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予定よりも一日遅れてしまい、申し訳ありません。
再びぐらりと視界が歪む。足元が崩れていくような感覚に陥りながらも、二度目ということもあって比較的落ち着いて次の状況を待つことができた。
想像の通り、一瞬闇のまれたように視界が真っ暗になったものの、次の瞬間には場面が変わっていた。先ほどの城の廊下ではない。ここはどこだろうか。
周りを見渡してみれば、小さな花が沢山咲いていた。淡い色合いの花ばかりだ。薄いピンクに水色、紫色のものもある。どうやら庭園のようだ。
可愛らしい花に気を取られていると、すぐ近くで悲鳴にも似た悲痛な叫びが聞こえた。その声の高さから考えて間違いなく女性だろう。
私の姿が見えないことはわかっていても、何となく気が引けてしまう部分もあり、半ば隠れるようにして、進んでいけば、生け垣の向こうに男女の姿が見えた。
「あれは……」
目を凝らして見てみれば、月明かりに照らされているのは、初代国王陛下と姫巫女様だった。周りをちらりと見てみるものの、人影はない。彼ら以外に誰もいないというのならば、先程の叫びは姫巫女様のもだろう。
「どうして、どうしてそんなことを言うの」
「わかってくれ、ライラ」
「嫌よ!」
目の周りを赤くはらしながら、姫巫女様は首をゆるゆると振った。それと同時に、私の中に私のものではない感情がどっと押し寄せてきた。
深い悲しみ、寂しさ、どれも今の私には関係がないはずなのに、どうにも涙腺がいうことを聞いてくれない。勝手に涙がこぼれ、胸がきゅうっと痛くなる。
きっとこれは今の姫巫女様の感情なのだと理解してはいるものの、思考よりも感情に飲み込まれていく。彼女が悲痛な声で何かを訴えるたびに、私の中でも胸がチクチクと痛み、はらはらと涙が流れていく。
「君を城に置いておけないんだ」
「嫌よ、嫌。ねぇ、嘘だと言って」
「……すまない」
泣いている姫巫女様に対して国王陛下は淡々と言葉を紡ぐ。謝罪の言葉の前に、一拍間が空いたものの、声色は変わらない。無機質な声で謝ると、まだ泣いている姫巫女様を慰めることもなく、くるりと背中を向けて歩き出した。
慌てて姫巫女様がその腕をつかんだが、国王陛下は、ちらりと彼女のことを見ると、すぐに視線を前に向けた。そして、彼女の腕を躊躇なく振りほどき、再び歩き始めた。その歩みに迷いはない。スピードを緩めることなく歩いていく彼を見て、呆然としていた姫巫女様は、すぐに我に返った。
「あ……どうして……。どうしてなの。ねぇ、二人で約束したでしょう。エルデ王国を豊かにしたいって言っていたのに、ミカニ神聖王国とも友好関係を築きたいと言っていたのに……あれは、嘘だったの……?」
最後は消え入るような声で呟いた彼女は、その場に崩れ落ちた。それと共にどうしようもないほどの悲しみが私の中に流れ込む。つらい。胸を掻きむしってしまいたくなるほどの深い絶望。すべてが灰色になっていくような錯覚に陥る。
行かないで。行かないで、エリオット。私を一人にしないで。あなたと共に歩むと決めたのに――。
「……レッド。ミルドレッド!」
激しく揺さぶられながら、声をかけられいることに、はっと気が付いた。ぼやける視界の中に見慣れた黒髪が見える。パチパチと目を瞬けば、すぐに焦点が定まり、ランドルフ様がこちらを心配そうに見下ろしているのが見えた。
先ほどまでの感情が、まだ私の中で渦巻いていて、現実と夢の中の世界の境界がまだあやふやだ。周りを見渡して状況確認をするよりも、ランドルフ様がそこにいるという安心感を得たくて、抱えてくれていた彼に縋りつく。
「どうしたんだ」
私の行動に驚いているのか、いつもよりも感情の籠った声で問いかけられる。その声がどこまでも優しく、甘やかされているようで、ぽろぽろと涙があふれた。
その様子にぎょっとしたのか、ランドルフ様があたふたとして、心配そうに頭を撫で始めた。
「どこか痛むのか。寝ている間に何かあったか」
「……夢を見ました。昔の、私たちが生まれるよりも前の夢です。最後の姫巫女様の記憶のような夢を見ました」
私のことをじっと見たランドルフ様は何かを考えるかのように、目線をさまよわせた。聞きたいことを整理しているのだろうか。しばらくして、口を開いた彼が問いかけてきたのは、私にとってはいささか意外な事柄だった。
「……それは、その、泣くほど怖い夢だったのか」
きっと別のことを聞きたかったはずだろう。姫巫女様の記憶を夢で見るとはどういうことか、などが一番聞きたい事柄のはずだ。
しかし、彼は迷った挙句、私を心配してくれているともとれるような質問をしてきた。どこまでも優しい人だ。
「いいえ、怖い夢ではないです。ただ、とても悲しい夢でした」
「そうか」
しばらくの間、私たちは黙って礼拝堂の床に座っていた。静かな夜だ。段々と、先程の夢が夢として私の中で薄れていき、感情も私のものへと戻っていく。先ほどの強烈な感情が姫巫女様の感情だというのであれば、あれを小さい頃に経験したライラ殿下はさぞかし恐ろしかったことだろう。
隣で確かに感じる温もりに、ランドルフ様が私のそばを離れて行っていないことを再確認して、ほっとする。私が姫巫女様の感情を体験したとき、あれは確かに姫巫女様の感情であったが、同時に私の感情も混ざっていたと思う。
きっとランドルフ様が私から離れていくようなことがあれば、私も姫巫女様のように悲しみによって引き裂かれるような思いをするに違いない。
「あー、もう二人とも風邪ひきますよ」
しっとりとした雰囲気だった礼拝堂に呆れたような声が響いた。後ろを振り返ってみれば、ルセック様が腰に軽く手を当てていた。
「……いつからそこに?」
「最初から。そもそもランドルフ様を呼びに行ったのは俺だし」
それもそうかと思っていると、彼はずんずんと近づいてきた。
「ほら、ミルドレッド様はまだ病み上がりでしょう。詳しい話はまた枢機卿も交えて明日話せばいいから、とりあえず休まないと」
はい、立った、立った、といった軽い調子で、私を立たせると、ランドルフ様におやすみなさいを言う暇もなく礼拝堂から追い出され、自室へと向かわされた。
しかし、彼の言うことも最もだ。もともと、私は室内を少しだけ歩くくらいならという条件付きで、自室から出してもらったのだ。病み上がりともいえる今は大人しく休んでおくべきだろう。
半ば押し込むようにされながら自室に戻ると、すっかりと温もりを失ったベッドにもぐりこむ。窓から差し込む優しい光を見ながら、先程の夢を思い出す。
途中で現れた庭園は、私が知っているものとはかなり異なっていたが、おそらく、姫巫女様の庭園なのだろう。今は、かつての姫巫女様の庭園はあまり手入れされておらず、寂れた雰囲気だが、最初はあれほど綺麗だったのだな、などと考えているうちに、ゆっくりと瞼が落ちていく。
あまり眠くはないと思っていたが、体が本調子でないからだろうか。ゆっくりと包み込んでいくような眠気に抗う気力もなく、そのまま眠りへと落ちていく。
行かないで。行かないで、エリオット。私を一人にしないで。あなたと共に歩むと決めたのに――。
意識を手放す前に頭をよぎったのは、姫巫女様の悲痛な心の叫びだった。
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予定よりも遅れてしまい、申し訳ありません。
次回は月曜日の投稿を予定しております。
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