3-3 幸福な異変
その日の父さんと母さんは心配になるくらい上機嫌で、眠りについてる僕を起こしにきた。
「叶大、起きろ!」
小学三年生から僕は小さな自分の部屋を与えられていた。布団を一枚敷けば埋まってしまう部屋で重い瞼を上げれば窮屈そうに父さんと母さんがしゃがんで僕を見降ろしていた。
「何、修行?」
「違うのよ、叶大! 今日は特別な日。いつも頑張っているでしょう。だから久し振りに皆でおでかけよ。叶大の好きなところに連れて行ってあげる」
母さんが頬を綻ばせ僕にぐいっと顔を近づける。ぼんやりと覚醒し始めた意識が母さんの言葉を脳内で反芻し始めた。今日は特別な日? だから……。
「何処がいいんだ、叶大。行く場所によっては早くしないとマズいから起きるんだ。遊園地でも動物園でも水族館でもいいぞ。お土産だって買ってやる。……それに何でも食べていい。ハンバーガーでも今日は特別だ」
ハンバーガー? 父さんの声で意識が鮮明になっていく。笑顔の父さんと母さんが僕の顔を覗き込んで、それで。
何度も何度も反芻して、ようやく意味を理解して僕はがばりと上体を起こした。「危ないぞ」と父さんが笑う。久し振りに聞いた温かい声だった。
「……いい、の? いいんですか?」
薄い夏用の布団から這い出してその上に正座をする。だって土曜日は一日中、退怪者になるための修行をしなければならなくて、ハンバーガーは食べちゃ駄目で。
「今は修行中じゃないから敬語は不要よ。いいの、今日は。だから何をしたい?」
とくん、とくんと心臓が跳ね出した。パジャマの襟が首筋の汗を吸ってちょっとだけ冷たい。
「何でもいいの?」
鼻の奥が痛い。目に薄い膜が張って父さんと母さんの笑顔が歪んだ。
「うん。だって最近、退怪者の修行頑張っているからね。たまには息抜きをしなきゃ」
「お前はずっと気弾を打てないと気に病んでいたがな、そろそろだと思うんだ。肩の力を抜けば、きっと大丈夫。だから今日と明日はお休みをしよう」
「明日も!?」
大声を出せば父さんが「ガハハ」と声を上げた。
「だから今すぐ顔を洗ってこい」
「朝ご飯は何がいい? 目玉焼きでもスクランブルエッグでも焼くわよ」
ぽろりと涙が頬に零れていく。母さんの温かい手のひらが頭を撫でた。
心臓がドクンと鳴った。身体が震えて涙が布団に落ちて染みになる。父さんの大きな手が背中を擦り、腕が背中に回る。ズキンと痛んだ胸を押さえながら何度も何度もしゃくり上げていた。
「洟をすするんじゃなくてかむんだ」
ギュッと瞑った瞼の裏にまだ小学校に通う前の光景が流れていく。父さんと母さんと手を繋いで近所のショッピングモールに行ったこと。レストランでお子様ランチを頼んで「仕方ないなぁ」と父さんが自分のデザートのゼリーを僕の前に差し出してくれたこと。母さんにカレーライスをねだって、人参を星の形にしてもらったこと。
何も変わっていないと自覚すればするほど涙が止まらない。顔が熱く、詰まった鼻にくらくらする。それでも父さんと母さんはずっと待っていてくれた。
二人がいればそれでいい。僕は改めて退怪者として戦っていく未来を信じようと決意したのだった。




