54
「……ん」
意識が浮上して目を開けてみれば、部屋はまだ薄暗い。重みのある掛け布団に包まったまま、天井を見つめる。手を布団から出してみるが、つんと張ったような寒さに思わず手を引っ込める。
もぞもぞと布団の中で向きを変えて、うつぶせになり、そのまま上体を起こすが、布団を手放すことはできずに包まったままだ。自分が動く際に布団と寝間着が擦れる音だけが部屋の中に響く。軽く息を吐いてみれば、建物の中だというのに、白い息が吐き出された。
しばらくの間、考えていたが、どちらにしても布団は出なければならないと思いなおし、侍女が置いて行ってくれた上着に手を伸ばすと、そのまま布団を出た。
芯から冷やしてこようとするような重めの寒さが身を包む。慌てて上着を羽織っていると、小さな足音と共に扉がノックされた。
「どうぞ」
私の声に驚いたのか、慌ただしく扉が開かれた。
「申し訳ありません、既に起きていらしたのですね。すぐにご準備いたします」
彼女は、今日も三つ編みを揺らしながら、パタパタと動き出した。窓の外に目を向けてみれば、薄暗い空が見える。日は昇っているのだろうか。高い壁に阻まれて、その判断はつかない。それと同時に、この街の人々が日を見るのは、ほかの領地に住む人々よりも遅いことに気が付いて、何とも言えない不思議な気分になった。
「ミルドレッド様、こちらへ」
招かれるままに、化粧台の前の椅子へと座る。私のくすんだ金髪を機嫌よく梳かしながら、ニコニコと笑う。その笑顔を差し込んできた朝日が照らした。まぶしそうに目を細めながらも、彼女は変わらず私の髪を編んでいた。
舗装された道のおかげで、ほとんど揺れを感じることもなく、私たちは国境の領地を後にしようとしていた。特別に歓迎されているわけでもないが、邪険にされているというわけでもないようで、昨日の宿に泊まってから、今に至るまで、特に問題もなく過ごすことができた。
むしろ、知らない領主家の人々と話す必要がないことで、精神的には楽だったとすらいえる。
冬を感じさせる寒さは相変わらずだが、日が出たことで少し暖かく感じる。夏とはまた異なる柔らかな光に目を細めながら、風景を眺めていた。そして、迫ってくる高い壁を前に、少しの緊張と期待を胸にしていた。
あの壁を越えれば、ミカニ神聖王国だ。
馬車のスピードが徐々に緩み始めた。やがて停まった馬車のもとに、すぐに兵士や騎士が現れるかと思ったが、その気配はない。おそらく、先導している騎士たちの検問に時間がかかっているのだろう。国境をまたぐ際に、こちらの国とあちらの国、それぞれの検問を受けることになっている。
しばらく待っていると、軽快な足音が近づいてきて、ノックがされた。
「はいはい、どうぞ」
間の抜けた声でルセック様が答えると、ゆっくりと扉が開かれた。扉の向こうに見えたのは、エルデ王国の騎士だった。ピシッと背を伸ばしている様子は、脱力しているルセック様とは対照的だが、立場的にはルセック様の方が上だというのだから不思議なものだ。
「ランドルフ様、ミルドレッド様、ルセック様とお見受けいたします。大変申し訳ありませんが、検問にお付き合いください」
はいはい、といったようにルセック様がひらひらと手を振ったのをきっかけに、検問が始まった。ただ、検問とはいっても、私たちが王家から派遣されていることや、騎士団所属のルセック様がいることなどから、大したことはなかった。不審物が無さそうなことと、許可証を確認すると、すぐに礼をして去っていった。
その呆気なさに首を傾げる。
いつもよりも時間がかかっているため、てっきり検問で時間がかかっているのかと思っていたが、エルデ王国側の検問はそれほど時間をかけていないようだ。そうであるとすれば、ミカニ神聖王国側の検問で時間がかかっているのだろうか。
馬車がゆっくりと動いたかと思うと、再び停まった。今度はミカニ神聖王国側の検問だろう。しばらく待っていると、数人の足音が近づいてきた。控えめなノックがされると、先ほどと同じようにルセック様が気の抜けた返事をした。
「失礼いたします」
開かれた扉の向こうには、白を基調とした制服を着た男性たちが立っていた。おそらく、彼らがミカニ神聖王国の騎士たちだろう。彼らは、まず、鋭い目線を扉の近くに座っていたルセック様に向け、そのままランドルフ様へと向けた。そして、一番扉から離れている位置に座っていた私を見て、目尻を下げた。
『お帰りなさいませ、姫巫女様』
突然、古代語を投げかけられて、目を丸くした。すぐに平静を装って頷くが、ルセック様は訝し気に私と彼らを交互に見ていた。隣にちらりと目線を向けてみれば、ランドルフ様は、何か言いたげな目をして、こちらを見下ろしていた。
私よりも古代語が堪能な彼が、先ほどの言葉を聞き取れなかったわけがない。
私はまだ、彼にオールディス家の血のことについて詳しく話していない。そのため、困惑しているのだろう。おそらく、彼が聞きたいのは、姫巫女とは何のことなのか、などだろう。
「申し訳ありませんが、検問にご協力ください」
先ほどの言葉などなかったかのように、淡々とした口調でそう言った騎士は、数人で手分けをして馬車の中を調べ始めた。エルデ王国の検問よりも、明らかに厳しく、時間がかかっていたが、特に問題もなく、最後に許可証を見せることで入国の許可が出た。
後ろの馬車や騎士たちが検問を受けている間、馬車は動かず、待機しているが、その間もランドルフ様がこちらをちらちらと見ていた。聞きたいことがあるものの、ルセック様がいるために迂闊に口にできないのだろう。
どれほどの間、待っただろうか。
眠気と戦い始めたころ、ようやく馬車が動き出した。目の前に見えていた頑丈そうな扉がゆっくりと開かれていっているようで、馬車の窓から光が差し込み始めた。徐々に動き出した馬車の窓から、そっと外を覗く。
初めてのミカニ神聖王国。どのような街並みか、どのような文化があるのか、心が弾む。楽しんでばかりいられないことはよくわかっているが、それでも興味を止めることはできない。
門を潜り抜けて、まず目に入ったのは建物や道路の白さだった。真っ白な街並みは、日の光すらも反射してさらに輝いて見えた。あまりのまぶしさに、一瞬目を細めるが、徐々に目が慣れてきて、ゆっくりと開けてみれば、今度は多くの人々が目に入った。
彼らは、道沿いに並ぶようにして私たちを見ているようだ。先導しているであろう騎士たちに鋭い視線を向けていた彼らだったが、こちらの馬車に気が付いたとたんに、柔らかな表情へと変化した。
『姫巫女様だ』
『我が国に姫巫女様がお帰りになったぞ』
『あぁ……確かに姫巫女様だわ』
中には泣き崩れる者もいることに困惑しながらも、私に考える余地などない。馬車はスピードを徐々に上げており、すぐに彼らは見えなくなってしまった。
私自身は姫巫女ではないのだが、ミカニ神聖王国民からすると、その血を引くオールディス家の娘は特別なのだろうか。そして、姫巫女を奪ったエルデ王国を許すことができず、エルデ王国民全体に敵意を持っているのだろうか。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は日曜日に投稿いたします。




