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馬車の扉が開かれると、まぶしい白色に包まれて思わず目を細めた。どこまでも白いその場には、馬車の中から見るだけでも、かなりの人数の聖職者が並んでいることが確認できた。推測ではあるが、姫巫女の血を引く私を迎えるために並んでいるのだろう。
自分がそれほど大した人間でない自覚があるため、その光景に怖気づき、思わず目線を落としたが、目の前に手を差し出されたことで目線を上げてみれば、見慣れた赤い瞳と目が合った。安心感と少しの胸の高鳴りを感じながらも、その手を取る。
彼は、しばらくの間、私のことを観察するように見ていたが、最後にふっと笑った。久しぶりに見た素の笑みに赤面しそうになり、慌てて頭を軽く振った。この程度で雑念が消えるわけではないが、少しはましだろう。
その様子を不思議そうに見ていた彼を見て、微笑み返す。いつまでも馬車の中にいるのも不自然なため、手を借りて降りた。
そのまま目線を前に向けた瞬間、厳しい現実を見ることになった。先ほどまで朗らかな表情で、私の乗る馬車を見ていた聖職者たちは、厳しい表情をランドルフ様に向けていた。やはり、彼らはエルデ王国を許してはいないのだ。私の婚約者であるランドルフ様も例外ではないらしい。
周りを見回してみれば、少し離れた場所ではあるものの、後ろにルセック様が控えているのも確認できた。しかし、彼もまた、周りをミカニ神聖王国の王国兵たちに囲まれていた。これでは、一体誰が私たちの護衛なのかわからないほどである。
緊張しつつ、大教会へと目を向ける。やはり、近くで見てもエルデ王国の城と瓜二つだった。違うことは、白色であることくらいだ。この調子では、中の構造も似ているに違いない。
私が建物を観察していると、目の前にずらりと並んでいた聖職者たちが右へ左へと分かれ始め、やがて、一つの道ができた。彼らは出来上がった道の方向に頭を軽く下げた。何が起こるのかと、その道の奥に目を凝らす。
衣擦れの音と共に現れたのは、布面積の多い白い服を着た人物だった。
ゆったりとした動きは、一つ一つが洗練されており、浮かべる笑みは聖職者にふさわしいもの。やや小柄でありながらも、十分な威厳を持ち、その圧はすさまじい。彼の存在感は圧倒的で、思わず頭を下げたくなるような雰囲気を持ち合わせていた。
その人物の顔がはっきりと見えたとき、驚きの声を上げそうになったが、真顔のまま何とか抑えた私を誰か褒めてくれても良いのではないだろうか。
「お初にお目にかかります。ピメクルス教、枢機卿のクリフォード・スケルディングと申します」
クリフだ。私はエルデ王国で彼と何回も会っており、先程も会ったばかりだが、公式な場で顔を合わせるのはこれが初めてなわけで、初対面のふりをする必要がある。笑みが引きつらないように気を付けながら、ゆっくりと腰を落として、そっとカーテシーをした。
「お初にお目にかかります。オールディス侯爵家の次女、ミルドレッド・オールディスと申します。今回、短期の留学ということで訪問させていただきました」
私の挨拶を受けて、クリフは穏やかな微笑みを浮かべた。彼につられるようにして、後ろの聖職者たちも優しく微笑んでいる。
「同じく短期留学という形で訪問をさせていただいております。ブライトウェル侯爵家の次男、ランドルフ・ブライトウェルと申します」
ランドルフ様が話し出したと同時に、空気が変わったことをはっきりと感じた。ピリッとした空気に思わず肩を揺らす。殺意にも似た視線は自分に向けられたわけでないとわかっていても、反射的に体が動いてしまう。
その様子に気が付いたクリフが、軽く息を吐くと、後ろを振り替えて、片手を上げた。それと同時に聖職者たちの空気が緩んだ。私やお姉様が普段話しているクリフとは、まるで別人のような威厳に思わず感心してしまう。
「さぁ、長旅でお疲れでしょう。まずはお茶でもいかがでしょうか」
彼の言葉の真意を探るかのように、ランドルフ様がクリフをじっと見た。ここにたどり着くまでに、彼は一体どのような扱いを受けたのだろうか。
「ありがとうございます」
微笑んで見せれば、クリフも笑顔のまま頷いて、大教会の中へと招いてくれた。並んでいた聖職者たちの間にできている道を歩いていくと、彼らは、私には期待の類の目線を、ランドルフ様には、敵意を感じられる目線を向けてきた。
居心地が悪くなりながらも、仮にもエルデ王国の代表として派遣されている私たちが背を曲げて歩くわけにもいかない。できるだけまっすぐに背を伸ばして、何事もないかのように堂々と歩くことを心がける。
大教会の建物の内部に足を踏み入れた瞬間に、ひんやりとした空気を感じた。明らかに外とは空気が異なり、周りを見回してみる。中と外でそれほど気温が違うのだろうか。どこか清々しいような空気に首を傾げつつ、廊下を歩く。
エルデ王国の城とは異なり、ふかふかの赤い絨毯は敷かれていない。絵画や置物はあるが、それらはすべてピメクルス教に関連するものだった。神話の一部分を切り取った絵画に、眷属たちの石像。
一つの扉の前でクリフが足を止めると、その横を歩いていた聖職者の男性が、扉を開けた。
「こちらへどうぞ」
クリフに促されるままに部屋へと入る。
きれいに整えられているその部屋は、無駄な装飾は一切ない。白いテーブルに、白いソファー、壁も床も白で、唯一色があるものは、暖炉の中の火くらいではないだろうか。
腰かけたソファーのすぐ横で、火がパチパチと音を立てた。
すぐに目の前に紅茶が差し出された。カップも白色だ。出してくれた女性を見上げた。彼女も聖職者のようで、白い服を着ていた。
「ありがとう」
彼女は私の言葉に目を丸くしたかと思うと、次の瞬間には目を潤ませて深く頭を下げた。その行動にぎょっとしていると、クリフが苦笑いをしながら、彼女に声をかけた。
「お茶をありがとう。彼らと話すことがあるから、退出してもらってもよいかな」
「かしこまりました」
女性はクリフにも深く頭を下げると、すぐに部屋の外へと出ていった。扉が閉まったことを確認してから、困ったような笑みを浮かべて、私の隣に座るランドルフ様と、後ろに控えているルセック様を見た。
「私に何か聞きたいことがありそうですね」
クリフが敬語で話していることに違和感を覚えつつ、こちらが本来の彼の立場であることを思い出す。クリフの言葉の後に、数十秒の沈黙が続いた。
静かな部屋の中で響くのは、暖炉の薪が燃えていく音と、クリフが置いたカップのわずかな音、私が身じろぎした際の衣擦れの音。沈黙に耐えるのが苦しくなってきたところで、ランドルフ様が控えめに口を開いた。
「私が無知であることは重々承知しております。そのうえでお聞きしたいのですが、ミルドレッドが姫巫女と呼ばれていることについて、詳しく教えていただけないでしょうか」
「……驚きました。ランドルフ様は古代語を習得なさっているのですね」
クリフが驚いたのは嘘ではないだろう。エルデ王国では、古代語がほとんど使われておらず、習得するのは難しい。文献やその分野の専門家も十分とは言えない。
「古代語を理解されているのであれば、道中、嫌な思いをされることも多かったでしょう。私たち、ミカニ神聖王国民はエルデ王国に対して、あまり良い感情を持っていないですからね」
かなりオブラートに包んで話しているが、ランドルフ様が軽く顔をしかめたことからも、やはり、道中で酷い言葉を投げかけられていたようだ。それも、彼は、私の血筋の意味をほとんど知らないままに罵詈雑言を投げかけられたのだろうから、意味も分からずに混乱しただろう。
このようなことになる前に、しっかりと説明するべきだったと後悔した。
「ミルドレッド様、いいえ、オールディス家の方々の血筋のことについては、ご存じでしょうか」
「……彼女の血で古代遺物を扱うことができる、というのは伺っています」
「その血の意味については?」
「申し訳ありませんが、何も」
視線が下に向いたランドルフ様の向かい側で、クリフがこちらを向いた。目で、話しても問題ないか問いかけられたため、頷いた。
「オールディス家の方々は特別なのです。そのことが分かりやすいように、まずはミカニ神聖王国のお話をいたしましょう。我々の国は、ピメクルス教を中心に回っております。そのため、エルデ王国とは異なる部分があります。その一つが教会の重要度です」
そこまで話すと、彼は立ち上がって、近くの棚の引き出しから紐で綴じられた紙の束を取り出した。年季の入ったそれをテーブルに置くと、私たちの前に置いた。
「これは歴代の王族と、教会の上層部の記録です。王族については、このように家系図として描かれています」
前の方のページをペラペラと捲りながら見せてくれる。
「そして、こちらが教会の上層部の記録です。こちらは王族と異なり、世襲制ではありませんので、表形式で記録されています。主に枢機卿と各地の教会の責任者が記載されています」
聖職者の記録についても、先ほどと同様に見せてもらう。特に変わった点は無い。
「最後にこちらが姫巫女様の記録です。姫巫女様は王族と教会との橋渡し的な存在でした。その身に王族の血を引きながらも、お立場は教会側です。お生まれになられて、すぐに教会に属されます。姫巫女様は古代遺物を扱う力が強く、その存在を大変尊ばれます」
彼は、後ろの方のページを私たちに見せた。歴代の姫巫女の名前と、その両親の名前が記載されていた。
「次に、その姫巫女様の血が何故ミルドレッド様に流れているか、という部分です。その理由が、二国間の溝につながっています」
クリフは一番最後のページを開いて、一番下に記載されていた姫巫女様の名前を指さした。
「それには、ミカニ神聖王国にとって最後の姫巫女様が関係しています」
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