3-5 はじめまして
「立入禁止……」
えっと……たしか父さんと母さんは。昨日の夜に教わった内容を思い出す。ランドセルから道標と香炉を取り出して、残りは門の向こう側に投げ込む。教わったとおりに道標と香炉が入った黒いエコバッグを肩から下げて、ランドセルを投げ入れた。そして門の隙間からエコバッグを向こうに押し込む。そして看板は無視して門の上部にジャンプして手をかけよじ登った。
──ぱちん、と静電気みたいな音がした。
咄嗟に周囲を見渡すが、昼間なのに真っ暗な森と門越しに今まで歩いてきた道が見えるだけで首を傾げる。怪異は封印されてるからそいつらの音じゃない。じゃあ、虫? 電気を出す鰻はいるらしいけど虫なんているんだろうか。
門を背に僕はうんうんと首を捻る。数分そうしていた気がするけれど、結局答えは出なかった。
気のせいだろう。始めて父さんと母さんに頼りにされていて緊張しているんだ。
そう自分を無理やり納得させて、僕はエコバッグを漁る。握りしめられるサイズの硝子みたいな素材の窓がついた球体を覗き込めば、中に方位磁針のような針がゆらゆら揺れていた。反対側のボタンを押して、前にかざす。すると僅かだけど光が放たれて暗い森に一筋の線を描いた。
電池が切れかかった懐中電灯みたい──父さんと母さんに言えば叱られてしまいそうな感想を抱いた瞬間だった。
「そこ、入っちゃいけないんだよ。戻って!」
子どもの声がして僕は道標を危うく落としそうになる。前屈みになり腹と手で押さえこんでから「誰だ!」と声を張り上げ振り返った。
門を挟んで女の子が立っていた。肩から少し浮いているくらいの黒い髪。水色の胸元にサクランボの刺繍がしてあるシャツにベージュ色のキュロットを履いている。背が僕よりも、クラスメイトの誰よりも高い。その背中に赤いランドセルが窮屈そうにくっついているのがアンバランスだった。小学五年か六年。たぶん僕と同い年か一つ上だ。
そんな女の子が門を揺らして隙間からこっちに手を伸ばしてきた。
「立入禁止って書いてあるし、先生も底無し沼とかがあるから危険って言ってたじゃない。……あ、もしかして学校が違って先生に言われてない? でも看板があるし、危ないから戻ってきて!」
なんだこのうるさい奴は。僕が溜め息をつけば、女の子がムッと眉間に皺を寄せた。
「とにかく、そもそも立入禁止って書かれてる場所に入っちゃ駄目でしょ」
「うるさいなぁ!」
「うるさく言うよ! 危ないから!」
僕が怒鳴ったのに、女の子はちっともひるまない。それどころか僕以上の声量で怒鳴り返してくる。マズい、見つからないようにこっそり侵入しなきゃいけないのにこの馬鹿のせいで大人に見つかってしまうのでは。父さんと母さんが眉をつり上げた姿が脳裏を掠める。女の子に背を向けて、僕は道標の光の先に進むことにした。
「あっ! 待ちなよ!」と背後から悲鳴が上がる。知るか、と僕は光の指し示す方へ足を進める。二人が言うには入口から三十分くらい歩いた先で道標の光が強くなるらしい。まだ時間がかかるのだ。早く進まなければ……。
背後からガシャンガシャンと鉄がぶつかり合うような大きな音がした。そして、ドッドッドと何かの音が近づいてくる。一体……と振り返ろうとすれば肩を思い切り掴まれた。
「もう! 駄目なのに」
さっきの煩い女の子が息を切らして目の前にいた。背後に目を凝らせば僕が外から見えないように置いたランドセルの隣に赤いランドセルが添えてあった。えっ。だってここは。
「立入禁止だぞ。何で入って来てるんだ」
「アンタにだけは言われたくないよ。このまま放っておいて帰れないし、危ないから気になってついてきたんだし……だから戻ろうよ」
ポカンと口が半開きになる。ええと、何だって?
「危ないからついてきた?」
「そうだよ。横断歩道で信号赤なのに渡って車にクラクション鳴らされても止まらないし、すごい怖い顔をしてふらふらと森の方へ一人で歩いていっちゃうんだもん。何度も呼んだのに聞こえてないし……だから追いかけてきたの」
「……ストーカーって言うんだよ、それ」
変態、キモいと唇を尖らせれば女の子の顔が真っ赤に染まる。鼻で笑って、僕は女の子を置いて進もうとした。
ストーカーな上に大嘘つきだなんて救いようがない。僕はここに来るまで“一度も信号を無視してないしクラクションを鳴らされてもいない”のだから。だってあんな狭くてひび割れた道を自動車が走れるわけがない。住宅街の中を歩いていた時も一度も横断歩道を渡っていないのだ。
シッシと手を振って置いて行こうとする。もうついてこないだろうと安堵すればまた足音。道標と反対側、僕の左手側に女の子が並んで歩き始めていた。
「何だよストーカー! まだついてくるのかよ!」
「ねぇ。小さな懐中電灯みたいなの持ってるけど、そんなにこの先に行きたいの?」
思わず足を止め、女の子の顔を見上げる。木々の葉っぱの合間からかろうじて見える青空が、そこから降り注ぐお日様の光が彼女の真剣な顔を照らしていた。
「行きたいよ。理由は教えられないけど」
退怪者は決して正体を知られてはならない。だからその任務だと理由を告げるのは不可能だった。だからもし僕が誰かに見つかった場合、子どもの好奇心、いたずらで済まさなければならないと父さんと母さんに教わっていた。
女の子はじっと僕の顔を見つめて、頬に手を当てて「うーん」と唸った。ほんの数秒だったけど、妙に長く感じた。そして「わかった」と小さく呟いた。
「いいよ。ストーカーで。一緒に行く。嫌でもついていく」
「はあ?」
甲高い声が森に響く。女の子は真顔で凄いことを言ってのけた。
「此処までストーカーしちゃったし、あんな思い詰めた顔して放っておけないもん。それに例えばアンタが底なし沼にうっかり嵌っても、もう一人いれば引っ張り上げられるでしょ」
「僕はお前が沼に嵌まったら置いて行く」
「いいよ、それで。じゃあ行こう?」
女の子は屈伸をして、僕を見てニヤリと笑った。
一方の僕と言えば不敵な笑みを浮かべた女の子を前に混乱して目を丸くして立ち止まったままだった。女の子はどんな理由があろうと手段がどうみてもストーカーでも見ず知らずの僕を心配して追ってきて、酷いことを言ったのに助けないのに一緒についていくと言い張っている。この場合はどうすればいいのだろう。
だってこんな人、始めてなのだ。
「わかった。僕が、お前を、保護する」
「え? 何だって?」
「お前みたいな危ない奴、一人にしたら危ないだろう。だから保護する」
「どっちかって言うと私が保護する立場な気がするけど……。まあいいや、よろしくね」
だから僕は自分に言い聞かせた。僕が任務を遂行している間に女の子が偶然迷い込んできて保護した。退怪者は凡民を守るために怪異と戦うのだから凡民の女の子を保護するのは間違いじゃない。父さんも母さんもわかってくれるだろう。
伸ばしてきた手は取らずに僕は道標が指し示した方向にようやく足を進める。女の子は不満げに唸ってそれでも僕の隣で歩幅を合わせてくれていた。
「アンタ……ええと。名前は?」
名乗ってしまってもいいだろうか。
「遠出叶大。央半小学校五年」
「えっ同じ学校、同い年じゃん!」
女の子の大きな声が頭上から降ってきた。同じ学校、だって?
「嘘だ。僕はお前なんか知らないぞ」
「私も知らないよ。でも央半小の五年生って四クラスあるからなあ。クラス替えは二年に一回だし私人見知りするから知らない奴がいてもおかしくはないのかも」
人見知りする人間は“困っている他人”を追いかけたりしないぞ。言葉を飲み込んでいれば、女の子が一年と二年は一組で、三年と四年は三組、五年と来年の六年はまた一組だと聞いてもないのに告げてくる。たしかに僕とは一度も同じクラスじゃない。しかも現在は四組で廊下の端と端に教室があった。
「じゃあ、遠出君。改めて自己紹介ね」
女の子が歩きながら片手を胸にやった。
「私、近場千花。苗字も“ちか”で始まって名前も“ちか”だから皆“チカ”って呼んでるよ。よろしくね」
「……よろしく。近場さん」
頬を緩めていた近場さんが「ええー」と不満気に頬を膨らませた。別に馴れ合うつもりはない。
ほんの一時間くらいだけど、僕にとって始めての任務は思わぬ乱入者と共にこうして始まったのだ。




