エピローグ 衣類離婚
「祓ったのはあの場所の、だけなのにな」
叶大君が妙なことを言い出したので私は立ち止まった。
「払った? そりゃあの店の服を買ったんだからお金を払うでしょう」
「……そうだな」
独り言くらいの声量で相槌を打たれる。何か辛いことがあったんじゃないか。不安になり顔を見上げるけど、相変わらずの怖い顔だった。
「そんな顔をするな」
「叶大君が何か辛そうな声出すから」
「辛くはないさ。明日はこれ着るんだろ」
エコバッグを掲げて、ニヤリと笑う。結局私はミントグリーンのフレアスカート、白地に花柄のブラウス。叶大君は水色のシャツに生地が紺色の大きな葉っぱと花の模様が入っているワイドパンツにした。
「楽しみだね」
「ああ」
のんびりと高架型のデッキを歩いていく。太陽はまだ高いところにあって私達を照らしている。
「でも……本当にいきなり明日着るの?」
あんなに柄パンで「やっぱり派手じゃねぇぁ」と迷ってたのに。
「ああ」
「叶大君も着るんだよ?」
「上等」
ケラケラと笑い合っていれば駅の改札に着く。荷物が引っ掛からないようにしながら通過して同じホームに向かっていく。
「生きている人間の怨念が燃料だから、生きているのは幸いか」
「え?」
ホームにやってくる電車の音で掻き消された。
「あの場に封印されていた化け物が、どっかの馬鹿が大量に背負っている生者の怨念に反応して幻覚を見せた。祓ったのはその化け物“だけ”ということはつまり……」
叶大君の口がもごもごと動いていた。電車の音が大きくなりやはり何も聞こえない。
「忘れているんだろうな、あいつ。そもそも自分が大勢の人間から恨みをかっていると」
そうしていれば目の前で電車が止まりドアが開く。座席に並んで座りながらそっと尋ねた。
「さっき何て言ってたの?」
「この服を大切にしようって言ったんだ」
あまりにも楽しげに笑ったので頷いておく。私もだよ、と抱えたエコバッグの中のミントグリーンを見つめて微笑んだのだった。
◇◇◇
エレベーターホールで数字盤を見つめる。数字の一に点灯したのを見て乗り込む。五のボタンを押してふうと息をついた。
「彼女、助かって良かったですね」
先輩が「ああ」と一瞬だけ柔らかな表情をして首肯する。そしてまた“警察官”の顔に戻った。
代田夕衣は奇跡的に自宅で頭を打ってから意識を快復させ、自らの力で救急車を呼んだ。まだ入院を続けているが後遺症もなく済みそうだと彼女の両親が安堵の涙を流しているのを見て、俺は絶対に“犯人”を捕まえると決意を新たにした。
五階の一番奥にあるの扉の前に立つ。勝尾武蔵。罪状は──。
「……! ……れ!」
「……構えろ」
大きな扉の向こうから微かに悲鳴が聞こえた。先輩が低く唸りドアノブに手をかける。ガチャと音がして鍵がかかっていない事実を突きつけられた。
誰か女性を監禁しているのかもしれない。それくらいはやる野郎だと調べはついていた。
目配せをして下半身に力を入れる。先輩が思い切りドアノブを引き、声を張り上げた。
「勝尾武蔵!」
「助けてくれ助けてくれぇ!」
「うおっ!」
玄関で突っ込んで来た大きな影を取り押さえる。罪状と逮捕状を突きつけながら俺は目を見開いた。
「痛い! 服が! 服がぁ!」
勝尾は全裸だった。とめどなく涙と鼻水を垂らしながら正気を失ったように藻掻いている。別に全裸の人間なんてこの仕事をやっていれば残念ながら見慣れている。泣き叫ぶ人間だって正気を失った奴だって。だが。
「先輩これって……」
「麻薬をやっていた、という情報はない」
額に汗をかきながら先輩はそれ以上は押し黙った。俺達は警察官で、犯罪者の手には手錠をかける。だから勝尾の手にも同じようにした。それだけなのに。
「やめてくれぇ! 身につけさせないでくれ! 服をくっつけないでくれ!」
手錠をかけられて喜ぶ奴は少ないだろう。かけられても暴れる奴もいた。一方で魂が抜けてしまったようにおとなしくなる奴もいた。それらのどれとも違う反応だった。
「痛えよ、ああああ、熱い! 熱いぃ! 皮膚が焼ける! 焼けてんだろぉが!」
勝尾武蔵の皮膚に少なくとも見た目の異常はなかった。
これは後で検査した結果の話だが、検査結果も異常なしでついでに言えば薬物も検知されなかった。
だがどうやら、彼は服及びアクセサリー等を着るとそこから皮膚が焼け爛れると本気で思い込み、更にはその激痛が発生しているらしいのだ。
下着を含めて、服を着れば接触面が焼け爛れ激痛が走る。布団やタオルケット等も該当するらしい。アクセサリー一式も駄目で、今のように手錠も身につけるという意味では彼の中では衣類に該当するらしいので接触している手首の皮膚が焼け爛れる……という仕組みだ。
「焼けていない! お前は無事だ、勝尾!」
「やだ、やだやだ! 熱い、止めろどけ! お前の服が! 服が!」
勝尾を抑え込む俺達は当然制服を着用している。その繊維が抑え込む腕の袖が勝尾の身体と当然のように接触しているため、そこからまた重度の火傷の痛みを味わっている……らしいのだ。
拘束は解けないだろう。ただ勝尾の通常なら衣類で守られている薄い腹の皮膚だとかが暴れたことによる摩擦で赤くなっていた。
「……ああ。了解」
俺が痛がる勝尾の面倒を見ている間に先輩は応援を要請していた。これで後は何とかなる。勝尾一人を除いて。
「演技じゃないですよね」
「ああ」
「やっぱり薬?」
「違うな」
「それじゃあ」
「それは俺達の仕事じゃない。ただ」
勝尾を抑え込む俺を先輩は見下ろしていた。感情を極力排除したその顔からポツリと言葉が落とされた。
「少なくともこのままなら、もうナンパはできないな。……取り調べも裁判も全裸でやるのかわからないが」
ナンパだけでなく社会的な生活全般がでは、とは返せなかった。
部屋の奥の窓が開いているらしい。生温い風が俺達の頬を撫で、どうしようもないこいつの皮膚も包んでいった。
第一章 完




