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※残酷な描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
一度気を許してしまえば、あとは堕ちていくだけだ。
あれほど死を望んでいたのに、あれほど自分の罪を償おうとあがいていたのに、どうして人というのは欲が出てくるのだろうか。
拒否していた食事も、今は普通に食べている。この食事の出所がきれいなものだとは到底思えないが、そんなことすらも堕ちきった私にはどうでもよかった。
王家の狂信者たちは、生きる気力を取り戻したように見える私から、毎日少量の血を採取するようになった。私の血は特別だ。きっと何かに使われている。そして、彼らが使っているということは、それは多分碌なことでない。
最近頻繁に響く轟音と揺れがその証拠なのではないだろうか。戦争でも始めたのだろう。
「どうした」
「……外では何が起きているのですか。この音と振動は?」
目の前の赤い瞳が揺れる。
あぁ、嘘を考えている。最初に彼と出会ったとき、死にたい私に対して、無表情で無感情な声を浴びせながら、食事を強要するものだから、他の王家の狂信者のように、常人の感覚などないのだと思っていた。冷酷で冷徹、それが彼の第一印象だった。
でも違う。
無表情に見える顔だが、彼の目は意外と動く。動揺すれば揺れる。思った以上に豊かな感情を内に秘めていて、そして、王家の狂信者でありながらも、そのことを嫌がっているように見えた。
そう気が付いてからは、彼のことが嫌いではなくなった。この閉じ込められた小さな世界の中で、彼と少し言葉を交わす時間だけが私の癒しとなり、そして、欲が出たのだ。彼ともう少し話していたいと、そう思ってしまった。
そんなことが許されるはずがないはずなのにも関わらずだ。私のせいで多くの人々の命が犠牲になり、お姉様は生き地獄を味わい、さらに、おそらく今は戦争が起きている。私は小さな幸せであっても感じてはいけない。それが私の罰になるはずだ。そして、できるだけ早く死ななければならない。そう思っているはずだ。それなのに、どうしても彼に縋りたくなる。
「……最近、王子殿下が新たな実験をされると聞いていた」
迷った末に彼の口から紡がれたのは、そんな言葉だった。おそらく、嘘はつきたくないが、戦争であるということを私に伝えたくもなかったのだろう。やはり、彼はどこまでも優しい。王家の狂信者でありながらも人としての良心をなくしていない。
そんな彼にこんなことを言うのは酷だろう。
でも、他の誰でもない彼がいい。
「ねぇ、ランドルフ様。――私を殺して」
彼にこの言葉を放つのは、最初に出会ったとき以来だ。あの時は、彼もさして私に興味がなかったのだろう。簡単に突っぱねられて終わりだった。
今、目を見開いた彼は、そのまま固まってしまった。固まっているのに、瞳だけはゆらゆらと揺れている。
私が微笑みかければ、はっとしたように首を振った。
「だめだ。それはできない。君は生きなければならない」
「どうして? それは私が戦争の道具になるから?」
彼がそんなことを思っていないのは知っている。むしろ、彼がそんな私を憐れんでいることも知っている。
「ちがう、そうではない」
「じゃあ、どうして?」
微笑みかけたまま、もう一度問いかける。
私の視線に怖気づいたように目線を下げた。彼は、多分自己主張が苦手だ。自分の意見を押し殺して、感情も押し殺して、そうやって生きている。きっと窮屈だろう。
やがて、顔を上げた彼は、言葉を出すことをためらいつつも、そっと口を開いた。
「身勝手なことは……わかっている。……ただ、君に死んでほしくない。これは、ただの私の我儘で……私を置いていかないでほしい。……いや、忘れてくれ」
「いいえ、忘れない。ランドルフ様、私、考えたのだけれど」
「何だ」
「ランドルフ様も本当はずっと前から死にたかったのでしょう」
私の言葉に返事はない。でも、それが答えだ。
以前、私が眠る前に聞こえたような気がしていた声。あれは彼の声だったのだろう。
ずっと考えていた。彼のような優しい心を持つ人間が、王家の狂信者として生きているのが不思議で仕方なかった。全部推測だ。しかし、何か弱みを握られているとしか思えない。
「……死ぬことはできない」
「もしかして家族が人質に取られているの? 自死したら家族も殺す、とか」
「……」
ここまで推測が当たるとは、正直思っていなかった。うつむいてしまった彼の手をそっと取る。大きく、少し冷たい手。
私の行動に顔を上げた彼は少し油断していたのだろう。彼の腰から素早く短剣を抜く。驚いた彼が慌てて私の手を掴む。
「ランドルフ様、私を殺して。あなたに殺されるのなら、私はきっと幸せよ」
「だめだ」
少し震えた声を出した彼に笑いかける。
「大丈夫、置いていかないわ。私があなたを殺すから」
自死じゃなければ、きっと彼の家族も巻き込まれない。私の言葉の意味を正しく理解した彼の手が緩む。私もそっと手を下ろす。
「……痛いぞ」
「覚悟の上です」
「そうか。ならば、君が先に刺してくれ」
「同時ではなく?」
「今は短剣がそれしかない」
「わかりました。それでは、失礼いたします」
ただの令嬢の私は短剣の持ち方すらも知らない。何回か持ち方を試行錯誤して、そうして、その切っ先を彼の胸に向ける。
バクバクとなる心臓がうるさい。目を瞑り、数回深呼吸をする。
迷えば、彼が無駄に苦しむ。一思いに、短剣を前へと突き出した。柄から彼を刺した感触が伝わってくる。肉を切り裂いて中へと進む感覚に、怖気づきそうになるが、そのまま勢いに任せて奥まで差し込む。
「っ……」
彼が小さく呻き、体をこわばらせた。差し込んだ短剣から手を離せば、ややゆったりとした動きで彼がそれを握りしめ、また小さく呻きながら引き抜いた。ボタボタと血が垂れて、彼の白いシャツは一気に赤く染まった。
「ミルドレッド」
ささやくような声で私に呼びかけたかと思えば、ぎゅっと抱きしめられる。それと同時に鋭い痛みが胸を貫いた。熱い。苦しい。息ができない。
彼が短剣を抜いたのは感覚で分かった。ドクドクと自分の中から血液が流れだしていく。抱きしめてくれているランドルフ様に縋りつくようにして、それでも彼がおいた短剣に手を伸ばす。彼が自死だと思われてはいけない。何とかそれをつかみ取り、そして、私たちは倒れた。
焼けるような痛みに反して、頭はぼんやりとしていく。胸は厚く感じるのに、手足の先は冷たくなっていく。もう、考えることもできなくなっていく。
「ラ……ドル……さ……ま、ありが……と……」
私たちは、やっと解放されるのだ。痛みの中で、穏やかな気持ちになっていく。
「……あ……り……とう……」
もう何も見えない。何も聞こえない。穏やかな闇だけが、私たちを包み込んでいく。
お読みいただき、ありがとうございます。
遅れてしまい、申し訳ありません。
次回の投稿ですが、少し立て込んでいるため、土曜日とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。




