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目を開けようとして、思うように開かないことに気が付く。意識がまだ現実に戻り切っていないぼんやりとした頭のまま、その理由を考えて、ゆっくりと手で瞼をこする。
そうして、もう一度目を開けてみれば、いつもよりも重く感じるものの、視界が戻ってくる。視界に入ってきたのは、皴の寄った白いシーツ。それを握りしめている右手。もう片方の手は先ほど目をこすったため、すぐ目の前にある。
ベッドの上に転がるようにして寝ていたことに気が付いたのと同時に、寒さにぶるりと身を震わせた。
少しだるい体を何とか動かして、上体を起こしてみれば、掛け布団をかけずにベッドに転がっていたことが分かる。いくら室内とはいえども冬の夜に布団もかけずに寝てしまえば冷えるのは当たり前だ。幸いにも上着を着たまま眠っていたようだが、どうして上着を着ているのだろうか。
肩に手を当てると、パサリと何かが滑り落ちていく音が静かな室内で響いた。後ろを見てみれば、肩から滑り落ちたであろう布が見える。
「これは……」
ランドルフ様の上着だ。
少し痛む頭を手で押さえながら、もう片方の手で上着を持ち上げる。そこまでして、やっと働いてきた頭が先ほどまでの出来事を思い出させる。
「あぁ、そっか。私……」
ランドルフ様にミカニ神聖王国に残るように言われて、そのまま、私の感情と誰かの感情がごちゃごちゃになって、そして、多分そのまま泣いて寝てしまった、といったところだろうか。頭が痛いのも泣きすぎて水分が不足しているせいだろうし、瞼が重く感じたのは腫れているからだろう。
侍女が事前に用意してくれていた水差しを見つけて、コップに注ぐ。透明なコップに水が軽快な音をたてながら注がれていく。飲んでみれば、キンと冷えており、頭に響く。
「私は……姫巫女様の感情と自分の感情が混ざって……」
どうにもここにいると、自分の感情ではないものが流れ込んでくる。比較的冷静に思考ができる方だと思っていたのだが、大教会に来てからは姫巫女様の感情に影響を受けている。しかも、それが全くの別の感情であるだけならともかく、感情によっては、私の感情を増幅させるようなものもある。
すべてではないが、姫巫女様の記憶や感情がかなり私にも共有されている状況だ。その記憶や感情は日に日に増えていく一方だ。そのうち、姫巫女様の記憶そのものが共有されるのではないだろうか。
「いや、そうしたらむしろ、古代遺物の謎が解けるかもしれない」
エルデ王国の城の古代遺物は姫巫女様が作った可能性が高いだろう。そうであれば、姫巫女様の記憶をすべて共有しきったとき、その謎も、使い方も、目的もすべてわかるのではないだろうか。
それと同時に、そこまですべて共有したときに、私は私でいられるのか、という不安もよぎる。今でも、姫巫女様の感情が流れ込むことで、私が私でないような感覚に陥るときがある。記憶だけ見ることができれば一番良いのだが、調整できるものでもない。
それよりも、今考えなければならないのは、明日の朝のことだろう。いや、もう朝になりかけているのだろうか。暗いと思っていた窓の外を見遣れば、僅かに明るい。近づいてみれば、街の向こうの地平線に、光が見え始めている。そろそろ夜明けだろう。
ランドルフ様には、ミカニ神聖王国に残ってほしいと言われたが、これを最終的に決めるのは、私だ。ランドルフ様に言われたからという理由で決めてしまっては、選択の責任を他人に押し付けることになってしまう。
「……きっと、どちらを選んでも後悔する。だから、私は――」
結論を出そうとした瞬間に、荒々しく扉をノックされた。夜明け前に随分と荒々しいノックをするのだな、などと思いながら入室の許可を出せば、意外なことに息を切らして扉の前に立っていたのはクリフだった。
「本当に、いた……」
彼は、私を見ると驚いたように目を見開き固まった。数秒そうしていた彼は、はっと我に返ると、ずんずんと部屋の中に入ってきた。
「残ることにしたの?」
「え?」
完全にいつも通りのクリフの口調に戻っているようではあるが、それよりも、彼の言葉の意味が分からなくて首を傾げる。そうすると、なぜか目の前のクリフも首を傾げた。
「え、だって、ここにいるってことは残ることにしたんじゃないの?」
「いえ、あの、私は……まさか」
「ちょっと待って、どうしたの!?」
クリフの疑問を無視して、勢いよく立ち上がり、部屋の外へと出る。廊下を軽く見回してみるが、いつもであれば待機しているはずのエルデ王国の護衛や侍女の姿が見当たらない。
嫌な予感に寒いはずなのに汗がたらりと額を流れる。
私を追いかけてきたクリフを振り切るようにして、今度はランドルフ様が滞在しているはずの部屋へと駆けていく。寝間着のまま駆けていることなど、この際どうでもよい。
軽くノックをして、返事を待たずにドアノブをまわして部屋へと入る。
目に映ったのは、きれいに整えられたベッドだった。誰かがいた痕跡すらないくらいにきれいに整えられた部屋。荷物も、埃の一つも何もない。
呆然と立ち尽くしていると、後ろから追いかけてきていたクリフが追い付いたようで、私の後ろで息を切らしている。すぐに呼吸を整えた彼は、私を気遣うような目線を向けてきた。
その目線ですべてがわかってしまう。
「あ……あぁ……ぅ……」
その場にずるずると崩れていく。慌ててクリフが私を支えてくれなければ、膝を床に強打していただろう。ゆっくりと床に崩れ、両手で顔を覆う。ぽたぽたと、指の間から涙がこぼれていく。
「どうして置いていくの……」
私は置いて行かれたのだ。誰一人、エルデ王国の人間が見当たらない。誰一人だ。そして、この綺麗に整えられた部屋。
私が知らない間に、全員帰ってしまった。そして、推測が正しければ、私はおそらく帰れない。ここにクリフがいるのが答えだ。
全部ランドルフ様の手のひらで転がされていたのだ。ルセック様はおそらくランドルフ様に話を合わせていた。そうしてしまえば、彼の命すらも危ういというのにも関わらずだ。
多分全容はこうだ。
二人は最初から私をエルデ王国に戻す気はなかった。私がエルデ王国に帰ったところで、戦争状態に陥っているため、姫巫女の血を利用するために理不尽な扱いを受けるから、といったあたりが理由だろうか。
ただ、そのことを私に伝えたところで、私が素直に応じるかはわからなかった。オールディス家が人質に取られているためだ。そこで、彼らは、私がミカニ神聖王国に残らざるを得なくする方法を考えた。
私に悩む時間を与え、悩んでいる間にこっそりと全員がエルデ王国に帰る。そのために、私には本来のタイムリミットよりも長い時間を伝える。それが今朝だったはずだ。そうして、それよりも前に護衛も侍女も引き上げる。
これだけでは、まだ私が帰ろうとする可能性はあった。
遠くで響いていた足音が近くなってくる。さすがに泣いたままというわけにもいかない。ごしごしと雑に涙を拭いて、クリフを振り返る。
「この顔では、そして、この格好ではさすがに姿を見せられません。扉を閉めて、扉越しでも問題ないでしょうか」
「……もちろんです」
枢機卿らしい言葉遣いに戻った彼は、痛ましいものを見るかのように、眉を寄せている。そっと彼が扉を閉めるのと同時に高めの声が響いた。
「ミルドレッド様がお残りになるというのは本当かしら!?」
「えぇ、本当ですよ。ただ、まだ準備が整っておりませんから、お話をなさるのであれば、こちらの扉越しに」
「ミルドレッド様!」
声の主はライラ殿下だ。
「はい」
「残ってくださると、先ほどエルデ王国の一行から聞きましたの。迷いもあったでしょうに、そのように決断していただけてうれしい限りですわ。窓の外をご覧くださいませ。その一方を聞きつけた街の人々が、近所の人に伝えて、その人がまた伝えてを繰り返したのか、大教会前に皆様集まっておりますのよ」
言われた通りに窓に近寄ってみれば、ミカニ神聖王国の国旗らしきものをパタパタと振りながら、喜びの声を上げている人々が大勢押し寄せてきていた。ああ、やはり、逃げられない。こうなってしまっては、エルデ王国になど帰れるはずもない。
ライラ殿下やクリフに、私が残ると伝えたのは絶対に故意だ。私が帰れないようにするためにそうしたのだ。
「……共に歩むのではなく、私を守ろうとしてくださったのですね」
ぽつりと口から出たのは、そのような言葉だった。
ランドルフ様は、最後まで私を大切に扱ってくれたのだ。ただ、やはりそれは私が彼に向ける感情とは別だ。私が年少者だから、私が婚約者だから、できるだけ安全な道を進ませようとしたのだ。私と同じ感情を持っているのであれば、共に歩もうとしたのかもしれない。
これでは、何もかもが姫巫女様と同じ結末だ。いや、邪険に扱われていないので、姫巫女様ほど悲惨ではない。ただ、愛する人と共にいられないというその点では同じだ。
フルフルと頭をゆっくり振る。
いつまでも落ち込んではいられない。私にはやらなければならないことがある。こうなってしまった以上は腹を括るしかない。私にできることを私なりに精一杯やらねばならない。
「お父様、お母様、お姉様、それからルセック様……ランドルフ様。どうか、ご無事で」
護衛対象のはずの私をミカニ神聖王国に置いてきたとしてルセック様が罪に問われないか心配ではあるが、こればかりはもう確かめようがない。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は日曜日に投稿予定です。
ゲームの正規ストーリーの話の予定です。




