7
街に出かけたあの日から、大きな事件もなく、日々は過ぎ去っていった。若々しかった緑はすっかりと深みを帯びて、日差しも強くなり、気温も高くなった。そう、夏が来たのだ。湿度は低いのか、すっきりとした暑さだ。
すっきりとした暑さにも関わらず、私がベッドに突っ伏している理由。暑さにやられてしまったわけではない。憂鬱なのだ。原因? それは――。
「ミルドレッド」
「何ですか、お姉様」
枕に顔を押し付けた状態のまま、リリアンに返事をする。わかっている。お行儀はよくないし、せっかく話しかけてくれている彼女に失礼だ。……さすがに失礼だ。顔を上げてみる。少し心配そうなリリアンの顔が目に映る。申し訳ない気持ちがさらに強くなる。
これでは完全に八つ当たり状態である。それは子供のすることだ。
のそのそとベッドの上で起き上がると、正座をした。リリアンが苦笑いをする。
「それで、お姉様。先ほどの話は本当なのですか」
「うん」
「私、この間、婚約打診を断られたばかりだと思うのですが」
「それでも、高位貴族ほど早く婚約がまとまる傾向にあるから、条件の良い相手を選ぶためには、この時期に動くのが適切なんだと思うよ」
「う……」
ぐうの音も出ないとはこのことか。
私、ミルドレッドは、少し前に伯爵令息に対して婚約打診をかけていたものの、断られている。私が転生する直前の話だ。そのため、婚約者はいない。両親は、私がショックを受けてしまったのではないかと思い、しばらく様子を見ていたようだ。そうして、しばらく様子を見た結果、元気そうだし、特に問題ないのではないか、婚約者を改めて探そうという結論に至ってしまったらしい。
こんなことになるのであれば、もっと落ち込んでいるふりをするなり、記憶喪失で戸惑っているふりをするんだった。
「お父様が婚約打診をかけるお相手をある程度絞っているみたいなの。お母様が、最終的にはミルドレッドに選ばせてあげましょう、って言っていたわ」
「選ぶって言っても……。私、そういうのはよくわからないわ」
残念なことに、日本にいたときも、私は恋愛からは程遠い場所にいたのだ。友達は女友達しかいなかったし、知り合いの異性といえば、仲の良い友人の彼氏くらいで、顔を合わせれば挨拶をする程度だ。
恋愛に興味がなかったかといえば、そういうわけでもないのだが、何しろ優先順位が低かった。相手がいないならいないで構わないと思って生きてきた結果、恋愛とは無縁の生活を送ってきたのだ。それが、まさかこんなかたちで考えざるを得なくなるとは思いもよらなかった。
「私、お父様に候補のお相手について聞いてきたの。だから、ね?」
リリアンは楽しそうである。
「でも、お姉様」
「ほら、1人目のこの人なんてどうかしら。伯爵家の三男で見習い騎士として最近働き始めたみたい。あ、こちらの方は文官になるために勉学に励んでいるそうよ。それから、この方はお隣の領地の」
「お姉様」
「あら、この方はお名前を聞いたことがあるわ。私のお友達から伝え聞いたのだったかしら。とてもお優しいとか」
「あの」
「あ、この方は既に文官見習いとして働きに出ている方らしいわよ」
だめだ。全く聞いていない。カーティスから預かってきたメモを手に、相手を吟味している。おかしいな、私のお相手のはずなのだが。
しばらく楽しそうにメモを見ていた彼女だが、1枚の紙を手にしたときに、ぴたりと動きが止まった。先ほどまでの表情が嘘のように、眉をひそめた。何事だろうか。
「どうして」
そうつぶやくと、はっとしたように、まだ目を通していなかったと思われるメモにも手を伸ばす。しばらくして、メモの束から数枚を引き抜くと、私の前にそれらを置いた。
「この方々、攻略対象キャラだわ」
「攻略対象? 主人公は王子と結ばれるというお話では?」
「それはメインストーリーよ。ほかの攻略キャラを選ぶこともできるの。といっても、王子ルート以外だと……」
そういってリリアンが話した内容を聞いて絶句した。
王子ルートは、以前リリアンが話してくれた通りの内容で、隣国との戦争が終結すると主人公は王子と結婚する。それ以外の攻略対象を選んだ場合は、隣国との戦争が始まるところまでは基本的に同じなのだが、戦争中に王子が亡くなったり、戦争後に王子が亡くなり、選んでいた攻略対象と結婚するというものである。
ほかの攻略対象と結婚させるために、無理やり王子を亡き者にしている。やはり、この乙女ゲームの倫理観は破綻しているのではないだろうか。製作者は一度倫理を学んだ方がよいと思う。
それにしても、攻略対象キャラということは、ストーリーに度々登場するということだろう。そうなると、モブとしてとるべき行動は――。
「お姉様、攻略対象キャラは婚約者候補から外しましょう。私たちの平穏のために」
「そうね。それがいいと思うわ」
リリアンは、私の前に置いていたメモを端に寄せた。さようなら、攻略対象キャラ。私の目に入らないところで、お幸せに。
「さて、気を取り直して、どの方と顔合わせをする?」
「え」
いけない。リリアンの瞳が輝きを取り戻してしまっている。完全に楽しんでいる。妹の婚約者候補探しを楽しまないでほしい。
「さあ」
目の前にメモを差し出される。
どうしよう。わからない。どう選ぶべきだろうか。そもそも恋愛感情ってなんだ。恋は落ちるものとかいうけれど、落ちるには相対的な高さが必要なはず。何と何を比べて高さを見出して、そこからどう落ちているんだろう。いや、あくまで比喩表現であるから関係ないのだろうか。
そもそも、恋愛について考察する必要は今はないだろう。これは、政略結婚だから恋愛感情はいらないはず。それならば、何が必要だろうか。誠実さ? 誠実さって何だ。それは何で測ることができるだろうか。人の感情や心って見ることができないから定量的じゃない。行動から誠実さを測るべきか。
「さあさあ!」
「お姉様、近すぎて見えません」
リリアンが、さらにメモを近づけてきたが、もはや、近すぎて文字が見えない。
わからないならば、もう誰を選んでも同じではないだろうか。そうだ。攻略キャラは、候補から外したのだし、問題はないはずだ。それに、これはあくまで婚約打診前の顔合わせの相手を選ぶだけ。前回の伯爵令息のように何か問題が起きれば、そもそも話がなかったことになるはずだ。
右端のメモを引き抜いて、リリアンに差し出した。
「この方でお願いします」
「……」
「……?」
返事がないことを不思議に思い、顔を上げてみると、リリアンが微妙な顔をしている。眉を顰めるほどではないが、その直前のような顔だ。何かよくなかっただろうか。
「ミルドレッドって……意外と面食い?」
「いえ、そんなことはないかと思いますが」
「そう? でも、この方、顔が整っていることで有名ではあるけれど、ちょっと変わっているというか、空気が読めないというか……。まあ、ミルドレッドが良いなら構わないけれども」
なんということだろうか。以前、地味だと言い放ってきた伯爵令息のような人物を選んでしまったのだろうか。やはり、メモをよく確認してから選ぶべきだっただろうか。
リリアンからメモを受け取り、内容を確認してみる。侯爵家の次男で、名前はランドルフ・ブライトウェル。15歳。城勤めの文官で勤務態度も真面目。
「メモを読む限りでは、特に問題があるようには見えないのですが」
「その、なんていうのかしら。別に罵詈雑言を吐いたりはしないけれど、女心がわからないって感じの方みたいで、今までも顔や地位に惹かれたご令嬢が顔合わせしたりしていたみたいだけれど……」
なるほど、うまくいかなかったわけだ。しかし、私としても、名目上の婚約者がいれば、それで構わない。
「とりあえず、お会いしてみてから考えてみます」
「……わかったわ。お父様とお母様のところに行きましょう」
「え? 今からですか」
「善は急げよ!」
「お姉様、少し楽しくなっていませんか」
「気のせいよ」
「別に責めているわけではないのですが」
「すっごく楽しいわ!」
やはり楽しんでいたようだ。楽しそうで何よりである。リリアンに引きずられるようにして自室を後にし、談話室へと向かった。
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