1-1 高校一年 四月 その一(この章全体についての注意書き付きです。前書きを確認の上閲覧ください)
<3章前編につきましての注意書き>
この章には虐待描写を含みます。
肯定をする意図は一切ございません。ショックを受けられる可能性のある方はご注意ください。
学生の優れた点は冠婚葬祭用の服を用意しなくていいところなんじゃないだろうか。
そんな冗談が脳内を過ぎるほど俺は冷静に周囲を見渡していた。
葬儀を取り仕切ってくれている葬儀社の方々は非常に手際が良く、そして俺を気遣ってくれている。精進落としは本来故人の話に花を咲かせるのだろう。けれど沈痛……というよりは当惑にも似た鉛のように重い空気が小さな個室には漂っていて、ポツリポツリと囁き声が隣の部屋からの笑い声で掻き消されていた。長机の上にビール、日本酒、オレンジジュース、烏龍茶、炭酸飲料水の瓶が料理と共に置かれている。ほとんどの瓶が汗をかき、参列者の前に置かれたグラスの中身も料理も殆ど減ってはいなかった。
親戚は親父の弟夫婦とその息子のみ。他の参列者は親父の同僚、正確には後輩が一人。あとは……。
長机の端に座する三人。親より親戚より俺を支えてくれたおじさんとおばさん。それから同じ学章が左胸についた制服を着た少女が俯いていた。
「すみません。少し席を外します」
一礼をして顔を上げれば親戚と同僚があからさまに安堵の感情を顔に張りつかせて俺を見上げていた。両開きの扉を開ければスタッフさんがいて、「トイレで席を外す」と伝える。同情が込められた目を細められ、トイレの場所を案内された。一番近いのは廊下のつきあたりを右へ。礼を告げ足を動かせば短い絨毯の毛が靴の底でギュッと鈍い音を立てる。息苦しさに顔を顰め口を押さえながら俺は先へと進んだ。
耐えなければ。
日本で行なわれる葬儀には火葬中に精進落としをする場合と、火葬後に食事となるパターンがあるらしい。それが火葬場や葬儀会社の都合なのか、地域や宗派の違いなのかは俺には見当がつかなかったが今回の場合は後者だった。
あと一時間で、葬儀が終わる。
口を軽く押えていた手に力がこもる。口を押えているというより、顔の肉を前に摘まんでいるが正しいような状態だった。
あと少しだ。
人が亡くなるというのは感情面の整理だけでなく、その者の生きた痕跡を書き換える作業を伴う。銀行口座の凍結だったり、役所への届け出だったり。俺は未成年だし、そのあたりは一度経験したからといって楽に終えられるものではない。後見人という制度に純粋に感謝をしていた。
廊下のつきあたりには階段とエレベーターがあり、階段の回りに数人掛けの椅子が置かれていた。運よく誰も座っていない。耐えられない、と階段の向こう側の椅子に勢い良く腰を下ろし、「はああ」と声を上げた。
「あああ……」
喉奥から掠れた声が響く。口と鼻を覆い、競歩のような速度だ。もし俺の背をスタッフさんが見送っていればトイレを限界まで我慢していたと思われるかもしれない。恥ずかしい誤解だが、そう誤解されたままの方がいいだろう。
階段、それから廊下を背にして新鮮な空気を肺に溜める。口が乾き、心臓が全速力で走った後よりも跳ねていた。地に足がつかないような浮遊感と心臓を直に引っかかれているような不快感が同時に襲ってくる。何気なく左を見つめれば「喫煙室」と書かれた看板があり、硝子扉の向こうで黒のスーツの男達が煙草を吸っていた。俺が二十歳を越えていたのならこの状態を「吸いたい気分」と呼ぶのだろうか。二十歳を越えても吸う気はなかったが、ふとそんな考えが過ぎった。
ああ、でも。
煙草を吸っている他の葬儀の参列者達はこちらを見ていない。飛び出してきた部屋の連中もスタッフさんも誰も、だ。
ここでなら。さすがに限界だ。
前屈するように上半身を丸めれば毛羽立っている絨毯と顔が近づく。大きく息を吸って吐けば首筋の汗が絨毯に落ちていった。抑え込んでいた濁流のような感情に肩が震え、身体中を駆け巡る。目の奥が熱く、口角がひくつく。もう、ここでなら出してもいいだろう。顔の筋肉が歪み、そして強張る。声だけは押さえながら背筋に走る痺れに近い感覚を解き放つように自分の感情と向き合い、感情のままの顔を上げ……俺は目を見開いた。
「叶大君……」
絨毯が足音を吸ってしまっていたのか。俺が目の前の自分の感情に必死だったせいなのか。
気づかなかった、と自覚した途端身体が急激に冷えていく。
同じ高校の制服に身を包んだ千花が俺の前に立ち、驚愕の表情で俺を見下ろしていた。




