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お姉様にされるがままの状態でどのくらいの時間が経っただろうか。それほど長い時間は経っていないだろう。上機嫌のお姉様に背中を軽く押される。
「じゃあ、部屋に戻りましょう」
「……まさかこの地味顔が役に立つ時が来るとは思いませんでした」
私の返答にも彼女はふふっと笑うばかりだ。横に並んで歩きながら、お姉様をちらりと盗み見る。いつも通りに見えるが、やはり戦争が始まる前のお姉様と雰囲気が異なる気がする。いつも通り、穏やかに微笑んでいるし、私に対しては相変わらず優しい。それなのに、どこか壁を感じる。
考えている間に元の部屋へと戻ってきていたようで、お姉様の後ろに続いて足を踏み入れた。その瞬間、部屋の中の視線が私に集まる。目立たない顔立ちということもあり、普段は人に注目されることもないため、思わずたじろいでしまう。
誰も声をあげないまま、数秒が経った。私がそっと顔をあげて、部屋の様子を見てみれば、ランドルフ様は眉をしかめてこちらを見ていた。その横で困惑していたルセック様が口を開いた。その目線はお姉様に向いている。
「えっと……? そちらのお嬢さんはどこかの商家のお嬢さんで?」
「何言っているのよ。良く知っているはずよ」
「何のつもりだ」
少し不機嫌そうなランドルフ様の声が響く。
「あら、ランドルフ様はわかっているのね。さすがはミルドレッドの婚約者様」
「……え?」
お姉様の言葉にルセック様が言葉を失い、再び、私へと目線が戻る。上から下まで見るのは、本来はマナー違反だが、確かにそうしたくなる気持ちがわかるため、今回は仕方がない。
「え、嘘……。本当に? 別人ではなく?」
「失礼ね。私のかわいい妹よ。お化粧したの」
「化粧でこんなにも変わるとは驚いたな」
エイブラム様が顎のあたりを撫でながら、淡々と言葉を発する。
今の私の格好は、どこからどう見ても、上流階級の市民といったものだ。質の良いワンピースではあるものの、貴族が着るようなものではない。そして、お姉様が施した化粧により、私の地味顔は見事に美少女へと変化していた。
私の顔は地味ではあったが、顔のパーツバランスが良かったため、少し化粧をするだけで随分と変わったのだ。彼らも驚いているが、一番驚いたのはおそらく私だろう。
「これなら確かにばれないね」
ルセック様が納得している横から、ランドルフ様が首を振った。
「いや、怪しまれる。戦時下で、上質な服を着た上流階級の娘が、辺境伯領からエルデ王国側へと行くのか? どう考えても状況的に怪しまれるぞ」
「……そうだな。辺境伯領の大きな商家と我々辺境伯両家のつながりは深い。それを断ち切ってまで、エルデ王国側に逃げるという状況はやや不自然に映るだろう」
「そういうものかしら」
エイブラム様の言葉にお姉様が首を傾げる。しかし、すぐに考えを切り替えたのか、小さくうなずいた。
「でも、確かにそうかもしれないわね。それならば、どういう立場ならば辺境伯領から逃げ出しても不自然じゃないかしら」
たまたま辺境伯領に商売に来ていたような旅商人は、既に逃げた後だろう。今更逃げると言っても、怪しまれる。
「あぁ、それならちょうどいい噂があるから、それを利用したらどうだ」
少し口角を上げて愉快そうに笑っているエイブラム様の言葉に、お姉様が反応した。
「なるほど、確かにいいですね」
「お姉様? その噂とはどういったものなのですか」
「エルデ王国側が、攻撃を正当化するためにいくつか噂を広めているのよ。そのうちの一つに、辺境伯家は、領の騎士団や使用人たちを脅して、言うことを聞かせているっていう……まぁ、根も葉もない噂ね」
「つまり、私は使用人を演じればよいということですか」
「そうなるわね」
うんうんと一人で納得したお姉様は、早速、侍女の服を用意するようにエイブラム様に交渉を始めた。その横で、ランドルフ様が訝し気にこちらを見た。
「ミルドレッドは侍女の振る舞いができるのか」
言いたいことは何となくわかる。平民、もしくは、男爵家や子爵家の娘が侍女をすることが多い。侯爵家の娘と彼らが同じマナーや振る舞いを身に着けているわけもなく、普段通りに動けば、侍女としては怪しまれるだろう。そして、長年の習慣として身についた所作はそう簡単には変えられない。――普通ならば。
お姉様が、意味あり気にこちらを見て笑う。
「できるわよね、ミルドレッド」
「えぇ、できます。お姉様」
そう、私は転生者だ。もともと意識せずに動けば、体に染みついたミルドレッドの記憶なのか、勝手に侯爵家の令嬢としてふさわしい動きになるものの、前世の動きを意識すればできないことはない。前世はただの日本人だ。これはそのまま平民の動きと言って差し支えないだろう。
「……そうか」
不思議そうにこちらを見ているものの、それ以上話を掘り下げるつもりはないようだ。
「それじゃあ、問題は解決したわね。ミルドレッドは侍女に変装。ランドルフ様とルセック様は……そうねぇ、どうしようかしら」
ランドルフ様は案外目立つ。赤い瞳は珍しい。帽子を目深にかぶるしかないのではないだろうか。
「そうねぇ、あぁ、そうだわ。そうしましょう」
お姉様は一人でぶつぶつとつぶやいたかと思うと、二人を立たせて部屋の外へと押し出した。そのまま、廊下にいたと思われる侍女に何やら囁くと、満足そうに部屋に戻ってきた。
「仕上がりが楽しみね」
「どうせ碌なことを考えてないだろう」
「あら、どうしてそう思うのかしら」
「リリアン嬢が愉快そうにしているときは、碌なことがなかったからな」
エイブラム様の言葉にも動揺するでもなく、ただ微笑んでいるだけだ。特に気にもしていないのだろう。再び轟音が響いて、思わず肩を揺らしたが、目の前にいる二人は肝が据わっているようで、微動だにしない。
「お姉様は、ここに残るのですか」
「あら、もしかして心細いの?」
冗談めかして問い返すお姉様に、慌てて首を振る。
「そういうわけでは……」
「わかっているわよ。そうね、本当はついていきたいのだけれど、さすがに私がこの場を離れると、簡易古代遺物が使えなくなるのよね」
言われてみればそうだった。
「ただ、王子殿下と直接お会いしてお話しできないのは悲しいわ」
「……やはり、今回の戦争は王子殿下主導のものなのでしょうか」
「おそらくそうでしょうね」
「……」
今までのお姉様を見ている限り、王子殿下には多少なりとも好意を持っていたように見えた。それなのに、こういったかたちで裏切られて、離れて、対立している。お姉様はずっと微笑んではいるが、一体どういう気持ちなのだろうか。
「そんな心配そうな目で見ないで大丈夫よ。そうね、少し怒ってはいるけれど」
「本当に少しか?」
お姉様の隣からエイブラム様が口をはさむ。その言葉に、お姉様の表情が一瞬強張ったが、すぐに元の表情に戻って微笑んだ。
「あら、嫌だ。せっかく心のうちに秘めておこうと思いましたのに。……そうですね、とても怒っています。だから、ミルドレッド」
「はい」
「全部終わったら王子殿下に私から文句を言わせて頂戴ね」
怒っているが、どこか悲し気な表情にも見えるお姉様の微笑みに、頷くほかなかった。少し部屋の空気がしんみりとしたところで、扉がバンと勢いよく開かれた。
「ねぇ! これどういうこと!?」
騒がしく入ってきたのはルセック様のようだ。服装自体は割と似合っているのだが、振る舞いのせいで違和感がある。
「あら、その格好に合わせた振る舞いをしてくださいませ」
愉快そうにお姉様が言葉を返す。ルセック様はどういうわけなのか、私がこれからするであろう侍女の格好をしてそこに立っていた。どこで用意してきたのか、ご丁寧にきれいな長髪のかつらまで被せられている。黙って大人しく立っていれば、何の違和感もないほどに馴染んでしまうのだが、がに股のせいですべてが台無しだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は明後日投稿予定です。
また、誤字報告をしてくださった方、ありがとうございます。
誤字が多くお恥ずかしい限りです。




