6-1 理不尽な綱を
一番安全なのは日渡さんだ。身体がブロック状になっていて今にも崩れそうだ。だから一番捕まえられないだろう。そう賭けに出て、私は「うおお!」と唸りながら目を閉じ、日渡さんの横に突進する。
左脇腹に鈍い痛み。鉄臭い──刺されて亡くなった資産家の悪霊の血の匂いなのかもしれない──が気にしていられるかと目を開け、机に思い切りぶつかる。
「え」と水原君の間抜けな声と向かい合わせにした長机、そして椅子がぶつかり金属音を立てた。私はまず机から落ちそうになっているメモ帳を掴み、机の下へ潜り込む。そのまま反対側へ出て金本君が座っていた倒れた椅子を手に持った。
「近寄るな! 何をする気!?」
生きてて一番大きな声だったと思う。肺の空気を全部吐き出し私は叫んだ。
最悪の予感──水原君が私に恋をしていて、この四人の人間関係を更に醜悪にしていたのに気づいたのはさっきだった。恋をするのは自由だが、そもそも他者が傷ついた墓標である心霊スポットに土足で立ち入り、己の都合で荒らす人間を好きになれるはずがない。
だから私は崖の上に立たされたような内臓が縮む感覚に襲われた。だって本当に“正しく繋げて、捧げる”のが現在の心の在り方を指すのであれば、赤い綱は私と水原君で繋がなければならない。そして当然ながら呪われていない私の胸には赤い綱なんかないのだ。
つまり令藍さんの呪いは解けない。唯一解けそうだった呪いすらどうにもならない現実に泣き叫んでしまいたかった。
「何って、相沢さんの綱を作るのよ」
月川さんの発言にクスクス、カカカ。怪異達が笑いながら頷く。
「人間の身体には色々詰まっているじゃない。繋がっているのは身長よりも長いと聞いたわ」
思わず下腹部を見る。人間の腸は、と黒板に文字を書き連ねていく高校時代の教師の背中がふと思い出された。走馬灯、と浮かんだ言葉をかき消して私はメモ帳をズボンと腹の間に挟み椅子を両手で構えた。
「大丈夫だって。刻まれても痛いのは一瞬だし? 俺達を助けると思って、いつもみたいに、な? 俺達に相沢ちゃんを捧げてくれよ」
金本君が緑の身体を床に滴らせ、“全員”が笑い声を響かせた。
怪異達は確実に四人を確実に化け物に変え、そして同時に私を殺すのが目的だったんだ。
何のことはない。謎解きのような今までは全部時間稼ぎで、最初から生きて帰すことなんて令藍さん含めて全ての怪異達は考えていなかったんだ。
一番の大きな見落としであり気づかなければならないのはそこだった。思わず奥歯を噛みしめる。
最初から捉えられない、ただずっと脳の中で渦巻いていた疑問が鮮明になっていた。
一番の疑問は“何故まったく関係のない私がそもそも巻き込まれているのか”で、真相は“私の命なんて怪異達にとってはどうでもよく殺した方がいい”残酷な思考だった。
だって恨みから四人を化け物に変えてしまうなら私は必要ない。誰にも恨まれていないと言い切れるほど清廉潔白な人生は送っていないが、心霊スポットを荒らしたり中絶させようと女の子の腹を蹴ったりはしていない。少なくとも目の前にいる怪異達に恨まれる理由はないのだ。でも結果的に私は四人を化け物へと変え“人としての死を与える”ための会議室に一緒に閉じ込められてしまった。無意識に気づかない振りをしていた四人が現実を直視する瞬間があのメモ帳を四人で見ることであっても、他のタイミングを狙えばいいのだ。四人だけでメモ帳を再び返しに行くであろう時。あの後、真っ当に課題を作成していたなら訪れたかもしれない、例えば私がトイレ等で席を外した瞬間。いくらでも可能性はあっただろう。
でも怪異達は選んでしまった。憎い四人を仕留められる、復讐するチャンスを得た時に余計な私が偶然居合わせてしまった。どうするかを皆で考えて私を犠牲にする選択をした。
自ら手を下さずともこの四人なら私を犠牲にして助かろうとする。怪異に遭遇してしまった口封じも兼ねているのかもしれない。生きて返した結果、“そういう世界”には詳しくないが、私から漏れた情報が広がり“お祓いに向かう人達”もいるかもしれないから。
だから私を殺さなければ解けない呪いを令藍さんは四人にかけた。「正しく繋げて、捧げよ」なんて大嘘で、四人への呪いを侵食させ、私を殺す選択を取るまでの時間稼ぎをしたいだけのでたらめだ。だって呪いたい相手に救いの手など普通は残さないでしょう。気づけば簡単な絡繰りに自然と眉間に皺が寄っていった。
怪異達はクスクス、カカカと嗤っている。青ざめているであろう私の顔を指差し、耳打ちし合い口角を上げ、手を叩いている。違う! 私はもっと残酷な現実に辿り着き、思わずよろけそうになった身体を無理に壁で支えた。
これも計算済みなんだ。上手く息が吸えない喉に唾を飲み込んで呼吸を整えようとする。
吸った空気の臭いにも慣れてしまっていた。それでも目に染みるほど臭いが強く、涙が滲む。
真相に辿り着いた私の絶望を楽しむためだったのだとようやく結論に気づいてしまった。だからあんなに私にだけ指差し嗤うのだ。怪異とは理不尽を与える存在なんだ。
視界の端で長い手が私の腹部に伸びてきていた。
最後の気づきが私の心の綱を切断した。




