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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-7 あたりまえのこと

 ぬるぬるとした泥道が終わったかと思えば、一転して地面が固くなった。地面に張りつくように生えていた小さな草が減り、風が吹く度に校庭みたいに砂埃が舞う。それでも木は相変わらず至る所に生えていて根っこが地面を突き破り、ヒビを入れていた。

 濡れていた靴に乾いた砂がこびりつき、スニーカーが一回り大きくなったように茶色でコーティングされる。近場さんが足首を動かし歩きながらスニーカーにへばりついた泥を地面に擦りつけ削ぎ落していた。

 足元からじっと頭の天辺まで眺める。僕よりも長い手足のところどころに泥がついている。ベージュのキュロットも水色のシャツも泥の水玉模様ができていた。前髪が汗で額に張りつき、肩までの黒髪から汗が落ちて乾いた地面に染み込んだ。

 森の中はひんやりとしているのに、蒸し暑い。矛盾しているかもしれないが、そんな感じだった。僕も汗をかいて、たまに額から落ちてくる汗が目に入り痛い。シャツの肩のあたりで何度も拭くのを繰り返している。

「先生が底無し沼があるかもしれないって言ってたけど、ここにはなさそうだね」

 爪先で地面を叩きながら近場さんが苦笑いを浮かべていた。僕もさすがに泥を落としたい。一回り茶色のコーティングで大きくなった靴が重く、足首が変な方向に曲がりそうだった。歩みを止めないようにしながらわざと引きずるように靴底を擦りつける。煎餅みたいな泥がボロっと取れ、置き去りにされていった。

「不審者が潜んでるかもしれないとも言ってたけどさぁ、潜めないよこんなところ」

「そうだね」

「さっきの場所じゃあ泥だらけになるし」

「うん」

「ここは埃っぽい」

「……ねえ」

 うるさい、と言いかけたので下唇を前歯で軽く噛んだ。近場さんは前歯で唇を押さえた僕を見て「にらめっこは低学年までじゃない?」とわからない理論を口にする。

「聞かないの?」

 馬鹿だけど、察しは良いらしい。一瞬口を丸く開いて、額に張りついた前髪を横に流しながら近場さんは「ああ」と頷いた。

「だって内緒って遠出君が言ったじゃん」

「こんなに泥だらけになってるのに? 僕がお前なら問い詰めてるよ」

「お母さんとお父さんに何処で汚してきたのって叱られそうで怖いけど……」

 泥って中々落ちないし他の洗濯物と一緒に洗えないから大変なんだって、と近場さんがポツリと呟いた。

「無事に帰れればそれでいいよ。あ、でもあとどれくらい歩くかくらいは教えてほしいかも」

「……内緒。でももう少しだとは思う」

「遠出君。もしかして……いや何でもない」

 近場さんが僕をじろりと睨んで、そして反対側を向いた。お互い無言で足だけを動かす。横目でまだそっぽを向いている近場さんを僕は眺めていた。

 近場さんは僕が道標の光差す方へただ向かっていて、正確な目的地がわからないのも間違いなく気がついている。

 僕は退怪者の卵だから、我慢ができる。けれど、凡民の近場さんからすれば暗い森をあてもなく彷徨っているだけに見えてしまっても仕方がない。

 なのに、近場さんはただ最初の約束どおり、何も聞かずついてきてくれているのだ。約束というには曖昧なただの言葉を守ってくれていた。「いつまで待たせるんだ」と頬を叩いたりもしない。怒鳴りもしなかった。

 ただの愚かなお人好しなんだと思う。詐欺で騙されるタイプだ。都合が良かった、けどそれよりも全身がぶるりと震えた。

「最後までついてくよ。さすがに一人で帰るのはちょっと怖いもん」

 僕の心を読んでる……はずはないけども、そんなことを言ってのける。

「……でもまたドロドロの道になって沼に落ちたら僕置いてくから」

「マジで置いて行くの? 薄情者」

「うるさい。それをわかっててついてくるって言っただろ」

 もう、と腕を組んで大きく溜め息をつかれた。知るかと今度は僕がそっぽを向いてまたしばらく風の音だけになる。

「ねぇ、明日さ。放課後に遊ぼうよ。遠出君は普段何してる? うちでゲームする?」

 それでも懲りずに近場さんが何も悩みがないような声を上げた。

「僕はそんなに暇じゃない」

「んー休み時間は?」

「図書室で本を読んでる。邪魔しないで」

「じゃあ、えっと」

 明後日にゲーム? と首を傾げるものだから眉間に力を入れて唇を尖らせて返事をする。それでも諦めきれないようで、明々後日……と小さく呟いていた。

 どうしてこいつは僕と一緒にいようとするのだろう。他の凡民は離れていったのに。

 また震える身体を誤魔化すように道標を握り直していれば、近場さんの長い足が右、左、と前へ進んでいた。ザリザリと音がして疑問と混ざっていく。答えは出なかった。

「どれくらい歩いたかな」

「さあ」

「時計持ってないの」

「近場さんだって持ってないだろ」

「私は急にだもん。遠出君は教えてくれないけど理由があって此処に来たんでしょ」

「……たぶん二十分くらいじゃないかな」

 父さんと母さんが言うには片道三十分ほど。そしてまだ辿り着かないのと近場さんという乱入者によって遅くなっているのを考えるとたぶん四十分くらいかかる計算でいいと思う。学校を出た時間から考えて、僕が森に入ったのは三時四十分から五十分くらい。遅く見積もって四時に森に入ったとして、今は四時二十分くらいなんじゃないだろうか。

「二十分……」

「もしかしたら三十分くらいかも……予定どおりだから心配はしなくていいよ」

 近場さんが大きく目を見開いて、それから顎の下に手をやった。

「五時にはなってないよね。チャイム鳴ってないし」

 僕達の住む町では夏は五時に「子どもは帰りましょう」という旨のチャイムが鳴る。この森の中まで聞こえるかは不明だが、間違いないだろう。

「でも時計ないから」

 ザリ、ザリと泥が剥がれたスニーカーの靴底からする音がやけに大きく聞こえた。

「ううん……というより」

 近場さんの靴底が鳴らす音の間隔が広くなっていく。足音の代わりにぼそぼそと甲高いはずの声が小さく、後ろに離れていって聞き取れなくなっていった。そもそも独り言で僕に聞かせる気はないみたいだ。

「あの、うるさいんだけど」

 一体どうしたというんだ。僕はわざとらしく溜め息をついて突然歩く速度を落とした近場さんの方を振り返る。手を腹の前で組んで三歩くらい後ろに立ち止まっていた。

「想像より時間がかかってるって思うなら立ち止まるなよ。大体何が言いたいんだ」

「この森ってさ。……二十分や三十分歩いても反対側の端っこに着かないなんてことないくらい狭いはずだよね」

 頭上を大きな烏が横切り、カアカアと鳴き声が遠ざかっていった。

 彼女は何を、言っているのだろう。

「遠出君は先生や親から聞いてない? この森ってさ。昔学校があった場所を取り壊して公園を作ろうとして結局中止になってできたんだよね。だから入口に壊されなかった校門が残ってるの」

「さあ。僕は知らないけど」

 凡民にはそう伝わっているのかもしれない。正確には怪異を封印するために作られた森だけど、真実を伝えるわけにはいかなかった。

「だから広くても学校の校舎全部と校庭とか体育館とか全部含めたくらいなはずなの。それに“森に入る前にちゃんと向こう側……森の後ろにある高速道路を包んでる壁、みたいなのが見えたのに”。何で、向こう側に着かないし高速道路を通る車の音もずっとしないんだろう」

 エコバッグが肩からずり落ちそうになり掴んだ。何を、言ってるんだ。

「高速道路だって? そんなもの、僕の背より高い草で覆われて見えなかったじゃないか。遠くでエンジンの音はしたけど、ゆっくり走ってる音だけだった」

「遠出君よりも背が高い草? ここに来るまでの道はずっと畑があったけどそんな草が生えてなかったよ」

「嘘をつくな。僕達、同じ学校だろ? そっち方向からなら同じ道を通ってくるしかあの門に辿り着かないはずだ」

 今度は近場さんがギュッと手のひらを握りしめた。

「それに近場さんも気づいているだろうけど、僕達は真っ直ぐ森の向こう側に歩いてないだろ。途中で何度も曲がってるんだから端に辿り着くとは」

「ううん。ジグザクだけど、確実に門から真っ直ぐ進んではいるよ。ぐるぐる同じ場所を回ってたりはしない。……曲がった回数より、門から正面に進んだ回数の方がすごい多いの」

「何で、そんな」

「ごめん。不安だから“実は数えてたの”。斜めや横に進んだ回数と、後ろに下がった回数。それから正面に進んだ回数を。圧倒的に正面に進んだ回数が多いんだ」

 腹の奥を冷たい手でかき回されるような不快感が襲ってきた。汗が滴って、髪からぼたぼたと落ちていく。

「だから私がちょっと数え間違ってたとしても、斜めに進んでたとしても少なくとも門から正面にある高速道路に出るか、他の場所から外に出るか、出なくても車の音がしたりしなきゃおかしいの……ひいぃ!」

 近場さんが突然、悲鳴を上げ握りしめていた両手を口元に持っていく。僕は慌てて近場さんへ足を踏み出し、その手を掴んだ。

「どうしたんだよ!」

 近場さんの顔は白の絵具を薄めて塗ったような色をしていた。朝礼で突然倒れた目が虚ろで半開きの口をして先生に保健室へ運ばれて行った奴と同じだった。貧血……よくわからないけど、青白い顔というやつなのだろう。つまり。

「だ、大丈夫? 少し座って休も……」

「だって、遠出君! それ!」

 僕の優しさを無視して掴んでない方の手で近場さんが何故か僕の下半身の方と周囲の森を行ったり来たりと勢い良く指差した。

 ぶんぶんと腕をめちゃくちゃに振っている。学校で「あっちいけ」と叫びながら羽虫を下敷きを振り回して追い払っていた奴みたいな動きだ。

 何だ、元気じゃん。舌打ちをすれば、耳元でまたぱちんと静電気のような音がする。思わず耳を押さえながらまずは自分自身の指差された場所を視線で追っていく。僕の右手。正確には道標を近場さんは震える指先で示していた。

 道標の光がパトカーのランプみたいにくるくると回っていた。

「それもだけど! 周り! 周り全部!」

 周囲をぐるりと見渡す。

 乾いた地面に必死に根っこを張っていた木が蛇みたいにうねうねと幹を揺らし始めた。揺れが幹から枝葉に伝わりぶるぶると震える。そして根っこの先端が地面から飛び出し人間が立ち上がる時に膝を伸ばすように上へと伸びていった。

「何で木が、動いて……! 木だけじゃない!」

 耳障りな悲鳴を無視して僕はぐるりとその場でゆっくりと一回転しながら辺りを観察した。

 木が根を足のように動かして蜘蛛のように歩き出す。根や幹が膨張して、地面が泥だらけになっていた場所に生えていた木くらいまで大きくなっているものもあった。不意に足元に冷たさを感じる。地面が小さい草だらけになったと思えば粘り気のある泥になって飛沫を上げては干からびていく。ぐちゃ、ぐちゃと何度も音がして風が強く吹きつける。湿った空気と乾いた空気が一斉に僕の顔を襲い、土の匂いが濃くなっていった。

「だから、だから森の外に出られなかったの!? 森が動いて……」

 森が動いてる。その表現が一番、僕達の置かれている状況を指し示すのに正しい言葉だったと思う。その上、木もぼこぼこと幹の一部がとんでもなく膨らんで不思議な形になっていた。枝に茂っている葉も膨らむ。緑からてらてらとした赤やピンクになり、大きな人間の舌が沢山垂れ下がっているようだった。

 葉からそのまま視線を上げる。空が緑色に染まっていて、その後紫へ変化し、また緑に戻る。近場さんが「空がぁ!」とまた叫んだ。

「いい加減うるさいよ!」

 僕は泥を、次の一歩はひび割れた地面の上で地団駄を踏んだ。もう我慢ができなかった。邪魔にならないから仕方なく一緒にいるのを許可したのに、もう邪魔でしかない!

 掴んでた手を思い切り振ってから突き放す。また足踏みをすれば僕と近場さんの靴下に泥が跳ねた。

「さっきから何だよ!」

「だって、遠出君。この森おかしいよ! 木も地面も動くし形は変わるし、葉っぱは人間の舌みたいになった! 空だってスイッチを入れたみたいに見たことない色に変わって……」

「これだから凡民は! こんなのに驚くのか!」

 ぱちんとまた音がした。けど、そんなのはどうでもいい。

 ムカつく。イライラする。本当に最低だ。こんな奴だとは思わなかった。もっと落ち着いて、黙ってついてくるって約束したから同行を許してたのに!

 退怪者と凡民はここまで差があるのか。父さんと母さんが凡民を見下しながらも守ろうとしていたのは本当に素晴らしいことなんだ、自分のことのように誇らしい気持ちが腹の底から湧きだして、それだけが今の僕の救いだった。

「もういい。ついてきたお前が悪い」

 感情に身を任せ僕は父さんと母さんが不甲斐ない僕を叱る時のような声を上げた。

「“木が動いて形が変わるのも、葉っぱが人間の舌みたいなのも、地面が動くのも……全部当たり前のこと”じゃないか! 学校で毎日見てるだろう! 何でそんなので顔を真っ白くしてビビるんだよ! 泣くなら置いて行くからな!」

 「え」と小さく声がして、涙目の近場さんが目を丸くした。その両目から涙が一滴だけ零れ落ち、一瞬身体の動きを止めた後、腕で顔を拭った。

そして何故か、眉をつり上げて顎を引き、何かを決めたような瞳で僕を射抜くのだった。


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