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目を開けるよりも先に、ここが夢であることに何となく気が付いた。ふわふわとした不思議な浮遊感に包まれながら、ゆっくりと目を開けてみれば、それに合わせるかのように闇が洗い流されていく。徐々に鮮明になっていく景色に目を凝らして見れば、オールディス家の屋敷が見えた。
以前の夢で見たときよりも、庭園には花の種類が増えており、華やかな色合いになっている。背の低い生け垣の向こうには、やはりというべきか、姫巫女らしき姿と、オールディス侯爵らしき人物が見える。徐々に景色だけでなく、音も聞こえるようになってきたとき、聞きなれない声に気が付いた。
大人の女性にしては高すぎて、しかも、若干活舌が悪い声。自分の足が地面についたことを確認して、生け垣へと近づいてみれば、先程までその陰に隠れていて見えていなかった少女が見えた。まだ四、五歳ほどの少女は侯爵と姫巫女に手をつながれて、庭園を散歩していたようだ。
ふとこちらを見上げた彼女と目が合った気がしたが、私はこの世界では見えない存在のはずで、おそらく私の後ろの空か屋敷でも見上げていたのだろう。
「王家派閥の者たちが随分と君に圧力をかけているそうじゃないか」
「……そうね。あれほど私を追い出したがっていたのに、古代遺物の力を知った途端これだもの」
ため息をついた彼女の手を、幼い少女はぎゅっと握った。そのことに気が付いた姫巫女がふと目線を落として、彼女に笑いかける。
「おかあさま、げんきない?」
「大丈夫よ、心配かけてごめんね」
ゆっくりとしゃがみこんだ姫巫女は、少女に目線を合わせると、そっと抱き寄せた。少女は嬉しそうに笑い声をあげる。
それとは裏腹に、真剣な顔で姫巫女は侯爵を見上げた。それに対して彼も静かに頷き、そして、姫巫女と同じようにしゃがみこんだ。
「ねぇ、オリヴィア」
「んー?」
呼びかけられて、彼女はご機嫌なまま顔を上げた。真剣な表情の姫巫女につられて、きゅっと唇を結び、真面目に聞いています、という表情を作る。それがどこか可愛らしい。
「覚えておいてほしいことがあるの。できるかな?」
「うん、できる!」
にこりと笑った顔はどこかお姉様を思わせる。
「うん、いい子ね。あのね、まずは自分の身を守るための道具を教えてあげる」
「みをまもる……?」
「そう、こわーい人にやられないようにするための道具があるの。場所を覚えておいて」
「うん」
「いい? 誰にも教えてはいけないの。約束できる?」
指切りげんまんだろうか。姫巫女が小指を差し出すと、オリヴィアもまた、その小さな小指をそっと絡めた。
「約束する! 誰にも教えない」
「うん、えらいえらい。オールディス家のお屋敷には地下があるの」
「ちか?」
「そうよ。いつも使っているホールとか玄関とかあるでしょう。あれよりも下にまだお部屋があるの」
「すごーい!!」
目をキラキラと輝かせた彼女に、優しく微笑みかける。
「それでね、怖い人から身を守る道具はそこに置いてあるの。ただ、ちょっと特別な仕掛けになっていて、簡単には入れない」
「そうなの……? オリヴィアも入れない?」
「ううん、入れるよ。入り方を教えてあげる。まず、お父様の書斎に入るの。それで、奥の方に本棚があるでしょう? 一番下の段の本を全部引っ張り出すと、小さな白いくぼみがあるの。そこに、ほんの少しだけ血を垂らすと、地下に続く階段が出てくるの」
姫巫女の話を楽しそうに聞いていたオリヴィアから、だんだんと怯えの表情が出てきた。血が苦手なのだろう。
「血……?」
「そう、こう針とかでちくっと」
「オリヴィア、血、こわい」
「そうね。怖いわね。だから、これはどうしても必要になったときのお守りなの。使わなくて済むなら、その方がいいわ」
よしよしと彼女が頭を撫でてやれば、子供特有の柔らかな髪がふわふわと揺れる。その様子をすぐ横でしゃがみこんでいる侯爵が微笑ましそうに眺めていた。
「それからね、もう一つ」
「まだあるの?」
「うん、もう一つ覚えておいてほしいの」
少し泣きそうな表情にも見える微笑みを浮かべた姫巫女は、少しの間黙り込んだ。
「……おかあさま?」
「大丈夫よ。あのね、ちょっと難しいお話だから、今はわからなくてもいいの。オリヴィアが大きくなるころにまた話すから。いい? 今から話すのは両国が手を取り合いたいと思ったときのためのものよ」
姫巫女の話している両国がどこを指しているのかわからないオリヴィアは、キョトンとした表情を浮かべて、それでも場の空気を読んでいるのか、静かに話を聞いている。
「エルデ王国のお城わかるかな?」
「うん、わかる」
「お城にいくつか石碑があるの。そこにね、同じようにオリヴィアの血を垂らすの」
「また血……」
しょんぼりとした様子のオリヴィアを慰めるように、今度は侯爵が彼女の頭を撫でた。
「でもね、石碑は地下室と違って、オリヴィアの血だけじゃだめなの。もう一人、それもエルデ王国民の血が必要なの」
「エルデ王国民? オリヴィアもエルデ王国民だよ?」
「……そうね」
今は説明するべき時ではないと判断したのか、姫巫女は若干の間をもって頷いた。
「それでね、その人はオリヴィアと同じように両国が手を取り合うことを望んでいる人じゃないといけないの。二人の血を石碑に垂らしたうえで、石碑の文章を読めば、効果を発揮するのよ」
「……?」
「まだ難しかったね。今はわからなくてもいいのよ。でも覚えておいて」
優しく微笑む彼女につられて、オリヴィアもにこりと笑った。姫巫女は立ち上がると、すぐ後ろに控えていた侍女の方を振り向いた。
「少し肌寒くなってきたわね。オリヴィアを部屋に連れて行ってくれるかしら」
「かしこまりました」
「えぇー、オリヴィアまだ外にいたい」
「だめよ。風邪をひいてしまうわ。また明日お外に出ましょう」
しゅんとしてうつむいたオリヴィアの背中を優し気な侍女がそっと押す。
「オリヴィアお嬢様、お部屋でお茶をご用意いたします。本日のお菓子は、お嬢様のお好きなクッキーですよ」
「ほんとう!?」
先ほどまでの表情が嘘のように、今度は明るい笑顔で、侍女と手をつないで屋敷へと戻っていく。彼女たちが屋敷の中に入ったことを確認して、姫巫女と侯爵は向き合った。
「古代遺物の効果を説明しなくてよかったの?」
「今のオリヴィアには少し難しいと思って……。それに、あれを使ったからといって、両国の関係が良好なものになるとは言えないわ。あくまでその手助けになるかどうか……。最悪の場合は、別の技術を発展させて戦争なんてこともあり得るわ」
「それでも、古代遺物を無効化できるのであれば、一時的には戦争は止められるんじゃないか」
「そうね……。どちらにしても使わないで済むことを願うしかないわ」
彼らが話しているのが、エルデ王国の城のあの古代遺物であることに気が付いて、その内容について考えようとしたところで、足元がぐらりと揺れた。バランスを崩して地面に倒れこみそうになるが、その地面すらも闇へと飲み込まれていく。
だんだんと遠くなる意識の中で、その古代遺物について考えを巡らせる。彼らの言葉から推測するに、あの古代遺物の効果はきっと――。
夢の中で意識を手放すのと同時に、現実世界での意識が浮上していく。まさに水面へと向かっていくような感覚に身を任せていれば、やがて、外の音が耳へと入ってきた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は明日投稿予定です。




