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「ふふっ」
笑いをこらえることができない。私は、いつになく上機嫌に違いない。目の前の机の上には、本、本、本。何冊か積み上げられた本!
「最高の光景だわ」
うっとりとしながら、厚い本の表紙を手でなぞる。少し開いてみると、古い本の独特のにおい。最高である。やはり本は紙に限る。いや、別に電子書籍を批判したわけではない。あれはあれで便利で好きだ。だが、この何とも言えない本の感触が昔から好きなのだ。
後ろを振り返れば、ここ数日のうちにカーティスが与えてくれた本棚が目に入る。まだ、その棚は空だが、私の上がった口角が下がることはない。なぜならば、あの本棚は、これから本で埋まる予定なのだから。
カーティスは本を読みたいと言った私に対して、何冊かの本とともに、あの白い本棚を与えてくれた。そして、「気になる本を見つけたら買っていい」と許可をくれたのだ。もう最高すぎる。
先ほど開いた本の表紙を見てみると、『ピメクルス教の基礎』とある。ピメクルス教について、リリアンに尋ねてみると、乙女ゲーム『古代遺物と救国の少女』の世界で広く信仰されている宗教だと教えてくれた。実際、自国のエルデ王国民はピメクルス教徒がほとんどであるらしい。また、隣国のミカニ神聖王国は、ピメクルス教が国教であり、神に愛された国として有名なのだそうだ。
このことを知ったうえで、乙女ゲームのシナリオを振り返ると、不思議な点がある。ピメクルス教徒がほとんどのエルデ王国が、ピメクルス教の本拠地ともいえるミカニ神聖王国を侵略するのは違和感があるのだ。まあ、私の考えすぎであり、製作者がそこまで考えていなかったのかもしれないし、人間とは時に不可解な行動をすることも考慮して、そういったストーリーにしたのかもしれない。
2冊目の本のタイトルは『エルデ王国の歴史』。自国の歴史について知ることは必要だ。基礎教養といってもよい。3冊目は『植物図鑑』。題名の通りのようで、ぱらぱらとめくってみれば、可愛らしい植物の絵とともに植物の名前らしきものが記述されている。庭の植物と見比べながら読むのがいいかもしれない。4冊目は『神に愛された国』。おそらく、ミカニ神聖王国のことだろう。ストーリーにかかわってくるため、知っておくことは必要だろう。
今回、カーティスがミルドレッドに与えてくれた本は、この4冊のようだ。11歳のミルドレッドが読むにしては、少し難易度が高い本も交じっているように思われるが、実際に読むのは私だから問題ないだろう。何せ、転生直前の時点で大学生だったのだから。
椅子に座り、1冊目の『ピメクルス教の基礎』を手に取る。この国の宗教を知るのは重要なことだ。それは、別に悪役令嬢の運命を回避するためではない。単純に、人々の思考と宗教には、程度の違いこそあるものの、つながりがあると考えているからだ。この世界で、哲学的な考察をしたいのであれば、宗教史は避けて通れない。避けるつもりも元からないが。
本を開き、早速読み始める。まだ午前中だ。時間はたっぷりとある。
「――レッド、ねぇ、ミルドレッド」
肩に手を置かれたことで、誰かに呼ばれていたことに気が付いた。慌てて振り返ると、リリアンが立っていた。眉がよせられている。私が気が付かなかったことが不満だったようだ。
「ごめんなさい」
「もう、何度も呼びかけたのよ。それなのに気が付かないほど夢中になるなんて、本当に本が好きなのね」
少し呆れたような口調でそう言った彼女は、すぐに微笑むと首を振った。
「まあ、いいわ。それよりも、街に買い物に行かない? お父様から許可が出たの」
許可が出たのではなく、許可を分捕ってきたの間違いではないだろうか。ここ数日のリリアンの行動を見ていて何となく感じていたが、彼女はこうと決めたら、割と突っ走る傾向にある。
「街……ですか」
「そうよ」
オールディス侯爵家は裕福とも言えないが、貧乏でもない。ごく一般的な貴族の生活水準を保っている。わざわざ街に出て、服を買いに行ったり、アクセサリーを買う必要はないはずだ。必要な時に商人や針子をオールディス侯爵邸に呼べばよい。そうなると、何を買いに行くのだろうか。
「あら、服やアクセサリーは家に呼んだ商人や針子にお願いすればよいと考えている顔ね」
「えぇ……と、そうですね。そう思っていました」
「甘いわ」
「え?」
「既製品には既製品の良さがあるし、市場調査も必要よ。針子に衣装をお願いするにしても、デザインの方向性はある程度こちらで示す必要があるもの」
「なるほど」
一理あるような気がする。
「まぁ、それは口実に過ぎないんだけれども」
一理なかったかもしれない。
「でも、楽しいって重要でしょう。たまには息抜きも必要だもの。ほら、ミルドレッドも準備して」
「え、今から行くのですか」
「そうよ。ほら、街に出るから着替えて。あ、ちょうどいいところに! カミラ、ミルドレッドによそ行きの格好をさせて」
「かしこまりました」
「え、待って、まだ本が読み終わっていないのだけれど」
「ミルドレッドお嬢様、本は逃げませんよ」
「で、でも……」
「ミルドレッド、街に行くと古本屋があるわよ」
「行きます!」
苦笑いをしたリリアンは、支度が出来たら呼んでと言って部屋から出て行った。
カミラに鏡台前の椅子に座らされる。鏡の向こうに見える自分は、やはり地味顔。全体的に印象が薄い。化粧をすれば、多少印象も変わりそうだが、まだ11歳のミルドレッドは化粧をする必要がない。社交界デビューをするときまで化粧はお預けである。
くすんだ金髪を丁寧にブラシで梳かされ、ハーフアップにされる。カミラが器用に髪飾りを差し込んでくれる。今度は立たされると、クローゼットから取り出された薄紫色のドレスに着替えさせられる。派手すぎない色は、顔の印象の薄いミルドレッドとも相性が良いようだ。これが原色のドレスだったらと思うと、ぞっとする。
姿見の前でくるりと回ってみれば、ドレスの裾がふわりと舞う。軽めの生地のようで、街も歩きやすいだろう。そうこうしているうちに、カミラは部屋を出て行った。おそらく、リリアンを呼びに行ったのだろう。
しばらくして、パタパタと足音が近づいてくる。リリアンに違いない。基本的には淑やかにふるまっている彼女だが、私と行動を共にしているときに限っては気が抜けてしまうのか、少々令嬢らしからぬ行動をとることがある。そう、例えばこんな具合に。
「準備できた!?」
少し大きな声とともに、扉がバンと開かれた。私は、この世界の貴族のルールやマナーにあまり詳しくないが、おそらく、淑やかにふるまうのが正解だと思われる。つまり、今のような行動は令嬢らしからぬ行動だと思う。ほら、後ろのカミラが少し渋い顔をしている。
「はい、お姉様。ただ、扉はもう少しゆっくり開けていただけると助かります」
「あっ、ごめんなさい」
リリアンの後ろに控えているカミラには見えないだろうが、てへぺろ、といった具合に小さく舌を出す。美少女とは本当に何をしても美少女である。感激した。
「馬車はもう用意してもらったから、早くいきましょう」
さあさあ、と私の手を引いて玄関へと向かう。窓から廊下に差し込む光はまぶしい。ちょうど昼ぐらいなのだろうか。日差しが強い。
「ミルドレッドは、お腹は空いている?」
「はい、少し」
「それならば、街のカフェでお昼ご飯を食べましょう。そのあと服やアクセサリー、それから、ミルドレッドが楽しみにしている古本屋に行きましょう」
「楽しみです」
古本屋はもちろん楽しみだが、街自体にも興味はある。
「本日は、オールディス領の街と王都のどちらに向かうのですか」
リリアンに馬車に乗るように促されながら尋ねてみる。馬車の中は想像していたよりも広さがあるうえに、クッションも用意されていて、なかなか快適そうである。
「王都にしましょう」
後ろから乗ってきたリリアンが笑顔のまま答える。彼女が馬車に乗ったことを確認して、扉が閉じられた。どうやら護衛は馬車には同乗せず、後ろから馬でついてくるらしい。つまり、馬車の中はリリアンと私の2人だけとなる。
カタカタと馬車が動き出したことを確認して、リリアンは先ほどまで浮かべていた微笑みを消した。ついでに、ピンと伸びていた背筋も糸が切れたかのように崩した。そのまま、隣にあったクッションを1つ手に取ると、それをぎゅうぎゅうと抱きしめながら息を吐いた。
「はぁ、やっと2人になれたぁ……」
どうやら、普段の振る舞いはかなり無理をしているようだ。彼女のきれいな緑色の瞳がこちらを向いた。日の光に照らされていることで輝きを増したそれは、まるで宝石のようだ。
「あのね、今日、街に行くのは、もちろん息抜きでもあるのだけれど」
「ストーリーを改変できるか試す、ということですね」
「そう」
ミルドレッドも何となく察してはいた。先日、リリアンと乙女ゲームの内容について話した際に、次のストーリーはリリアンの王妃教育が始まってから、という話をしていたが、1人になってからよく考えてみると、その前に1つあったのだ。おそらく、リリアンの性格から考えて、うっかり忘れていただけだろうとは思っていたが、予想通りだったらしい。
「ごめんね、うっかり忘れていたんだけれど、私が王妃教育を受け始める前でも、もうひとつストーリーがあったの。ミルドレッドが馬に蹴られそうになって、それを私が助けるっていう話なんだけれど、覚えてる?」
「はい。街に買い物に出た際に、というあれですよね」
「そうそれ。そのストーリーって改変できるのかなと思って試したくて」
「以前は大まかなストーリーの内容しか聞いていないので、詳しく教えていただけますか」
私の言葉にリリアンは頷いた。
「ストーリーでは、ミルドレッドが行くのはオールディス領の街なの。ミルドレッドは馬車に乗って、街の古本屋に向かうわ。しばらくして店から出てきた彼女は、馬車に乗ろうとするのだけれど、ぶつかってきた少年に、買ったばかりの本を取られてしまって反射的に追いかけるの。人混みの中を縫って彼を追いかけた先で、大通りに出るんだけれど、そこで運の悪いことに何かに興奮した馬が暴れていて、蹴られそうになる。そこをリリアンが助けて、仲直り、という流れよ」
驚いたことにミルドレッドは本好きという点で、私と共通していたらしい。
「リリアンお姉様はミルドレッドと一緒に出掛けていたわけではないのですか」
「えぇ、すでに関係がこじれてしまっていたから、ミルドレッドは1人で街に出ていたわ。ただ、リリアンとしては、やはり、妹と仲良くしたかったのでしょうね。こっそり後から馬車を出して、街に出ていたの。それで馬に蹴られそうになったミルドレッドに遭遇したのでしょうね」
なるほど。つまり、現時点で既にゲームのシナリオからは外れているようだ。
私は、リリアンとの関係をこじらせていない。そのため、最初から同じ馬車に乗っている。また、今回は王都へと向かうため、ストーリーに出てきたオールディス領の街とは異なる。それにしても――。
「お姉様、ゲームと状況が異なることはわかりましたが、そもそも街に買い物に行かなければ、馬に蹴られる可能性は限りなく低かったのでは?」
「あ」
どうやらうっかりしていたようだ。目を見開いたまま、リリアンは固まってしまった。馬車が進む際のカタカタという音だけが響く。
お読みくださり、ありがとうございます。
続きは明日投稿いたします。