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本日のお話は短めです。
目に入るのは、面白みのない暗い色の天井。埃っぽい匂い。湿っていないはずなのに、じめじめとしているように錯覚するような陰気な部屋。
何もする気が起きない。何もしたくない。目を開けるだけで億劫だ。そんな自分が嫌になる。お姉様は今頃もっと酷い目に合っているのに、私は何もできずに、質素なベッドに転がっているだけ。怠惰で、無力で、生きている価値がない。
あれから何日経っただろうか。
わからない。数えていない。静かで、窓のないこの部屋は時間感覚を狂わせる。
もうどうでもいい。何もかも忘れて楽になりたい。そう思うのに、思考を未だにやめられないことに嫌気がさす。考えれば考えるほど絶望するとわかっていても、頭が働くのをやめてくれない。罪の意識は重くなるばかりで、逃れることはできない。早く死んでしまいたい。
それなのに、私が死なないように手足には枷がつけられて、部屋にも見張りがつけられた。私が死のうと試みれば、見張りに止められてしまって、上手くいかない。だから、こうして横になって、ただ死ぬのを待つだけだ。
食べなければ人はやがて死ぬ。
それなのに、私が死ねない理由は、今、扉を開いて入ってきた男のせいだ。私がここに運ばれてきて、食事を拒否するようになってから、来るようになった人物。名前も身分も知らないけれども、身なりからして貴族の男。歳は私よりも少し上だろう。
「食事を持ってきた」
無表情のまま、無感情な声でそう言った彼は私の隣のテーブルに、皿をコトリと置いた。私は目線をそちらに移すが、すぐに皿から目線を逸らした。
体は私の意思とは関係なく、お腹を鳴らして空腹を訴えた。しかし、食べる気はない。目を閉じて、再び眠りにつこうと試みるが、首の下と背中の下に腕を差し込まれて起こされる。力が入らず、抵抗もできない。当たり前だ。栄養が足りていないのだから、力など入るはずもない。
仕方なく、ゆっくりと目を開けて、隣の彼を見遣る。正しくは睨む、だろうか。怖いくらいに整った容姿は、世の女性を夢中にさせるに違いない。どうせ王子殿下の命令なのはわかっているが、このような暗い部屋などに足など運んでおらず、社交界にでも行けばいい。
彼は表情を変えることなく、皿を差し出してきた。中身はスープだ。顔をそむける私に対して、彼が平坦な声を出した。
「食べろ」
「……いや、です」
自分のものとも思えないかすれた声が出るようになったのは、この部屋に来てからだ。これも、やはり、栄養が足りていないからだろうか。それとも、人と話す機会がなくなったからだろうか。
ぼんやりと働かない頭で考え事をしていると、突然スプーンを口に当てられた。もごもごとしながらも、逃れようとすると、がっちりと頭を押さえこまれて逃げることができない。流し込まれるスープを拒絶しようとしたが、飲まされてしまう。
「……ぅ……」
力の入らない手で彼を押しやろうとするが、びくともしない。目に映る私の腕は、以前よりも明らかに細くなっていた。
それでも何とか抵抗をしようとするが、口の端からスープが少しこぼれるくらいで、結局のところは大半を飲まされてしまう。嫌だと口を開こうとすれば、さらに流し込まれて最悪だ。
しばらく、そうして攻防戦を繰り広げていたが、ほぼ彼の圧勝と言ってよい結果になったところで、満足したのか解放される。
「飲んだな」
表情一つ変えずに、私の口の端についたスープを布で拭っている彼を睨みつける。そのことに気が付いた彼が、不機嫌そうに眉を寄せた。
「……何だ」
「もう……来ないで」
「それは無理な話だ。諦めろ」
その言葉を聞いて、私の感情とは関係なく、ぽろぽろと涙がこぼれる。腕を動かして涙を拭う気力もなく、流れたそれは頬を伝って髪やベッドへと落ちていく。
突然泣き出した私に驚いたのか、やや眉を上げた彼は、動揺したように瞳を揺らした。しばらく迷いを見せた後に優しく頭を撫でられる。そのことに、今度は私が動揺した。
「さ、触らないで……わたしは……死にたい、死なないと、いけないの」
「……そんなことを言うな」
そう言うと、黙り込んでこちらを見下ろす彼の瞳は暗い赤。希望も何もない、絶望を知っている色。そのことに驚いたが、そんなことはどうでもいい。彼は私にとっては敵側の人間で赤の他人だ。
「……ねぇ、それ、貸して」
力の入らない腕を上げて、彼の腰のあたりを指さす。彼が目線を下げて、それを一瞥すると静かに首を横に振った。
「それはできない」
「……そう」
短剣を貸してくれたところで、今の私は力が入らないから自害などできるはずもない。わかっている。わかっているのだ。やはり、私があそこで死ななければいけなかった。クリフの短剣を借りて自害しようとしたあの時に。
王子殿下にあっさりと止められて、小さな傷で済んでしまった。
勝手に涙がこぼれ続ける目を閉じて、意識を手放していく。深く暗く何もない闇に落ちていく。完全に意識を手放す前に、今日も私は願いを口にする。今の私のたった一つの願い。
「早く……死にたい……」
答えなど望んでいない。返事など返ってこない。まして、この願いに応えて死が降りかかってきてくれるわけでもない。ただの私の願望。早く私を楽にしてほしい。生きている価値のない私を消してほしい。私の命を差し出したところで、何の解決にもならないことなどわかっている。
涙がまたこぼれていく。
「もう十年以上前から――」
落ちていく意識の中で、隣に座っていた彼が何かを言った気がした。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
投稿が遅れて申し訳ありません。
次回から本編に戻ります。
次回は本日の夜(日付が変わる前)に投稿予定ですが、若干の遅れがあるかもしれないです。
よろしくお願いします。




