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「……どういう意味だ」
険しいまま片眉を上げて睨みつけるルセック様とは対照的に、聖職者の男性は微笑みを再び浮かべて表情を崩さない。
「どういう意味も何もそのままの意味ですよ。あなた方、エルデ王国民が一体どれだけの無礼をオールディス家の方々に働いてきたと思っているのですか。今更、ミルドレッド様の護衛だ、などと言われたところで、その言葉をどうやって信じればよいのですか」
「……?」
険しい表情は崩さずに、しかし、疑問の色を浮かべて、目線だけがこちらに向く。ルセック様が何か考えながら、こちらをしばらく眺めていたが、答えは出なかったらしい。おそらく、オールディス家がそれほど特別な存在だという認識が彼にはない。
その様子を眺めていた男性は、おやおや、とでも言いたげな表情を見せた。
「まさか、オールディス家の方々の本来のお立場すらご存じないのですか」
「本来の立場……?」
低い声はそのままだが、先程までのとげとげしさは言葉の端から感じられない。警戒よりも、疑問の方が上回ったのだろう。その横で、この会話が始まってから一言も話していないランドルフ様も、司祭らしき男性の次の言葉を待っているようだった。
「いえ、ご存じないのであれば、これ以上お話しすることはありません。私から言えるのは二つだけです。あなた方はオールディス家の方々へ数えきれないほどの無礼を働いてきたこと、そして、ミカニ神聖王国民はそれを許していないということです」
「待て、どういうことだ」
「長話を失礼いたしました。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。さあ、ミルドレッド様――」
「勝手に話を終わらせるな。そもそも、私はミルドレッド様とランドルフ様の護衛として同行している。その護衛対象を遠ざけるなど、国際問題に発展させる気か」
ルセック様の指が、男性の肩に食い込む。痛みがあるのか、やや眉を寄せた男性は、仕方のない子供を見るかのような目でルセック様を見上げた。
「あなた方こそ国際問題に発展させたいのですか」
「何を言っている。護衛対象を私から離すことの方がおかしいはずだ」
「いいえ、許可はいただいています」
「許可だと?」
「えぇ、あなた方の国の王族から、護衛対象と護衛を分けても問題ないと伺っていますよ。さすがに王族の方々は思うところがあるのでしょうね」
彼の言葉を聞きながら、私は心の中で首を横に振った。王族がその許可を出しているのは、私たちオールディス家に対する罪悪感からではない。オールディス家丸ごとが人質に取られている状態で、私がミカニ神聖王国に逃げる可能性が限りなく低いことや、姫巫女の存在を異常に大切にするミカニ神聖王国民が、私に危害を加える危険はないとみなしたためだろう。
一人で納得する私とは対照的に、ランドルフ様とルセック様は、王族の判断に呆気に取られていた。彼らに、その許可は伝えられていなかったのだろう。当人である私も今初めて知ったくらいだ。
「お分かりいただけましたか。今ここで争えば、国際問題に発展させるのは私ではなく、あなた方です。ピメクルス教の教えに則って、先程までの発言は聞かなかったことにいたしましょう。ミルドレッド様」
不安げな瞳を向けてきたランドルフ様に微笑みかける。心配はない、という意味を込めて、できるだけ朗らかに。
そのまま目線を逸らして、男性の後ろにつくと、歩き出した彼の背中を見ながら、教会の奥へと足を進める。
「……ミルドレッド」
わずかに震えを含んだ声に思わず足を止めて振り向いた。
「大丈夫です、ランドルフ様。ミカニ神聖王国の方々は、私に危害は加えないはずです」
「……」
私の言葉に対して返事は返ってこない。返ってくるのは、心配の色を含んだ視線だけだ。ルセック様は、男性の放った言葉の意味を考えているのか、険しい表情をしたままで、私の方は見ていない。
「ミルドレッド様」
後ろから再び声をかけられて、頷いた。まだこちらを見ていたランドルフ様にもう一度微笑みかけて、そのまま背を向けた。今度は呼び止める声もなく、私たちは、教会の奥へと進んでいく。どこまでも白い廊下をひたすら歩き始めた。
休憩地として立ち寄った教会で、聖職者たちから手厚い歓迎を受けたあの日から数日が経ち、私は快適な馬車の中でため息をついた。
広々とした馬車は、どこを見回しても抜けるような白。床も、椅子も、窓枠さえも白。馬車内に用意されていたクッションも白。おまけに、乗り降りする際に見かけた馬も白馬、御者の格好も白い服。
そのような一人分にしては広すぎるスペースの中で一人で景色を眺める。見える景色は、数日前と異なり、建物が増えてきていた。国の中心部に近づいてきているのだろう。
「こんなことになるなんて……」
部屋を分けられたあの日から、ランドルフ様とルセック様とは完全に別行動になっていた。正確には、同じ道を通ってはいるのだが、馬車は分けられ、宿泊する場所も建物は同じでも部屋の場所が離れていた。私の部屋の周りはなぜかミカニ神聖王国の王国兵で固められており、ランドルフ様やルセック様と接触は一切できない。
この調子では、ミカニ神聖王国の首都に到着した後も、別行動を覚悟しておいた方が良いだろう。
ミカニ神聖王国の人々は、私に対して驚くほどに親切だ。しかし、心は休まらない。彼らが私に向ける目は、好意的なものではあるが、私にそれを受け取る資格があるとは思えない。彼らが私に好意的なのは姫巫女の血を引く娘だからだ。
私は姫巫女様のように彼らを助けたこともなければ、この血を利用して人々を救うような偉業を成し遂げることもできない至って平凡な人間だ。そのような人間であることを自覚しているからこそ、彼らの視線は私には荷が重い。
「ランドルフ様たち、今頃どうしているかな……」
後ろを走っているはずの、彼らが乗っている馬車を思い浮かべる。ここ数日でよくわかったが、ミカニ神聖王国民のエルデ王国に対する感情は、私たちが思っていたよりも深刻なものだった。彼らは本気でエルデ王国、そして、エルデ王国民を恨み、憎んでいる。
二国間で、これほど国民感情に差があるとは思っていなかったので完全に予想外だった。エルデ王国民は、そもそも、オールディス家がミカニ神聖王国の巫女姫の血を引く家であることを知らない。現に、当事者であるはずのオールディス家の人間すら認識していなかったのだ。
そのため、彼らはミカニ神聖王国に対して、良くも悪くも強い感情を抱いていない。
それに対して、ミカニ神聖王国の人々は驚くほどに巫女姫の血がどこに継がれていたのかを理解している。そして、その経緯についても、中心部の人々だけにとどまらず、農村部の人々までが把握していた。休憩で外に出ていると、必ずと言ってよいほど、農民たちが周りに集まってきては、よくぞご無事で、と声をかけられるのが、その証拠だろう。
私には穏やかな表情を見せる彼らが、後続の馬車や護衛たちに険しい表情を向けているのを見るのも一度や二度じゃない。彼らに手を出せば、国際問題に発展するため、実害はないようだが、向けられる視線だけでも疲れるに違いない。
揺れがほとんどない馬車の中でクッションを抱えながら視線を落とす。自分の頼りない小さな足が見えた。ふと、その足元に光が新たに差し込んだのと、頬に風を感じたのは同時だった。
タン、と軽い音と共に、私のものよりは大きな足が見えた。
「やぁ、随分としょぼくれているね」
「……とうとう動いている馬車にまで乗ってくるようになったのね」
「お褒めの言葉かな」
ふざけた様子で笑うクリフを見上げる。
「褒めていないわ」
否定の言葉を紡ぎつつも、久しぶりに見知った顔を見たことで、思わず笑ってしまう。自分で思っていたよりも、知らない地で知らない人々に囲まれる状況にストレスを感じていたようだ。
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