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近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
3.前編 遠出叶大は夢から覚めたくない
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3-6 うすぐらい森で二人

 大きな、たしか広葉樹と呼ばれる葉っぱが大きく広がる木でできた森なのだと思う。僕よりも隣の近場さんよりも大きい木がそこら中に生えていて、根っこを地面に張り巡らせて転びそうな“でこぼこ”を大量に作り出していた。

「転ばないように気をつけてね」

「近場さんこそ」

 僕は道標の光が指し示す方向へ進んで行く。意外と言っていいのかわからないけれど、光は真っ直ぐ一点を指し示すのではなく、十メートルくらい先を照らしてはその場所に行くと別の方角を指し示すを繰り返していた。例えば門から真っ直ぐに十メートル進んだ後に次は右へ光を照らす。そして更に十メートル進んだ後に左斜め前を示す……といった感じだ。最初から真っ直ぐにゴール地点だけを示してほしい。そう心の中で愚痴って僕は一歩、一歩慎重に前へと進んだ。大きな根っこがあり、跨いで渡るより上に乗った方がいい。恐る恐る足を踏みしめた途端、ぬるっとした感覚がして身体が斜めになる。「わあっ!」と声を上げ視界が暗闇から僅かな葉っぱの隙間の青空へ向こうとした時だった。

「だから言ったのに」

 ぐいっと乱暴に肩を掴まれて視界がぐらりと動き元の暗闇の森へ戻っていく。たしかに倒れたはずの上体はがっしりと受け止められて両足とも踵しか地面についていないのに僕は立っていた。

「大丈夫?」

 近場さんが後ろから両肩を掴んでいる。僕は上体をその身体に預けて寄りかかっていた。温かい体温が布越しに伝わる。慌てて右足に力を入れるが、また滑る。つるん、つるんと下手くそな一輪車のこぎ方みたいに足を繰り返し動かして、ようやく根っこではない土に足の裏を着地させた。

「苔って滑るよね。私もさっき滑りそうになって」

 両手を振り払い、向かい合う。両足の裏に力が入ってぐにゃりと土が沈んだ。

「嘘つかなくていいよ」

 頬が熱を持っている。小さく捲し立てるような言葉が漏れ、潰れててらてら光る苔に視線をやる。近場さんがしっかりと木の根っこを避けて歩いているのを僕は知っていた。僕よりも長い足を使ってきちんと足場を確保しながらずっと僕の隣を歩いている。

「ごめんね」

 柔らかく、短い言葉が俯いた頭に降ってきて、ばねみたいに勢い良く顔を上げる。生温かい風が吹いてサワサワと葉と葉が擦れる音がそこら中からした。

 近場さんはそんな僕を不思議そうに見つめ、そして僕の手の中の道標にそのまま視線を落とした。

「あ、あの」

 頬がまた熱を持ち、そしてこの場から走って逃げ出したい衝動に駆られた。

「あ……りがとう」

「いいよぉ。えっと……情けは人の為ならずって言うじゃん」

 急転直下。僕の身体が氷の塊を無理やり飲まされたみたいに冷えていって背中の湿ったシャツが気持ち悪く感じた。

「それ、土曜日にユウトが言ってたやつじゃん」

「遠出君もファントムボンバーズ見てるの!」

 近場さんがきらきらと目を輝かせたのを無視して、僕は道標が指し示す方向へとまた歩き出す。二度と失敗しないように、大袈裟に足を開いて根っこを跨いでやった。

「いつもは見ないよ、あんなくだらないアニメ。たまたまテレビがついてたから」

「えー。面白いのに。いつもは何見てるの?」

「……ニュース。父さんが見てるから一緒に」

 本当は“道場”で修行中だ。けど内緒なので僕は適当に誤魔化す。「ふーん」と何故か嬉しそうに近場さんが軽々と根っこを跨ぐ。以前母さんから聞いたけど、中学校に入るくらいまでは女子の方が先に身体が大きくなるらしい。つまり何も努力しないで、こいつはこの森を歩けるのだ。キュロットから伸びた足の長さが恨めしく小さく舌打ちが漏れた。

「馬鹿じゃないの? アニメの、他の奴が言った台詞でしか喋れないなんて。自分の意思ってのはないの?」

 エコバッグを肩に下げた方の腕をぶんぶんと振れば、近場さんが一歩分離れていった。何も知らないで、何も考えないで、自分じゃない偽物の言葉で僕に話しかけるんだ。ふざけるなよ。

「意思って……つまり考え、だよね?」

「そうだよ」

「さっきの一緒に見てたお母さんに意味を聞いたら昔からある慣用句だって教えてもらってね。いい言葉だと思ったから使ったんだけど……じゃあ」

 両手を合わせれば小さな破裂音がした。上体を倒し僕の顔を覗き込みながら、近場さんはこの暗い森に似つかわしくない声を上げた。

「本当は考えとか……特にないよ。だって隣で人が倒れそうになってたら支えるじゃん。校長先生の朝のお話の時に目の前の子が“ひんけつ”で倒れそうになったら受け止めて、とりあえず先生呼ぶでしょ? だから意思とかないし答えられないよ」

 ぬめりけのある土を右足で踏み、爪先をぐりぐりと動かしながら僕はまた立ち止まった。近場さんは何のことなく合わせて一緒に止まってくれる。顔を見上げれば僅かな青空の光が全部近場さんに注がれている、そんな気分に陥った。

「お前と一緒にしないでよ。僕は避ける。支えられなくて一緒に倒れたら、怪我人を増やすだけだろ」

「そっか。そういう考え方もあるんだ」

 近場さんは目を丸くしてうんうんと勝手に頷き始めた。左足を前へ出し、僕達はまた歩く。泥を踏む度に靴底が引っ張られスニーカーと足が離れそうになる。緑の濃い色の小さな草と泥が僕達が歩いたせいで混ざり合っていた。草がそんな僕を咎めるように靴紐の片方の先端を茶色く染めてきている気がした。

「でもやっぱり私は助けるかも」

「人に迷惑をかける可能性があるのに?」

「さすがに例えば電車の中で大人が倒れ込んできたら私も避けるよ。絶対に押し潰されちゃうし。でも同じくらいの友達なら頑張ろうってなる。先生に迷惑かけるかもしれないけど。というかたぶん……」

 ぴちゃ、ぴちゃと近場さんの足元からも水音がする。近場さんの靴も泥だらけで白い靴下に点々と茶色い水玉模様ができていた。

「さっきと同じで何も考えなしに勝手に動いてそう」

「近場さんが人間なのに何も考えられない馬鹿なのは、わかった」

「アンタ酷くない?」

 頬を膨らませて甲高い声をまた響かせる。うるさいと左手で耳を押さえれば、「馬鹿って言う方が馬鹿なんだよ」とありきたりな捨て台詞を吐いてきた。

 それでも、気がつけば近場さんはまた僕に一歩近寄って「そこ、また根っこに気をつけて」だの一々口出ししながらついてきていた。

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