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「……」
「……」
沈黙。
「……」
「……」
静寂。
沈黙と静寂の言葉の意味ってどう違うんだろう。この場合はどちらに当てはまるのだろうか。どっちでも構わないのだろうか。
少しの気まずさとともに、そんなことを考えながら目の前の青年を眺める。良く手入れの施された黒髪は、三つ編みで一つにまとめられており、顔はまるで職人が丁寧な仕事をした人形のように整っている。印象的な赤い瞳は、こちらを向いているものの、先ほどから会話はない。お互いに身じろぎすらせずに、見つめ合ったまま固まること数十秒が経っていた。
こうなった原因は少し前にさかのぼる。
半月ほど前、リリアンがお父様からもらってきた――正しくは強奪してきた――私の婚約者候補のメモを適当に引いた結果、ブライトウェル侯爵家の次男、ランドルフ様との顔合わせが決まった。
そうして迎えた顔合わせ。リリアンは、前回のことを少し気にしていたのか、自室に籠ると言って譲らなかった。そのため、ほぼ同じ流れとなった。玄関で両親とともにブライトウェル侯爵家の方々に挨拶をして、客室へと案内、といった具合だ。
しばらく、お互いの両親が会話をしていた。その間、私は静かに座っていたし、ランドルフ様も言葉を発することなく静かにしていた。それを見ていたお母様が「まぁまぁ、私たちはお邪魔よね。あとは若い2人で」みたいなことを言い残して、大人たちを連れて出て行ってしまったのだ。
そして冒頭に戻る。
「……」
「……」
さすがに何か話すべきなんだろう。だが、困ったことに話題が思い当らない。何を話せばいいのだろう。こういうときにリリアンのような社交性がうらやましい。彼女は、元のリリアンの性格なのか、転生前の方の性格なのかわからないが、驚くほどに社交性が高い。
「私との婚約を無理に結ぶことはない」
落ち着いた声に顔を上げる。ランドルフ様の表情は一切変わっていない。
「いえ、そういうわけでは」
我ながら可愛らしさのかけらもない返答である。もっと気の利いた言葉をかけられないものか、と少し思った。
「噂は聞いたことがあるだろう。私は女性が喜ぶようなことはあまりできない。そういったものを期待するなら、別の男性の方が良いと思うが」
「あ、えっと、そういったことは求めていないというか、よくわからないというか……」
「……違うのか」
「はぁ、そうですね」
気の抜けた返事をしてしまった。
しかし、男女の関係をランドルフ様に求めているわけではないことは本当なのだから仕方がない。考えてもみてほしい。15歳の青年と11歳の少女が婚約を結ぶのだ。あと5年ほどすれば、恋愛対象にもなるかもしれないが、今の状態では、ランドルフ様から見た私は完全に子供だろう。これで、私のことを異性としてみろという方が無理な話だ。
「それでは何を求める」
「何を……ですか。何かを求めないとだめなんでしょうか」
私の言葉に少し考える素振りを見せる。右手で顎をさすりながら、しばらく考えていたようだが、やがて顔を上げると口を開いた。
「だめではない、と思う。しかし、尚更わからない。なぜ婚約をする必要がある」
「……家の存続のため、でしょうか」
「それに私の存在は必要か」
家の存続にランドルフ様が必要か。私が婿を取るのは、オールディス侯爵家を継ぐため。正確には、この国では女性が爵位を引き継ぐことが基本的にできないため、婿を取って、その人が一時的に爵位を引き継ぐ。そうして、私が生んだ子供の中に男の子がいれば、その子が成人した際に爵位を譲る。男の子がいない場合は、親戚から男の子を養子に迎えて爵位を継いでもらう。
「必要です。女性は原則的に爵位を譲り受けることができません。そのため、一時的とはいえ、誰かに爵位を引き継いでいただかないといけません」
「法律を変えてしまえばいい」
「法律を変えるには文官として働き、出世する必要があります。出世したからと言って、必ずしも法律を変えられるとは限りません。それに、現在、文官は男性のみの募集のはずです。私がなることはできませんから、そもそも無理な話です。仮に女性を募集するようになったとして、そこまでの労力をかけるくらいならば、誰か婿を迎えた方が手っ取り早いです」
「確かに」
やはり表情は変わらないものの、納得したように彼は頷いた。再び、何かを考えているのか、顎に手を当てて黙ってしまった。
することも特にないため、目の前のカップを手に取り、紅茶を飲む。すっかり冷めてしまったようだ。
「それならば、君が私に求めることは、家の存続のための働き、ということでいいだろうか」
「そう……なりますね」
「構わない。君がそう望むのならば、そうしよう。私としても婚約者がいると、色々助かる」
「色々……?」
「あぁ、気にしなくて構わない」
そのあとは、また会話がない状態に戻った。お互いに紅茶を飲みながら、静かに過ごしていると、しばらくして、外に出ていた両親たちが部屋に戻ってきた。あまりの静かさに私たちの関係が上手くいかなかったと勘違いしたお母様が天を仰いだ。それを見たブライトウェル侯爵夫人も肩を落とした。
「お父様」
「どうした?」
いつも通りを装っているが、少し気落ちしているようにも見える。
「このお話を進めてください」
「……え?」
お父様は困惑したように目を瞬かせた。その間に、お母様が「まぁ!」と声を上げながら扇を広げた。隣にいたブライトウェル侯爵夫人と何やらこそこそと話し始めたところで、ようやく現実に戻ってきたお父様が、今度はランドルフ様に目を向けた。
「話を進めていいのかい?」
「構いません」
その言葉に「おやおや」と意外そうにしながらも、ちゃっかり婚約誓約書などの書類を準備し始めた。それを見ていたブライトウェル侯爵も同様に書類の準備を始める。
いつの間にか隣に座っていたお母様が、扇で口元を隠しながら、小声で話しかけてきた。
「どんなお話をしていたの?」
「私にとって、ランドルフ様がいかに必要な存在であるかについてお話ししていました」
「まぁ!」
頬を染めたお母様を見て、返答の仕方を完全に間違ったことに気が付く。入り婿の必要性について話していたという意味合いだったのだが、どうやら別の意味だと思われてしまったようだ。しかし、今更否定したところで、照れていると思われるだけだろう。
テーブルの上に目を向けてみると、お父様たちが婚約の話を詰めているようで、書類を広げながら何かを話している。まだ時間はかかりそうだ。隣のお母様を見上げる。少し楽しそうな表情だ。こうやって改めて見てみるとリリアンと似ている。
「お母様」
「どうしたの?」
彼女の緑色の瞳がこちらを向く。
「あの、お姉様は?」
「リリアンは、今は勉強をしているわ。あぁ、勉強といえば、ミルドレッドの古代語の家庭教師がまだ見つかっていなかったわね。できるだけ早く見つけてあげたいのだけれど、隣国から来てもらうしかないから、なかなか難航していて。もう少し待ってちょうだいね」
「はい、大丈夫です」
「古代語を勉強しているのか」
思わぬ方向から声をかけられて驚いた。先ほどまで黙っていたランドルフ様がこちらを見ていた。
「はい。ただ、本もあまり見つけられず、古代文字を学んでいる途中ですが……」
「本なら王立図書館に何冊かあるのを見たことがある」
「本当ですか!」
「気になるなら、実際に行ってみるといい」
「あ……でも……」
王立図書館には前々から興味があった。かなりの蔵書数だとリリアンから話を聞いていたからだ。ただ、問題は、王城内に存在していることだ。
王城には基本的に未成年は入ることができない。例外もないわけではない。例えば、王子の婚約者であるリリアンは条件付きではあるものの登城が許されている。日本と同じ図書館のシステムであれば、本を借りてきてもらうことができたのだが、この世界では図書館から本を持ち出すことはできない決まりになっている。
「文官の付き添いがあれば、図書館の利用は可能だ。今度の週末で構わないか」
「え、あ、はい!」
反射的に返事をしてしまった。
「では、今度の週末に」
「は、はい」
お読みくださり、ありがとうございます。
続きは明日投稿いたします。