掠れていた。

「“当たり前のこと”を報告しなくていい」

「……遠出君。葉っぱは、風に吹かれなきゃ動かないし緑だと思うんだ。紅葉とかイチョウとかあるけど、普通の葉っぱは」

「木は生命を司る象徴なんだ。葉は歯と同義で口を表すから舌のような葉が大量にぶら下がっているのは祝詞を素早く唱えられるとして自宅に植える者が多い。動きの良いものは尚更だ。特に赤が濃い色の舌は豊穣をも司るとして」

「えっええ? でも根っこも紫になって動き回って……」

「金木犀の木が昨年動いてたじゃないか。日当たりが悪いから青の根っこを地面から出して。綺麗だったよなあ、真っ赤な血の色みたいな花が沢山咲いて。街路樹も自分で自動車をいつも避けているだろ?」

 バタバタバタバタ。道標が指し示す方向に二本の木が走り込んできた。どちらも地団駄を踏むように足音を乾いた大地に響かせる。一つは無数の瘤のような膨らみがある幹をしていて、その瘤の先が縦に割れると中から歯が零れ落ちた。緑色の歯を失った歯茎が剥き出しになり同じ色をした空からの光を反射している。二つ目は砂時計のように幹の中央が凹んで、そこから枝葉の先、根っこの先まで捻じれ、ところどころに蛆虫に似た白い突起が生えていた。

 空が緑から紫に代わり、続いて蛍光イエローに染まる。そろそろ夕方であり、目的地が近い。気を引き締めなければと腹に力を入れた。

「遠出君……その光の先に進むのが大切なのかもしれないけど、やっぱり駄目。今すぐ引き返そうよ」

「じゃあ一人で帰れよ。……“お前も約束を破るんだな”」

「お前“も”?」

 数秒置いてうぐ、うぐ、と隣から呻き声がする。近場さんが口を押さえながら額から汗を滴らせていた。

「ビビるなよ」

「違う。遠出君、気づいて」

「急にビビりになってどうしたの。暗くなってきたけど、変わらない森の中じゃないか。明かりならあるだろ」

 道標を近場さんの方へ掲げる。光は相変わらず真っ直ぐに二本の木を射していて、気づいた二本の木がそれぞれ左右へと分かれ、二メートルほど上で枝葉が手を繋ぐように融合した。だらんと舌のような葉が簾のように下がるアーチとなった。ここを潜ってくれ、という木からのメッセージだ。

「うっ!」

 近場さんがそんな木達の優しさを見て、酷いことに立ち止まる。僕は口元を覆っている手をまた剥ぎ取って思わず怒鳴っていた。

「酷いことしてんのわかんないのかよ!? 木達は優しく僕達を目的地まで案内してくれているのに、なんだその態度は!」

「気づいて! 木は……木は動きもしないし案内もしな」

「してんだろ!? さっきからおかしい、おかしいってどこがだよ! 木は元気に動いて空も点滅してる! 地面だって波立って、ただの森なのにおかしいだぁ? いつものことだろ、知らないだけだ! 何も知らないで僕を馬鹿にしてんだろ!」

 途端、グッと腕を引かれた。僕が握った腕をそのまま近場さんが引っ張って腹と腹がぶつかる。乾いた地面と靴の底が擦れて、一瞬身体が宙に浮いた感覚がした。

 木達が作ってくれたアーチの前で僕達は向き合っている。何羽もの烏が頭上で旋回し、僕達の顔に影を落とした。

「それ以上は、本当に駄目」

 はっきりと通る声だった。

「おかしくなってるのに気づかなくてもいい。きっと正気には“この場所では戻れない”と思ったの。“森から出なきゃきっと元の遠出君には戻れない。”だから遠出君の目的地まで我慢して行ってさっさと帰ろうとしたけど、やっぱりやめた。ここから逃げなきゃ……何が起こってるのかわかんないけど、奥に進めって案内されてるのはまずい。正気じゃなくて“本当にここから”戻れなくなる気がする」

 ゴソゴソと大きな音が背後からして僕は振り返り、近場さんもそちらに視線をやる。木達が集まってきていてアーチが見えない先まで長く続いていた。僕を、退怪者の卵である僕の初任務を見届けてくれているのだろう。木達はそんな寄り添うような優しさが昔からあった。

 なのに、こいつは。正気じゃない、おかしくなってる?

「おかしいのは凡民のお前だろ! いっつも退怪者の僕を、お前らのために頑張っている僕を影で『キモイ』だの『暗い』だの言いやがって! 卒業まで一緒だって言ったのに、声をかけても返事しないなんてこの大嘘つきが!」

「そう言っている人がいるのかもしれないけど、私は言ってないし約束もしてない。だって一緒の学校に通っているのもさっき知ったってお互いに言ってたじゃな……」

「じゃあ帰れよ! 僕は行く! 退怪者の初任務なんだから! 父さんと母さんに褒めてもらうんだ!」

「帰らない! 一緒じゃないと嫌! 放っておけない!」

「偽善者! ビビり! 腰抜け! 離せ!」

 腕を振りほどき腹を思い切り押してやる。ヒキガエルみたいな声を出して近場さんが仰向けに倒れ込んだ。地面が乾いてて良かったな。泥になる前に立ち上がりなよ。

「遠……出君!」

 近場さんの悲鳴を無視して僕は道標が示す方、木達のアーチの中を潜っていく。紫の凸凹した幹の間を、左右に揺れる舌みたいな肉厚の葉の下を駆け抜ける。先は真っ暗で見えなかったけど、光が真っ直ぐにアーチの先を照らしていたから何も怖くはない。

 光が点滅して、大きく強くなっていく。僕の身体もアーチも暗闇の中で照らされて浮かび上がっていった。

 父さんと母さんが言っていたのはこれか!

 目的地が近い。僕の初任務の成功が近い! ぱちん、ぱちんと心地良い音が何度も耳元でしていて、それに合わせてスキップをしてみる。振り上げた足を着地させれば固い感触。道標を下げれば、泥でも乾いた土でもない白い長方形が並ぶ石畳が広がっていた。

 スキップをやっぱりやめて、パタパタパタと音を立てながら走り続ける。葉が擦れてべちゃべちゃとガムを口を膨らませて噛んでいるような音が頭上からした。生温かい風が目の前から吹いて、ゴミ捨て場の匂いが僕を包む。肺に空気を思い切り送り込んで、吐き出す。口から風よりも生温かい呼気が出て頬を流れていく。空が虹色に点滅する。

 すると木のアーチ達が形を変え始め、木同士がパズルのピースみたいに瘤の凹凸が嵌って、あるいは捻じれたドーナッツみたいに絡まって隙間が埋められていく。頭上の葉っぱも融合して大きくて長い一枚の舌がぐわんぐわんとうねっている。僕を導くトンネルだ。ぐわん、ぐわん、と舌が動く音が鈍く響く。あの上には蛍光色の空が広がっているのだろう。真っ暗な、生温かい空気に僕の「ハッハッ」という呼吸が溶けて混ざっていく。鼻の奥が痛み両目が熱くなってきた。さっきのあの女みたいに涙が一滴両目から零れれば、幹に切れ込みが入り、そこから伸びた人の目玉が蛸の吸盤みたいに並んだ手が僕の頬を撫でた。涙を拭ってくれたんだ。うん、頑張るよ。もう少しだから。

「……って。行っち……駄目」

 後ろからあの女の声がして耳を塞ごうとすれば、代わりにぱちん、ぱちんと音がしてくれた。「ありがとう!」と礼を口にしたらトンネルが揺れ「カカカカカ」みたいな笑い声がした。キョロキョロとすれば瘤が口の端を上げたように三日月型に裂けてそこからしているようだった。

「待っ……」

 うるさい。ぱちん。

「遠……」

 もうお前なんかいらない。ぱちん。

 やがて道標が一層光り輝いて、僕の前方を照らし出す。トンネルが途切れ、目の前に石と同じく白い石でできた駅のホームへ向かうのと同じくらいの長さの階段があった。緑色の空の下僕は一旦立ち止まり、太腿を叩いた後にゆっくり上り出す。一段、二段、三段……そうして上り切れば途端、道標が今までで一番強く光った。思わず目を両手で覆い、道標がコツンと石畳の上に転がる。拾わなくてはと思いながらも、いきなり夜に蛍光灯をつけたみたいに瞼を貫通して光が僕の目を焼く。「うわあ」と漏れた悲鳴を噛み殺そうとしながら立ち竦んでいれば、やがて光が収まってきた。それでも瞼の裏が、黒ではなく白い。恐る恐る両手を下ろし、瞼を上げる。もう一度「うわあ!」と声を上げた。

 緑の空の下、水色の整えられた生垣に囲まれて、大きな屋敷があった。

 気がつけば鉄製の門は潜っていた。それを背に僕は屋敷を見上げていた。

 屋敷は感じの凹の形をしていて、高い部分に絵本で見たお城みたいな三角錐の赤い屋根が乗っかっていた。壁は白とベージュ色の煉瓦が交互に重なってできている。そしてまるで学校みたいに等間隔で並ぶ窓は全て色とりどりの小さな三角形が敷き詰められたステンドグラスがきらきらと輝いていた。

 目の前二十メートルくらい先に、屋敷の入り口である大きな木製の両開きの扉が僕を待っていた。真っ黒い横長の鉄の棒がドアノブとしてついていて、同じ素材だと思う金属が蔦みたいに左右対称に不思議な模様として埋め込まれている豪華な扉だ。そこまで相変わらず石畳の道が真っ直ぐ伸びていて、右側には大きな赤色の濁った池が沸騰している。そして左側には道に沿って真っ黒なアジサイが綺麗に植えられていた。

「いい匂い……」

 地面に転がっている道標を拾えば、扉へ一直線に光が放たれた。父さんと母さんとの約束のためにもできるだけ早く屋敷の中へ入るべきだろう。けど、どうしてもアジサイに顔を近づけてしまった。吐いた物は自分で片付けろと父さんと母さんに顔面に投げつけられた嗅ぎ慣れた雑巾の匂いだった。小さな花の中央から親指や人差し指が生えていて扉の方を指差していた。ちょっと待ってよ、ちゃんと果たすから。グーとパーを繰り返し作っている手の形をした葉っぱを突っついて、ようやく僕は玄関へと踏み出した。

 沸騰した池から鉄のような匂いがしている。緑の空には雲一つなく、骸骨の頭にそっくりな太陽が光を降り注いでいる。負けずと道標がどんどん強く点滅していく。ぱちん、ぱちんとまた静電気が耳元でして、「おいで、おいで」と僕を呼んでいるようだった。

 そして扉の前に立つ。もう不要だろうと道標をエコバッグの中へとしまい両手で横長の取っ手を握りしめる。引いてもびくともしなかったので押せば、ゆっくりだけどズズ……と音を立てて動き出す。ふうと息を吐いて手を離せばすぐに戻ってしまったため、ずっと押さなければならない。両足に力を入れて歯を食いしばる。頑張らなきゃ。もう少し、もう少し!

「遠出君! 駄目!」

 ドクンと心臓が跳ねて、思わず両手から力が抜ける。咄嗟に振り返れば想像どおりの奴がいて、僕は沸き上がった衝動をそのままに怒鳴った。

「ついてくんなよ! 近場さん!」

 シャツを身体に張りつけるくらい汗をかいて、肩で息をした近場さんが中腰の姿勢で門の前に立っていた。きっと僕を追いかけるのに必死で走ってきたんだ。荒い呼吸を繰り返す口から赤い舌が覗いていて、反してその顔は真っ青だった。

「いいから……離れ、から、しろ」

 きっと近くに行けばゼイゼイと呼吸音が聞こえるのだろう。近場さんは大きく口を開いて叫んでいるけど、殆ど掠れてしまって聞き取りづらい。

「ああ!? 聞こえないよ!」

「……ろ。……し……て!」

 ふらふらしながら姿勢を正し手のひらをぶんぶんと振る。手招きをしながら叫び続けていたが下手くそなダンスにしか見えなく思わずふき出してしまった。馬鹿馬鹿しい!

「はっきり言えよ! ……じゃあね」

「後ろぉ!」

 一言、近場さんが大きく声を張り上げた。後ろ。僕の後ろということはつまり、背を向けている開けかけた両開きの扉だ。扉が何だってんだ。溜め息をつきながら近場さんのせいで離してしまったドアノブに触れてみようと後ろ手を伸ばす。またこの重い扉を一から開けなければならないのだ。

 想像したところに横長の、鉄パイプのようなドアノブがなかった。触れられず代わりに何故か手が宙を切る。

 疑問が沸き上がる前に振り返ろうと身体を捻じっていた。視界がゆっくりと流れて近場さん、生垣、アジサイとスローモーションで流れていく。

 あれ? 何でドアノブがなかったんだろう。扉は押すのをやめたらすぐに元の位置に戻ってたのだから掴めるはずなのに。掴めないってことはそこにないってことだ。つまり、“扉が押した状態で止まっている”可能性が高い。押したところで止まってくれている。僕としてはありがたいけど、けど何で?

 一番の可能性としては。

 アジサイ、アジサイ、壁、そして扉が視界の端に入って……開いた扉の隙間から僕のよりも五倍大きなピンク色のぐにゃぐにゃとした手が屋敷の中から扉が戻らないように押さえていた。

「い、らっしゃ、いま、せ。お、めで、と、う」

 いくつも重なった声が扉の奥からした。

 屋敷の中は真っ暗というより墨汁を間違えて零した半紙みたいだった。そこから両手が、僕の胴くらいの太さの腕が伸びて僕の身体を掴む。「遠出君!」と悲鳴が上がり足音が近づいてくる。

 何でそんな声を出してるんだ。“抱きしめられている”のにさあ。

 ぱちんとまた耳元で音がして、意識が屋敷の中よりも黒い闇へと落ちていった。


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