表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
近場千花は怪異に気づけない  作者: 高崎まさき
2.泥濘の赤い綱
31/31

エピローグ あの人は現実を這い、僕は夢で赤い糸を握りしめる

 例えば休講のお知らせだとか、飲み会の注意点だとか。そういう通達や注意喚起は全部インターネットで閲覧できるのに、退学のお知らせだけはアナログに掲示板に紙を貼るのだと今回の件で俺は知った。実名が出るからなのだろうか。

 ランドセルの金具を鳴らしながら小学生が三人、俺とは逆の方向へ走っていく。「車に気をつけるのよ」と女の人の声が遠くでして振り返れば白い毛の丸っこい犬を連れた人が小学生に手を振っていた。「はあい」と間延びした声が三つ重なって遠ざかっていった。

 自宅から二時間ほど、電車を三本乗り継いだ先の住宅街を一人俺は歩いていた。千花は高校時代からの友人と朝から遊びに行くらしい。バイトのシフトもない今日は家で惰眠を貪るチャンスだった。なのに俺は観光地でもない知らない土地にいる。今では珍しい瓦屋根の家と薄いピンクの外壁に白く塗装されたスチールフェンスの家が隣り合っている。一見違和感がありそうなのに街の一部として溶けこんでいるのが不思議だった。小さな花壇の中で揺れる黄色い花を一瞥し先へ進む。花の名前なんてわからないが綺麗ではあった。

 家と家が隣合い、ひしめき合っているその右前方に開けた場所がある。知らない街だが、“目印”がずっとあるので迷うことはなかった。ようやく目的地だと少し足早に近づき、そのまま中に入った。風が砂を巻き上げ、俺のズボンの裾を汚していく。乾いた土をスニーカーで踏みしめながら砂場とブランコの前を通り過ぎ、人が一人座れるサイズの塗装が剥げた青と赤で構成されている四つん這いの熊の置物の前で立ち止まった。

 目を細めてじっと見つめる。開いた熊の口の中に親指サイズの真っ黒な扉があり、四方を輝かせている。

 その四方。熊の口からは四本、赤い綱が吐き出されていた。

「まあ、自業自得だわな」

 天を仰ぎふうと息を吐く。扉は固く閉ざされているし、この綱もこの扉自体もあと三日もすればなくなるだろう。確認は済んだのでもう用はない。土曜の昼間くらい眠りたかったのにと舌打ちをしながら俺は来た道をすたすたと戻って行った。

 大学に入学してすぐ、千花は所謂素行が悪い“飲みサークル”に勧誘されていた。絶滅してほしいアルハラ集団で未成年だろうと容赦なく飲酒させる、居酒屋の前で盛大に吐いてそのまま逃げるで碌な連中ではない。俺が目を離した隙に一人でふらふらとサークル勧誘で賑わうキャンパスを彷徨いて、獲物が来たと言わんばかりにそいつらに絡まれていた。そしてそんな千花の手を取りその場から連れ出してくれたのが相沢先輩だった。曰く「新入生が道を踏み外しそうなのに気づいたから」だとか。それ以来、俺も含めてお世話になっている。良い人だと、思う。だから大学内で大量の怪異の気配を感じ取り、その場に先輩がいると知った時はさすがに冷や汗をかいた。千花を助けてくれた良い人間を怪異なんかにくれてやるものかと、普段はしない人助けに手を染めようと意気込んだ。結局千花がいつもどおり全部爆発させ、綺麗な光にしてしまって俺の出番はなかったが。

 屋根が並ぶ街並みが段々とビルに変わり、歩道と車道の境界が生まれる。街路樹が増え、車の走行音が響き渡る。横断歩道の先にバスロータリーが見えた。赤信号に足を止めれば、スマートフォンが震える。ポケットから取り出して顔に近づけた。

「千花か?」

『叶大君』

「ダチと遊んでるんじゃないのかよ」

『体調が悪いみたいだから次の機会にした。今、家にお粥のパックとスポドリとゼリー持って行ったところ』

 微熱だしそこまで重装備で行く必要はなかったのかもしれないけどねと心底安心した声が鼓膜を揺すってくれる。今日唯一の癒やしかもしれない。

「そうか」

『うん。叶大君は今何してるの?』

「あー」

 まさか本当のことは言えない。青になった信号を渡りながら俺は適当に買い物に出てると嘘をつく。千花は「へぇ」とか「うんうん」とか相槌を打ちながら声を転がす。

『じゃあ夕飯一緒に食べに行くのは無理かな?』

「いや、行く。もう駅だし今から戻れば」

『二時間後でしょ? 全然時間的にはいいけど、叶大君疲れない?』

「それくらいどうってことねぇ。あ、改札くぐるから」

 あとはメッセージアプリで。そう互いに確認して通話を終える。思わぬところで休日の予定が入ったな、アイツが好きそうなイタリアンのレストランでも誘ってみるか。

 我ながら単純だと思わず自嘲する。だが、あんな四人の末路を辿って一日を終えるよりずっといい。

 千花の“お祓い”は完璧で、心霊スポット荒しの四人は完全に怪異の魔の手から逃れたはずだった。全てが夢として処理され、二度と同じ過ちを繰り返さなきゃ人として生涯を終えられたはずだった。

 ──なのに何でまた心霊スポットに行くんだろうな。

 夢はほんの一瞬だけ、あの四人に恐怖を植えつけたらしい。先輩の詳細を省いた発言から推測するしかないが、大量の怪異の恨みを買い、生霊という名前の呪いを増やし“境界”を越えてしまっていた。無数の呪いに触れてあの四人はもはや人間ではなくなりかけていた。

 怪異とは時に人をただ殺すのではなく、眷属として化け物に変貌させ、自分達の世界に連れて帰り、使い倒すのだ。

 それを千花が戻したのに。

 喉元過ぎれば何とやら。あんなものは夢だと、懲りずに心霊スポットに行き、遂に“大当たり”を引いた。強大な怪異と遭遇し、再び境界を越え、もうこの世のものではなくなってしまった。

 化け物達は化け物の世界へ旅立っていった。公園の入り口にはたしかに四人の気配が残っていて、そして開かないように扉は固く閉ざされている。

 まあ、もう過ぎたことだ。ちょうど不法侵入やら何やらの被害届が出され退学処分になったのと同時だったし。人として裁かれるのと化け物として生きるのどっちがいいんだろうな。

 ホームへの階段を上っていく。相沢先輩は掲示板を見て、少しだけ悲しそうな顔をした後に胸に手を当てて深く息を吐いていた。ショックを受け落ち着こうとしたのか、関わる必要がなくなったとホッとしたのかどうかは俺にはわからない。わからないが、怪異に立ち向かえる気概がある人だ。あの人は大丈夫だろう。

 危害を加えようとした奴等は爆発して、今回の件での怪異との縁は完全に断ち切れたのだし。

 ホームの所定の位置について、俺はまたスマートフォンを見た。千花からのメッセージの通知をタップすれば、『お店は叶大君の好きな場所でいいよ。和? 洋? 中? どれ?』と呑気なメッセージが表示された。

「夢みたいだよなぁ」

 今の自分は。千花と付き合い始めて、大学生活を送っている。あの時には考えられなかったことだ。

 ──だからどうか夢だったら覚めないでくれ。

 先輩が四人に最後に会ったのはあの図書室事件の時だったそうだ。掲示板の前の先輩に声をかけ、学食で少しだけ四人の話をした。

「正直良い感情は抱いてないし、あんな夢を見てそんなに日も経ってないから複雑だけど」

 ペットボトルのお茶を先輩が喉を鳴らして飲んでいく。そして真剣な目をして、口を開いた。

「もう夢は覚めたんだし色んな意味で現実を受け入れなきゃ。私は大丈夫よ」

 俺よりもあの人は強い。せり上がってくる感情に蓋をして、俺は千花へ返信をしようとスマートフォンの液晶に指を滑らせた。


第二章 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
怪異の表現がグロテスクで艶めかしく、かつ人物描写がとてもリアルで、情景がイメージしやすく楽しめました。 日常が非日常に侵食されていく、もしくは隣り合わせになっているそれが、何かがズレてパッと見えてしま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ