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意識が浮上したことで、目を閉じていても明るさを感じる。夢から覚めたのだと、そう感じるのと同時に、人生で何度か感じたことのある漠然とした寝坊した感覚に、冷や汗がだらだらと流れ始める。慌てて起き上がろうとすると、目の前に覗き込んできていたクリフの頭があり、危うくぶつかりそうになった。
「きゃっ!」
「うわぁっ!」
お互いに反射的におでこを手で覆う。幸いなことに、ぶつかる前に回避することができた。
目をぱちぱちと瞬かせて彼をみれば、彼もまた同じようにこちらを見下ろしている。ついおかしくなって、吹き出すと、クリフもまた小さく笑い声を漏らした。
「ノックしても返事がないし、なかなか起きてこないから具合が悪いのかと思ったよ。ただの寝坊?」
「申し訳ありません。そうです、ただの寝坊です。すぐに障壁を張り直しますね」
そこまで話してから、自分がランドルフ様の上着を抱えたまま眠りについていたことに気が付く。クリフはさっさと部屋から出て行ってしまったようで、静かな部屋には私一人が残された。
自分の服と比べてかなり大きなその上着を手に取り、しばらく眺める。少し試してみたいことがあるが、今はそれよりも障壁を張り直さなければならないことに気が付いて、慌てて布団から抜け出した。
聖職者用の服を取り出して、すぐに着替えると、適当に髪をまとめる。その間にまた轟音が響いた。そういえば、眠っている間は轟音が響いていた記憶はない。深く眠っていたことで気が付かなかったのか、それとも、本当に攻撃自体がなかったのか、どちらなのかはわからない。後者であることを願いながら、急いで礼拝堂へと向かう。
早足で歩いていると、少し嬉しそうな顔をしたクリフがこちらへと向かってきた。
「障壁を張り直したら、少しお話ししましょう」
どうやら、何か良い報告があるようだ。戦争が始まってからというものの、暗い知らせばかりで気がめいっていたため、少しうれしく思う。微笑んで頷き、そのまままっすぐに進んだ。
私が礼拝堂への扉を開けると、既に中で掃除をしていた聖職者の女性たちが、一斉にこちらを振り向いた。今日は寝坊したことでいつもよりも遅くなってしまったため、そのように振り向かれてしまうと、恥ずかしく感じる。できるだけ端の方を歩いていこうとすると、何故か彼女たちはこちらへと小走りで近づいてきた。
何か緊急事態かと思って、足を止めてみれば、あっという間に囲まれた。しかし、私が危惧していたよりも、彼女たちの表情は明るく、むしろ、嬉しそうに見えた。先ほどのクリフといい、何か良いことが起こったようだ。
「姫巫女様」
「大変ようございました」
「私共も安心いたしました」
「え、えっと……?」
皆が口々によかった、よかったと言うものの、いまいち状況がつかめない。とりあえず、障壁を張り直してからちゃんと話を聞くと約束して、その場から離れ、いつも通りに神像の前へと跪いた。
いつ見ても美しい神像に、いつも通りに血を少し垂らして、祈りを捧げる。周りの皆の表情が明るかったこともあってか、これまでで一番前向きに祈ることができた気がする。
心なしか昨日よりも大きな光が現れたかと思うと、それらはステンドグラスを潜り抜けて、外へと飛んでいった。今日も問題なく、障壁の補強は出来たようだ。
そっと立ち上がり、壁に沿うようにしてそわそわとしている先ほどの女性たちのもとへと向かうと、すぐにまた周りを取り囲まれた。
「えっと、その、状況がよくわかっていなくて……」
「あぁ、まだ枢機卿からお聞きになっていらっしゃらないのですね」
「とても良いご報告ですよ」
「オールディス家の皆様は無事です」
ばらばらと話し出した彼女たちの言葉の中で、オールディス家という単語に耳が反応した。無事だという言葉が頭の中で処理されると共に、安堵から涙がジワリと滲む。一体どうやって助かったのかは謎だが、無事だというその言葉が聞けて、安心した。
「詳しいことはきっと枢機卿が教えてくださいます」
「姫巫女様、こちらのハンカチを」
泣いている私にハンカチを差し出して、優しく背中をさすりながら、クリフのもとへと促してくれる。外ではまた轟音が響き、依然として危険な状況が続いていることに変わりはないが、希望が見えたような気がした。
それにしても、普段は自領にいるはずのオールディス家が、突然始まったように思えた戦争の中でどのようにして身の安全を確保したのだろうか。お父様も、お母様も、どちらかと言えばおっとりとしているように思えるし、お姉様も前世の知識が豊富ではあるものの、どこか抜けている。とても彼らだけで逃げ出せるようには思えない。
首を傾げながら、クリフの待つ資料室へと足を向けた。
「とりあえず、できることは全部してみたけれども、不利なことには変わりないわね」
高い壁のその上に立ち、下を見下ろしながら話した人物のフードが、風にあおられて、隠していた頭をのぞかせた。きつく一つにまとめられたブロンドの髪が、強い風でバサバサと揺れている。その横顔は、はっとするほどに美しい。
「後悔してる?」
がっしりとした体格の男が、隣に立つ彼女にそう問いかける。ふと目線を上げた彼女の目は強い光を宿していた。
「いいえ、全く。可能性があるのならば、この命を懸けることさえも些細なことよ」
いつもの表情とは異なり、好戦的な笑みを浮かべた彼女に、男性の方が苦笑いをした。
「まさかあなたがこんなにも面白い女性だとは思わなかったよ」
「お褒めの言葉と受け取っても?」
「お好きなように」
二人が話している間にも、目線の先にある城の上では強烈な光が生成されている。徐々に光の強さを増し、大きくなっていく光の玉を冷静に見つめていたが、後ろから壁を上ってきた人物が、ひょいっと身軽に壁の上に降り立った。
「ちょっと、こんなところにいたら危ないですよ。二人とも、この場を取り仕切っているという自覚はあるんですか」
「ルセックの言う通りだ」
ルセックの後ろから壁を上り切ったランドルフが、ルセックの意見を肯定しつつ、三人の後ろに立った。彼の言葉を受けて、筋肉質な男は顎に手を置いて、少し考え込む。
「確かに今のところは領地への直撃を奇跡的に免れているけれども、あたる可能性は普通にあるな」
「しかも簡易古代遺物ということもあってか効果がかなり薄い。当たれば無事ではいられないぞ。この状況をどうするつもりだ」
無表情ながらも、その言葉には深刻さがにじみ出ている。
「まあ、当たったらみんなで地獄行きね」
にっこりと笑う彼女に、ルセックがため息をついた。
「結構肝が据わっているよね……」
「あら、お褒めの言葉ありがとう」
この場の空気は完全にこの女性が握っていた。どちらかと言えば、場の空気を握ることが多いルセックが押し黙る。その中でも気圧されることなく笑う男性は、彼女の方を見て口を開いた。
「まさか、妖精姫と呼ばれるリリアン嬢が、こんなにも豪胆とはね。本当に驚いたよ。ところで、地獄行きは確定なのか。天国ってことは?」
リリアンは微笑んだまま首を横に振る。この状況下でも、その動きは優雅で美しい。
「ないわね。だって、私はお母様に悪魔って言われたばかりだし、ランドルフ様とルセック様は妹を隣国に置いたままにして帰ってくるし、あなたも国を裏切っているのだから。死んだらもれなく全員地獄行き確定よ。地獄なんて本当にあるかどうかはわからないけれども」
きれいな顔からは想像がつかないような内容がつらつらと紡ぎ出される。彼女の言葉に思うところがあるのか、ランドルフとルセックは若干目を逸らした。
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次回は明日投稿予定です。




