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王女殿下に手を取られて、促されるままに部屋を出る。私が勝手にうろうろと動き回っていいかと言えば、本来は駄目に違いないが、王女殿下のお言葉を無視するわけにもいかないだろう。
王族の圧倒的なオーラに寿命が縮みそうになりながらも、何とか笑顔は忘れずに、彼女について歩き始めたところで、後ろから知っている声が聞こえた。
「ライラ殿下、こちらで何をなさっているのですか」
穏やかな声に振り向いてみれば、ニコニコと微笑んでいるクリフが見えた。彼が敬語で話していることや聖職者として行動していることに対して、未だに違和感があるが、どちらが素なのだろうか。
「あっ、クリフォード! ちょうど良かったわ。今からミルドレッド様に姫巫女様についてお教えするところなのよ。ぜひ一緒に来て頂戴」
「……殿下」
明るい調子で話すライラ殿下と対照的に、クリフは困ったとでもいうように、人差し指で軽く自分のこめかみを叩いていたが、すぐに元の笑みに戻った。少し怒っている気がするのは気のせいだろうか。
「ライラ殿下、よろしいですか。ミルドレッド様に姫巫女様の歴史などをご紹介されるのは問題ありません。しかし、殿下、この時間に大教会にいるのは、いささかおかしいですね」
「それは……」
「家庭教師の目を盗んで抜け出してこられたのですか」
「……」
「ライラ殿下ともあろうお方が、まさかそのようなことはなさいませんよね」
「う、ふふ、まさか……そんなことするわけ、ないでしょう?」
クリフの穏やかな微笑みに対して、ライラ殿下のぎこちない笑い声が控えめに響く。しばらく笑ったかと思うと、ライラ殿下は、笑みを引っ込めて、冷や汗をかきながら私に向き直った。
「ごめんなさい。急用を思い出したわ。また来るわね」
「え」
私が別れの挨拶をする暇もなく、ライラ殿下は廊下の奥へと消えていった。殿下に対して中途半端に伸ばしかけていた腕だけが残る。仕方がないので、腕を下げて、後ろを振り向けば、クリフが穏やかな表情のまま立っていた。
「ライラ殿下とは何を?」
どうやら、教会内ということもあり、ほかの人に見られる可能性があるため、敬語のままのようだ。私は軽く首を横に振った。
「いえ、大したことは何もお話ししておりません。巫女姫様の条件について、教えてくださるとのことだったのですが」
「そうでしたか。よろしければ、私からご説明いたしましょうか」
「良いのですか」
「もちろんです。こちらへ」
ゆらゆらと揺れる彼の白い服を見ながら歩き出す。私にとっては違和感しかないが、敬語や聖職者としての振る舞いが板についている様子を見ると、むしろ、エルデ王国で私たちの様子を観察していたころの彼の方が幻か何かだったのではないかという気がしてくる。
そもそも、枢機卿という立場の彼が、何故直々にエルデ王国にまで赴いていたのか、また、下の者に任せればよいであろうに、私から本を奪おうとしたりしていたのは何故なのか、などという疑問が湧いてくる。何か理由があったのか、それとも、特に理由はなかったのか、どちらなのだろうか。
しばらく黙って彼の後ろを歩いていると、突き当りの部屋にたどり着いた。繊細な装飾が施された白い扉に見とれていると、彼がゆっくりとその扉を開けた。その瞬間、今まで白色だけの世界だった場に、鮮やかな色が落ちてきた。
「きれい……」
「それはよかったです。さぁ、中へ」
促されるままに踏み出した一歩先の床には、ステンドグラスから落ちた様々な色の光が輝いていた。鮮やかでありながら柔らかい色に心が弾む。床から目を上げてみれば、一番奥には、ピメクルス教の神様の像が飾られていた。ここは礼拝堂だろうか。
周りを見まわたしてみれば、壁には神話の一部を絵画にしたものが飾られていて、窓は色鮮やかなステンドグラスがはめられている。また、そのステンドグラスが絵になっており、その形は様々ではあったが、おおむね神の眷属や関係のある花などのようだった。
「お祈りをしていきましょう」
「はい」
言われるがままに神像の前へと進む。エルデ王国は一応ピメクルス教が国教となっているが、それほど礼拝の機会は多くない。失礼がないように、クリフの動きを真似て跪いた。ちらりと目線を上げてみれば、長いまつげを携えた美しい神の姿がそこにはあった。
そっと首を垂れて、手を組み、祈りをささげる。こういったときには何を考えればよいのだろうか。神社などと同じように願い事をしてよいのだろうか。目をゆっくりと閉じて、何を願うべきか考える。
個人的な願いはあまりふさわしくないだろう。そもそも、私は貴族の娘という立場のため、特に不自由はしていない。それならば、世界平和だろうか。少し安易だっただろうか。
起こるかはわからないが、ストーリー上で起きるとされている戦争について、祈ってみるのも良いかもしれない。
――どうか、何事もなく二国間の関係が良好になりますように。
≪えぇ、私も同じことを願っているわ≫
ふと、そう声が聞こえた気がして目を開けてみるが、目の前の神像の様子は変わりない。周りをきょろきょろと見回してみるが、クリフ以外に人影は見当たらない。それならば、先程の声は、私が勝手に作り出してしまった幻聴だろう。
「どうかされましたか」
クリフが不思議そうにこちらを見ていた。
「いえ、少し立ち眩みがしただけです。もう大丈夫です」
「そうですか。では、こちらへどうぞ」
礼拝堂の入り口近くにあった小さな扉を開けて招き入れてくれた。婚約者がいる私への配慮か、中には一人の女性の聖職者が控えていた。クリフも部屋の中に入ると、扉を閉めて、棚から何やら本を取り出し始めた。
こじんまりとしたその部屋も、やはり、ほかの部屋と同様に白色で統一されていたが、本があることで、色がある部屋になっていた。女性は、私を一目見たかと思うと、深く深く頭を下げた。慌てて頭を上げてもらおうとしていると、苦笑しているクリフが本を手にしたまま近づいてきた。
「ミルドレッド様は姫巫女様ではありますが、お生まれになってから今まで侯爵家のご令嬢としてお過ごしになられていました。過度な敬意は、ご負担になる可能性があります」
「……失礼いたしました」
クリフの言葉のおかげで、すんなりと顔を上げてくれた彼女は、私たちの近くでお茶の準備を始めた。クリフは、手にしていた本をテーブルの上に差し出してから座った。
「では、ミルドレッド様。姫巫女様の条件をお知りになりたいとのことだったと思いますが、合っているでしょうか」
「はい」
「それでは、お話しさせていただきますね。まず、こちらはご存じだと思いますが、一つ目の条件が王家の血を引くこととされています」
私が小さくうなずいたことを確認して、クリフは続きを話し出した。
「しかし、それならば、今もミカニ神聖王国には姫巫女様がいらっしゃってもおかしくないはずです。エルデ王国に嫁がれた姫巫女様がミカニ神聖王国最後の姫巫女様となったのには、一つ目の条件に加えて、いくつかの条件があったからです」
クリフの言葉を受けて、少し頭を働かせる。確かに、ミカニ神聖王国の王族の血が途絶えたという話は聞いたことがない。それにも関わらず、ミカニ神聖王国最後の姫巫女様は、エルデ王国に嫁がれた方であること、そして、その末裔のオールディス家に力が受け継がれていることを考えると、何かしら別の条件があるのだろう。
「姫巫女様がお生まれになる血筋は決まっております。王家の血を引いていますが、王家の直系ではありません。姫巫女様がお生まれになる家があったのです。そして、ただその血を引くだけではなく、女性であること、さらに、女の子が二人生まれた場合の次女にその血は受け継がれます」
エルデ王国の歴史で出てくる初代王妃様は、ミカニ神聖王国のお姫様だったという話から、完全にミスリードをしてしまっていたようだ。お姫様はお姫様でも、王家の直系というわけではなかったらしい。それならば、確かにミカニ神聖王国内で、その力が継がれなかったことにもうなずける。
「そのため、二人の女の子が生まれた際、次女であった方が姫巫女様になります。姫巫女様は、婿を取って家を継ぎます」
「女の子が二人生まれない場合もありますよね。その場合は、どういった決まりになっているのでしょう」
「はい。女の子が二人生まれることなく、男の子が生まれた場合には、その男性が家を継ぎます」
つまり、女の子が二人生まれた場合には、長男がいようと長女がいようと、次女が家を継ぎ、それ以外の場合には、長男、もしくは、長女が継ぐということだろう。エルデ王国の王家とオールディス家の古き誓約で、長女が王族へ嫁ぐというものがあるが、これも何か関係があるのだろうか。
初代王妃様だった姫巫女様が、その力が王家に流れることを危惧して、次女がオールディス家にとどまるようにと作った誓約だろうか。それは少し考えすぎだろうか。
「そのため、ミルドレッド様は、まさにその条件にすべて当てはまるお方ということです。姫巫女様の家の直系であり、現オールディス家の二人目のご令嬢であらせられた。そのため、特に巫女姫様のお力が強いのです」
「そうですか……」
以前、お姉様が私と同じように本に血を垂らして実験してくれたことがあったが、私よりも光が弱かった。気のせいかと思っていたが、どうやら気のせいではなかったらしい。
全く科学的ではないと思いつつも、そもそも古代遺物などという不思議なものが存在する世界で、今更、その身に流れる血が特別、次女であることが姫巫女の条件、といったことを否定する気にもなれない。おそらく、それで正しいのだろう。不思議なものだ。
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