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お姉様たちと話し合って、少しの仮眠をとると、すぐに辺境伯領を出発した。仮眠を取っている間にエイブラム様が、街から質素な馬車を借りてきたようで、それに乗せられると、私たちは出発した。
狭い馬車のすぐ横には、不機嫌そうなルセック様が座っていた。
私たちは結局、侍女の格好をすることになったものの、逃げだす侍女がそのままの格好で逃げ出すことはないだろうということで、上に紺色の上着を羽織っている。また、ランドルフ様は体格や目の色から侍女の格好は難しかったということもあり、御者の格好をしている。
この馬車はランドルフ様が操っているわけだが、彼は馬に乗ることはあっても、当たり前のことながら、御者をしたことはないため、安全の保障は当然ない。
しかし、この状況下で選べる選択肢などほとんどないのだから、多少のリスクは目を瞑るしかない。
辺境伯領を囲む壁からエルデ王国側へと入っても、王城にたどり着くまでには数日かかる。ガタガタと揺れる馬車の中で、隣のルセック様を見た。
「今のところ不審がられる様子はないですね」
「どうかな。辺境伯領は最前線ということもあって、王国兵が配置されていなかったけれど、少し下がったあたりに検問所を設けているか、兵が待ち構えているかしていると思うよ。ほら、あそことか怪しくない?」
言われるがままに、馬車から顔を出して覗いてみる。この馬車には窓などついていない。
確かに街の手前に何やら小屋のようなものが見える。目を凝らして見るが、暗くてあまりよく見えない。グイっと引っ張られて、頭を馬車の中に戻す。
「あまり目立つ行動はしない方がいい。逃げ出した侍女なら、わざわざ顔なんて外に出さないでしょ」
「そうでした」
やがて、馬車が段々とスピードを落としていく。外でランドルフ様が誰かに話しかけられているようだ。ジワリと手に汗がにじむ。しばらくして、こつこつと足音が近づいてきた。足音から考えて騎士だろうか。
バンっと音を立てて扉を開けられる。
開けられた向こう側には予想通り、王国騎士が一人立っていた。ルセック様も私も慌てて頭を下げた。私たちの設定は平民の侍女。そして、王国騎士は貴族。彼らとの間には身分差があるため、こうするのが自然だ。
「頭をあげてください」
思ったよりも優しい声に私たちは恐る恐る頭を上げた。貴族の中には平民に対して横暴な態度をとるものも多いが、どうやら彼は異なるようだ。まだ若そうな騎士は、私たちを交互に見ると、少し申し訳なさそうな顔をした。
「すみません、辺境伯領から逃げてきたことは予想がついているのですが、一応検問なのでいくつか確認させてください」
「もちろんです」
ルセック様の代わりに、私が返答した。彼は黙っていれば女性に見えるように変装しているものの、話してしまえば、たちまちばれてしまう。
「まずフードを外してもらっても?」
その言葉にしたがって、私たちはフードを外す。正直なところ、ここでばれないかが一番心配だ。しばらく私たちを観察しているようで、沈黙が落ちる。バクバクと動く心臓の音が聞こえてしまうのではないかと冷や汗が背中を流れていく。
どうにか、表情には出さないようにして静かに待っていると、騎士は頷いた。
「はい、ご協力ありがとうございます。次に質問ですが、どういった経緯でこちらへ逃げてきたのか教えてください」
「私どもは元々辺境伯家の侍女です。その、戦争後に家族がいる領地へと帰りたかったのですが、脅されて帰ることが叶わず……」
「脅されて?」
「はい……。今の辺境伯領地は、それは酷い有様です。裏切者がいたら、辺境伯家に報告。報告されてしまった人は見せしめのように殺される、もしくは、拷問をされる。そして、最終的に戦争の危険地帯へと駆り出されるのです。十分な武器も防具も支給されずに戦地へと向かわされて、肉の壁として使われるのです。人々は怖がって逃げ出すことをためらい、静かにやり過ごそうと裏切者を報告するのです」
「……それは、酷いな」
私の話を静かに聞いていた騎士が眉をしかめて声を絞り出した。深刻な表情をしているところ、大変申し訳ないのだが、すべて嘘だ。
「君たちはどうやって逃げてきたんだ」
「逃げられる確証はありませんでしたが、お金を積んだんです。壁の入り口を守っている騎士や兵に私たちの持ちうる財産すべてを賄賂として渡して逃げてきました」
よく考えれば、おそらくこんな陳腐な話、どこか矛盾があるはずだ。しかし、悲壮な表情で話されると、人の良心というのは痛むもののようで、気の毒そうな顔をした騎士が頷いた。
「ところで、その隣の侍女は先ほどから黙っているが、話せないのか」
「……彼女は、元々よく話す人でしたが、逃げてくるまでの出来事にショックを受けてしまったみたいで、声が上手く出なくなってしまいました。ルー、声出せそう?」
ルセック様が声を出せないという設定を慌てて作って、そう話しかければ、彼は空気を読んで声を出そうとするふりをしてくれた。息を吐く音だけが響く。当たり前だ。息を吐いているだけなのだから。
しかし、それを見ていた騎士は、痛ましいものを見たかのように眉を下げた。
「きっと大変な目にあったんだろう。辺境伯領の噂が本当だったとは……。失礼、確認が取れたので進んでもらって構わない」
そう言うと、彼は開けたときとは対照的に、扉をゆっくりと静かに閉めた。徐々に馬車が動き出し、元のスピードに戻っていく。無事に検問を抜けられたようだ。しばらくして、私たちは息を吐いた。
「緊張しました」
「俺も。ばれたかと思った」
「なかなかの演技でした」
「その言葉そのまま返すよ」
安心したからか、お互いに小さく笑みが漏れる。この後は、ランドルフ様が馬車を止めたところで、平民の服に着替えて辻馬車などで移動するのが一番良いだろう。侍女の服で動き回るのは目立つ。
ガタガタと大きく揺れる馬車の中で、お尻の痛みと腰の痛みに襲われながらも、じっと座ってしばらく経った頃、真っ暗な場所で馬車が停まった。周りを見回してみても、明かりがほとんどないことから、どこかの農業地帯だろう。
ルセック様が扉を開けて馬車を降りる。私もそれに続いて降りようとすると、こちらに来ていたランドルフ様が手を貸してくれた。やや足場の悪い道に降り立ち、周りを見回してみるが、本当に光がない。少し遠くにぼんやりと光が見えるが、あそこに街があるのだろうか。
「ここからは歩くしかないだろう。いつまでも馬車で動いていては小回りが利かないし、ばれたときに面倒だ」
「そうだね」
ランドルフ様とルセック様が話しながら、私を見下ろす。
「歩けるか」
「大丈夫です。歩きます」
ランドルフ様が馬を馬車から外して連れてくる。さすがに、馬まで放置というわけにもいかないからだろう。
「馬連れていくの?」
「放っておくわけにもいかないだろう」
「平民が馬を連れているのは目立たない?」
「目立ちますね」
二人のやり取りに私も口をはさむ。馬もどこかに置いていきたいが、これほど何もない場所に置いていくのはかわいそうだ。取捨選択が必要と言われれば、それまでなのだが、ここまで頑張って走ってくれた馬を放置するのは気が引ける。
「私たちの領地って、どうなっていますか」
「情報が上手く入ってきていないが、協力を仰ぐのは難しいだろうな。オールディス家はそもそも領民も含めて避難してしまって人がいない。私の領地も、私の味方はしないだろう」
「俺のところもどうかな。父上はいれば協力してくれるだろうけれど、捕らえられているかも」
「そうですよね……」
ミカニ神聖王国に派遣されていた人々の家は、多少なりとも王家の監視の目があるはずだ。私たちが入り込めば、たちまち捕らえれてしまうだろう。馬一頭のために、そこまでのリスクを取るのは賢くない。
また、私たちと交友関係がある家にも監視の目があると考えた方が良い。
「……馬に乗って強行突破とかする?」
「さすがに無理があるだろう」
ルセック様の提案にランドルフ様が首を振る。確かに二人なら、それでも良いが、さすがに三人は乗れない。それに、その方法はかなり目立つ。
「そもそも馬に乗れる平民自体が珍しいですよね……」
やはりあきらめるしかないのか、と思いながら、こちらを穏やかに見ている馬を見上げる。耳がパタパタと動いている。
「なんか、馬を瞬間移動させる古代遺物とかないの?」
「ないですね」
ルセック様の無茶ぶりに首を振る。そのような便利なものがあれば、既に使っている。話している間に、地平線のあたりが若干明るくなってきたように感じる。
「……ここで話していても仕方ないな」
「そうですね、とりあえず歩きながら考えましょうか」
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の投稿は明後日です。
皆さま地震は大丈夫だったでしょうか。
まだ被害の全貌が見えておりませんが、救助を必要としている方々も多くいらっしゃるかと思います。できる限り多くの方々が助かること、また、これ以上被害が拡大しないことを祈っております。




