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白い床、白い壁、白い長椅子に白い神像。この空間の中で色があるのは、ステンドグラスだけで、そこから差し込む色とりどりの光が床を彩る。
ふと自分がその場に立っていることを認識して周りを見渡してみるが、先程までの礼拝堂の様子と大きくは変わらない。異なるのは、差し込む光の強さだろうか。上を見上げてみれば、夜とは思えないほどに強い光が差し込んでいることを確認できた。
意識を手放した記憶があるということは、これは夢だろうか。はっきりと意識を持っているということは明晰夢というものなのかもしれない。とりあえず、礼拝堂の中を歩き回ってみようとして、ふと目を上げた先に、人がいることに気が付いて、慌てて端に寄った。
神像の前に跪いている女性は、私と同じくすんだ金髪の持ち主のようだ。
やがて顔を上げた彼女を見て、息をのんだ。その顔はお姉様と瓜二つだった。異なるのは瞳の色だけだ。髪と瞳の色は私と同じで、それ以外の見た目はまるでお姉様であるその人を見て、気が付いた。彼女はきっと歴代の姫巫女様のうちの誰かだろう。
彼女は神像の前から退くと、出口へと向かって歩き始めた。こちらへと向かってくる彼女が目を上げて、私と視線がぶつかった。気が付かれたのだと思ったのと同時に言葉が口から勝手に出ていく。
「初めまして、姫巫女様」
そっと腰を落として挨拶を始めた私の目の前を、何でもないかのように彼女は去っていく。一瞬、無視されたのかと思ったが、目線を上げて気が付いた。彼女は、私に気が付いていないのだ。それどころか、彼女以外にも神官はいるはずなのに、誰も部外者であるはずの私をつまみ出さない。
「……見えないってこと?」
それならば、と思って姫巫女様の後ろについて歩いてみるが、やはり、誰も私を気に留める様子はない。彼女の後ろをついて歩いていると、目の前で扉を閉められてしまった。それもそうだろう。誰にも私は見えていないのだ。
ドアノブをまわそうと手を伸ばしてみるが、触ることはできない。私の手がドアノブを通り抜けてしまう。まるで幽霊のようだ。しかし、これならば、扉をくぐることができるのではないだろうか。
手を伸ばして試して見れば、案の定、手はドアの向こう側へと消えた。これが幽霊の気分か、などと感動しながらドアを通り抜けてみれば、白い廊下の先に姫巫女様の姿が見えた。慌てて、その背中を追いかける。
彼女は一人の神官と話をしながら歩いているようだ。近づくにつれて、その声がはっきりと聞こえてくる。
「ライラ様」
心配そうな顔をして姫巫女様を見上げる女性の神官に対して、姫巫女様は困ったような、少し寂しさを感じさせるような形容が難しい表情をした。
「大丈夫よ。私はどこにも行かないわ。ミカニ神聖王国を放り出したりなんてできないもの」
「しかし……」
「ね、大丈夫だから」
眉を下げて笑う彼女に対して、神官は何も言えずに複雑そうな表情で黙り込んだ。
沈黙が落ちたと思ったその時、向かい側から、誰かが歩いてくるのが見えた。やや早歩きにも思えるスピードでこちらへと向かってきていた影は、一瞬立ち止まったかと思うと、小走りで姫巫女様のもとへと近づいてきた。
「ライラ様!」
キラキラとした笑顔を浮かべるその人は、まるでおとぎ話に出てきそうな王子様といった様子の見た目だった。銀色の髪は、さらさらと揺れて、白い建物の中でもその輝きを放ち、水色の瞳は透き通った水のようで、そして――恐ろしいほどにアイザック殿下に似ていた。
間違いない。きっとエルデ王国の王族の血筋の方だ。
「エリオット」
ふっと表情を緩めて、幸せそうに笑う姫巫女様を目の前にして、すぐに理解した。彼女は彼のことが好きなのだ。
エルデ王国の王族がここにいて、そして、その彼に対して恋心を抱いている姫巫女様。つまり、今、私の目の前で話をしている二人が、エルデ王国初代国王と、ミカニ神聖王国最後の姫巫女ということだろう。
「ライラ様にお会いできてよかったです。これを」
「……これは?」
差し出された小さな箱を受け取りつつ、不思議そうに尋ねた姫巫女様に対して、エリオット殿下は裏表の無さそうなきれいな表情で微笑んだ。
「街で見つけたアクセサリーです。とても綺麗なものでしたので、ライラ様に似合うのではないかと思い、勢いで購入してしまったのですが……。よく考えたら、この国の姫巫女様にお渡しするようなものではないですね」
「いいえ、嬉しいです。ありがとうございます」
大切そうに箱を手で包み込んで、胸の前で押さえる姫巫女様の頬はわずかに赤くなっていた。それを見たエリオット殿下も少し恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに笑っている。
少なくともこの段階での二人の関係は悪くなさそうで、むしろ、お互いに好意を持っているようにも思えるのだが、ここからどうして姫巫女様が冷遇されることになったのだろうか。
首を傾げかけたところで、ぐらりと視界と足元が歪んだ。
「わっ!」
声すらも飲み込むような闇に包まれて、思わず目を瞑る。グラグラと平衡感覚が崩れていくような感覚を味わうこと数秒、それが落ち着いたのと同時に、足裏に地面を感じた。
そっと目を開けてみれば、そこは大教会ではないものの、見知った場所だった。
「お城……?」
足元を見てみれば、何度も踏んだふかふかの赤い絨毯があり、周りを見渡してみれば、エルデ王国の城であることは明らかだった。
場面が変わったのだと理解すると同時に、すぐ近くでキンキンとした声が響いた。反射的に耳を手で塞ぎながら、そちらを見てみれば、プライドの高そうな貴族令嬢達と姫巫女様が立っていた。正確には、貴族令嬢達が姫巫女様を囲むような形で立っていた。
「いいこと? あなたはただのお飾りのお妃様なの。本来、その地位にいるべきは、こちらのマライア様だったのですから。それを横取りするような形で王妃の座に収まって……はぁ」
攻撃的なため息を一人の令嬢が落としたかと思うと、間髪入れずに次の令嬢が話し始めた。
「あらあら、嫌だわ。この方はお飾りですらなくてよ。だって、殿下が連れて帰ってきたのは、愛しているからではないという噂ではありませんの」
「その話、私も聞いたことがありましてよ。何でも、お隣のミカニ神聖王国では、不思議な力が使えるそうね。その力を利用するために連れて帰ってきたのでしょう?」
一方的にとげのある言葉を投げかけられ続けている姫巫女様は、一言も発することなく、その場で下を向いていた。その手を見てみれば、ぎゅっとドレスの布をに握りしめているのが見えた。
「何も言わないってことは事実なのではないかしら。殿下もあなたの部屋にいらしていないそうね。随分と軽んじられているのですね。おかわいそうに」
ふふっと笑った彼女は、全く姫巫女様に同情もしていない。見下したような目で彼女を見つめるばかりで、周りの令嬢たちもくすくすと馬鹿にしたように笑っている。
しばらくの間、姫巫女様を馬鹿にするような言葉を投げかけていた彼女たちは、満足すると、そのまま去っていった。その場に残ったのは、ドレスの布を強く握りしめてうつむく姫巫女様だけだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
突然の投稿延期で、お待たせしてしまい、申し訳ありません。
手の痛みはかなり引いてきましたので、次回の投稿は金曜日とさせていただきます。
よろしくお願いいたします。




